黄金町駅の改札を出て、「初黄町内会 大岡川桜通り」と掲げられた看板をくぐれば、そこはもうちょんの間街だ。妖しげな赤い灯りに照らされた飲食店から覗くアジアや南米からやって来た女性たち、そして彼女たちを品定めするかのごとくこの通りを往来していた男たちの姿といったかつての黄金町の喧騒は、今はもうない。真っ暗闇の路地で出会う者といえば、パトロール中の警官ぐらいだ。
京浜急行 黄金町駅(KEIKYU WEB)「それまでは店舗数が250店を数え、700~800人の女性が1日3交代で働いていた」。そう語るのは、「初黄・日ノ出町環境浄化推進協議会」の広報イベント部会長を務める谷口安利さん。谷口家はこの地で落花生店を約100年にわたって営んでおり、谷口さんはその4代目だ。もともとは問屋街だったこのエリアが、風俗街へと変貌を遂げるさまを目の当たりにしてきた。そして、こうした現状に危機感を募らせた谷口さんをはじめとする地元の人々が立ち上がり、4年前の2002年9月に「風俗拡大防止協議会」が発足した。
街を清潔にして1店舗でも違法な風俗営業を行う店を減らしたいという想いから、まず行ったのが界隈の清掃。そして、その地道な努力がやがて初黄町内会、日ノ出町町内会、東小学校PTAを中心とした「初黄・日ノ出町環境浄化推進協議会」へと発展していくことになる。これを機に地域、警察、区役所の連携が強まり、やがて伊勢佐木警察署による「年末集中取り締まり」につながっていった。そして、2005年1月11日からは神奈川県警による「バイバイ作戦」(24時間パトロール)がスタート。この成果はすぐに現れ、違法行為を行っていた店舗は次々と閉店し、黄金町から売春が一掃された。
地域住民たちの努力によって街の浄化には成功したものの、課題は山積している。健全性を取り戻した代償として、街から人がいなくなってしまったのだ。風俗業で成り立っていた場所柄だけに、人の往来が途絶えたことで痛手を受けた近隣の商店なども少なくはない。まさにゴーストタウンと言っていい状況だが、横浜の中心部に程近いエリアにこうした一角が存在するのは異様ですらある。売春行為を再発させることなく、この地に人を呼び寄せるための街づくりが緊急の課題なわけだが、その歩みは遅々として進んでいないのが実情。街を再興するにあたって大きな障害となっているのが、残された店舗の権利関係の複雑さだ。そのため店舗の転用もままならない。このことは黄金町の成り立ちに大きく関わっている。ここで、黄金町の歴史について振り返ってみたい。
一口に「黄金町」といっても、正確には日ノ出町、初音町、黄金町という3つの町からなるエリアである。この地域は戦前から大岡川の船運を活用した問屋街として栄えたが、終戦後はまずガード下にバラック小屋の住居が集まり、次第に飲食店に変わっていった。そんな店の中から女性が客を取る店、いわゆる「ちょんの間」が現れ、いつしか関東でも屈指の「青線地帯」として知られるようになる。現在、この街に放置されたままの特殊飲食店の店舗は、終戦直後のバラック小屋に端を発している。そのため、地権者などの権利関係が複雑で調査に時間がかかってしまうのである。ちなみに「青線」とは、昭和31年に施行された「売春禁止法」で売春が公認された地域が「赤線」と呼ばれたのに対し、非公認で売春が行われていた地域を指したものだ。警察が地図上で赤い線と青い線で書き分けたのがその由来だと言われている。
また、戦後間もない頃の黄金町は売春だけでなく麻薬取引のメッカでもあり、当時のこの街の様子は黒澤明監督の映画「天国と地獄」でも描かれた。青線時代の黄金町で働いていたのは日本人女性がほとんどだったが、近年は台湾や中国、タイなどのアジア諸国だけでなく南米やロシアなどからやって来た売春婦が集まる国際色豊かな「裏風俗エリア」として知られ、週末ともなれば他県からも多くの客が押しかけるほどの賑わいを見せた。露出度の高いセクシーな衣装に身を包んだ女性たちが道行く男性を誘うこの街の情景は、オランダ・アムステルダムの「飾り窓」を思わせる佇まいだった。良くも悪くもハマの風物詩とも言えた黄金町――。風俗エリアの是非についてはここでは論じないが、近隣住民にとっては迷惑以外何物でもなかったことは想像に難くない。
