特集

ファッションからグルメにまで広がる。
世代を越え継承される「元町文化」の今

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■元町流コーディネートをアピールする「元町シーン」創刊

フリーマガジン「MOTOMACHI Scene」創刊号表紙元町らしいライフスタイルやファッションを発信するフリーマガジン「MOTOMACHI Scene(元町シーン)」がゴールデンウィーク前の4月25日に創刊された。全体で20ページの中で、「オンナ同士、母娘は楽し。」という特集を組み、母と娘で楽しめる元町流コーディネートを紹介。横浜出身の人気シンガー、クリスタル・ケイさんのインタビューや、元町に訪れた消費者のスナップ、特集テーマに合った店のショップガイド、1丁目~5丁目までのショッピングマップなどで構成され、読んで楽しく、役立つように編集されている。

元町SS会、ライフスタイル提案型のフリーペーパー創刊

発行したのは、元町通りの商店で組織する「協同組合元町SS会」(三藤達男理事長、加盟店数約220店)。ショッピング・ストリートがこのような販促誌を発行するのは、全国でも初めての試みだ。発行部数は7万部、そのうち4万部がSS会会員店に置かれている。残りの3万部は神奈川のフリーペーパー「メディア・スパイス」と提携して、東京、川崎、横浜、湘南の百貨店、ホテル、レストラン、美容室など、SS会とは無関係の600店強で配付する。関東圏から新規顧客を獲得する狙いだ。

Motomachi Shopping Street

協同組合SS会・山田義人事務局長創刊に至る大きなキッカケとなったのは、2004年2月の「みなとみらい線」開通だ。「MM線で渋谷と最短35分で結ばれ、便利になれば来街者数は増える。しかし逆に考えれば、開通により都内へと流出する人も増えるはず。危機管理が必要という機運がありました。そこでSS会では理事・役員36名で、元町でしか買えないオリジナル商品の推進室を2年前に設けました。そのなかで、元町に来るといい商品に出会えるだけではなくて、目に訴えて元町ブランドをアピールできないかと、フリーマガジン企画が進められたんです」と、元町SS会事務局長の山田義人さんは、経緯を語る。

■ハマトラ世代の母親の娘たちを、いかに取り込むか

元町ショッピング・ストリート「元町シーン」は年3回のペースで発行し、その都度、特集のテーマは変わっていくそうだ。とはいえ、創刊号で母と娘という2世代にわたるファッションの継承を特集したことは、非常に意義深い。

1970年代の元町を起点に、山手にあるフェリス女学院の女子大生が着ていたトラディショナルな服装が、全国に飛び火した「ハマトラブーム」から、すでに30年が経過。当時、元町ブランドで着飾った女子大生は今や母親となっている。そのためか、元町の現在の顧客層は20代後半から50代と幅広い。

また、「ハマトラブーム」の頃に第一線で活躍していた店主も、代替わりして、若い人の感性で、今後の元町ショッピング・ストリートの舵取りをしていかないといけない。一方で、2001年にフェリス女学院の文学部が緑園都市に移転して、現在は山手には音楽学部が残るのみで、訪れる女子大生の数は目減りした。近隣の高校生は、校則が厳しいので、学校帰りに買物には立ち寄れないといった事情がある。そのため、昔からの顧客をつなぎ止めつつ、若い世代の新しい顧客をいかに獲得するかが、元町のテーマの1つとなっている。ハマトラ世代で元町ブランドの良さを知っている母親の娘たちは、最も有力な顧客層となるだろう。

■「ハマトラブーム」を生んだ「キタムラ」が語る元町文化

「キタムラ」のハンドバッグそんな現在の元町の姿を、「ハマトラブーム」の当事者であったショップはどのようにとらえているのだろうか。“ハマトラの三種の神器”といえば、「キタムラ」のバッグ、「フクゾー」のベストやカーディガン、「ミハマ」のローヒールの靴である。そのなかも、全国主要都市に25店舗を展開している「キタムラ」に話を聞いた。

4丁目にある「キタムラ」元町本店、そのおしゃれな店内には、トレードマークである「K」のマークのついたさまざまなデザインのバッグが並んでいる。階段脇に設置されたプロジェクターは、サッカーのワールドカップなどスポーツイベントも、映したりするのだという。2階は世界でも有数の品ぞろえを誇るクロコダイルショップになっている。