黒澤明 東宝DVDオフィシャルホームページ再生へ向けての歩みは遅々としているものの、それでも地域住民の取り組みは着実に行われている。たとえば新築されるマンションに対して、1階に店舗を入居させたり、住居フロアーは明るく定住型の間取りにするといったような要望を施工主側に出す一方で、次世代を担っていく地域の子供たちに地元をもっと知ってもらおうと、「東小学校の児童たちとのまち歩き」といった活動も行っている。
今年1月29日、この街に剣道場「秀武館 敬心道場」が誕生した。言うまでもなく、道場とは単に武術を教えるだけでなく、精神鍛錬や礼儀・作法など門下生の教育の場でもある。こうした教育の場が黄金町にできるなど、かつてのこの街のありようからすると考えられないことだが、二度と風俗エリアにはさせないという地域住民の気構えを示すものだと言えるだろう。続いて3月15には、地域の防犯拠点として「ステップワン」がオープンした。だが、黄金町を健全な街にしようという地域の取り組みはわかるものの、どのような特徴を持つ街にしようとしているのか? ただ健全というだけでは人は集まらないし、活性化は図られない。そんな街づくりのヒントになりそうなのが、6月30日に文化芸術振興拠点として前出の「ステップワン」と同じ建物の中にオープンした「BankART桜荘」の存在だ。
秀武館 敬心道場「BankART桜荘」は横浜市文化芸術都市創造事業本部と中区役所による、店舗転用のモデル事業として「BankART1929」が運営するものだ。この建物の2階は、アーティストが滞在して創作活動を行う「アーティスト・イン・レジデンス」の場として活用されており現在、北風総貴さんという若いアーティストが入居し創作に励んでいる。来年の初めには、台湾のアーティストが滞在する予定になっているそうだ。BankART1929の渡邉曜さんは「『桜荘』のテーマは、『建物の地域への開放』と『協働』。ここにアーティストが入居することによって、地域の人たちにアーティストの日常を知ってもらいたい。人と人との関係を大切にし、地域の人達と対話し協力して街を明るくして行きたい」と語る。
BankART1929 BankART、黄金町に新拠点「BankART桜荘」をオープン ヤング荘この他にも「夜話会」と題する地域住民とのミーティングや、京浜急行線の高架橋梁の耐震工事用の鉄柵部分をキャンパスに見立て壁画を描くといった活動を行っている。ちなみに、この壁画はグラフィティアートお馴染みのロコ・サトシさんと東小学校の児童たちとの合作で、「鉄道のある町」「ゴミのない町」「国際的な町」をテーマに描かれたもの。製作時には中田宏・横浜市長も視察に訪れ、太陽を描き込んだ。
ロコ・サトシ 公式ホームページ「BankART桜荘」が行政からのアプローチだとすれば、民間からも黄金町の再生に取り組む動きがある。「黄金町プロジェクト」がそれだ。同プロジェクトは若者の視点から将来の黄金町のあり方を考えることで、街づくりの活性化に貢献できるような企画やアイデアを実現していこうという有志の集まり。代表の梶原俊幸さんは「ゴーストタウン化している黄金町のことを知り、その歴史を調べているうちにこの地域に興味を持ったんです。大岡川沿いの街並みも大好きだし、本気で街づくりに協力したいと思うようになった」と話す。梶原さんらは、前出の「夜話会」や「大岡川桜まつり実行委員会」など、地域活動にも積極的に参加している。また、「黄金町に興味を持った人々が気軽に立ち寄れるように」と、「黄金町プロジェクト」の拠点となるカフェを近々オープンする予定だ。
黄金町プロジェクト 大岡川桜まつり実行委員会さらに大岡川沿いの桜の花が咲き始める頃、また新たな動きがある。来年3月に「桜荘」のそばにある末吉橋の架替工事が完了し、旭橋の近くに「船着場」が完成する。この船着場は地域住民の要望によって建設されるもので、マリンスポーツなど様々なイベント会場として活用されるほか、災害時の交通の拠点としても機能するという。ちょんの間なき後のこの地域のセールスポイントとして期待されている。また、大岡川プロムナードの再整備も2008年度完成予定として進められており、横浜港開港150周年を迎える2009年に向けて、かつての特殊飲食店街は今、大きく変わろうとしている。
横浜市南区さくらプロジェクト 立花真弓 + ヨコハマ経済新聞編集部