キタムラ

キタムラ営業企画部販促広報担当執行役員の竹田一夫氏「元々、ハマトラというのは、地元のファッションだったものを、女性誌など雑誌が取り上げはじめて、全国区になったんです。元町の独特な雰囲気から自然に培われた感性が、外部から見ておしゃれに感じられたのでしょうね。人と違う個性をアピールしたい芸能人が訪れる街でもあったんです」と、キタムラ営業企画部販促広報担当執行役員の竹田一夫氏は語る。

さらにさかのぼれば、「キタムラ」は1882年(明治15年)創業。当時は風呂敷や巾着で持ち物を運ぶのが主流であり、ハンドバックを持っている日本人はほとんどいなかった。「キタムラ」はおそらく、日本で最初の輸入ハンドバックを専門に販売する店だった。山手の外国人、戦後は在日米軍の婦人に愛された店であったが、時代とともに次第にハンドバックを扱う店が増え始めた。そこで差別化のため、1972年よりオリジナルのバッグを製造・販売をするようになったのだ。

そのオリジナルバッグで、黒、茶、アイボリーといったそれまでの常識を打ち破る、カラフルな色合いを提案。「K」のマークのついた独創的なデザインのハンドバッグは知る人ぞ知る存在となっていった。そこに「ハマトラ」という絶妙なネーミングを得て、一気に全国ブランドへと上り詰めていった。

「K」のマークのついた独創的なデザイン「キタムラ」では、かつてハンドバッグのポケットの大きさが小さくて、女性の財布が入りにくいことに気づき、ファスナーの長さを長くしてヒットにつなげたことがあった。感性だけでなく、顧客の不満を聞き出す感受性や、それを商品に結びつけられる確かな技術力が、元町の名店には備わっている。

「元町にはここに本店のある、全国ブランドの店が多いです。ウチに限らず、フクゾーさん、ミハマさん、スタージュエリーさん、ポンパドールさん、ポピーさん、近澤レースさん、山岡毛皮店さん、どの店もオリジナルの商品で創意工夫してきた店ですね。冒険をして、他の店にないものを売っていくというのは、元町の店に共通する考え方なんだと思います」と、竹田氏は元町の強さはオリジナル商品の開発力にあると強調した。

「K」のマークが保証書代わりとなって、「キタムラ」のバッグは何年経っても無料で修理してもらえる(一部有料の場合もあり)のも、母から娘へと世代を超えた強いファンを保てる秘訣だ。他社のバッグであっても実費のみで修理を受け付けることから、修理をキッカケに「キタムラ」に来店するようになる顧客も多いようだ。

キタムラ社長室の北村信氏次代の経営を担う社長室の北村信氏は、「元町は白い建物が多くて、海に近いからでしょうが、春先から初夏にかけて日が長くなった夕方の5時、6時頃には、街が青白く光るんです。これは元町と神戸の商店街くらいにしかない現象で、アーケードをつくらなかった、SS会の先人たちの慧眼だと思います。どこにでもある商店街、どこにでもある商品なら、意味がないんです。値段でも、同じレベルの商品ならば、ウチは他のブランドショップよりは絶対安いですよ」とアピールした。

高品質でファッショナブルでありながら、長く使えるトラディショナルなデザイン。世代を超えて使える本物が手に入るのが元町であり、しかもヨーロッパの街並みのような異国情緒のある景観が、ショッピングの楽しさを演出しているのである。

■日本茶カフェの草分け「茶倉SAKURA」は代官坂通りのニューウエーブ

日本茶専門店「茶倉」の人気メニューの抹茶パフェセット最近の元町は、以前は人通りが少なかった、仲通り、河岸通りといった裏通りにも、ショップが増え、商圏が拡大している。“裏元町”ともいうべき仲通り、河岸通りの特徴は、イタリアン、フレンチなどの飲食店や美容院、インテリアショップなどが多いこと。「ハマトラ」に代表されるファッション街のイメージから脱皮し、今やグルメ、リラクゼーションなどの面でも元町ならではの楽しさが溢れる街に発展している。

特に元町仲通りは、代官坂通りなど周囲の山手に通じる道路にも対象を広げて、道路幅を拡張し、レンガで舗装するなどの街路整備事業を行ってきた。整備が4月1日に完成し、かつて居留外国人の職人の街として発展してきた歴史を感じさせる、「クラフトマンシップ・ストリート」として、イメージを一新している。

元町クラフトマンシップ・ストリート「600メートルクラフトマンストリート」下町情緒薫る元町仲通りの街づくり

日本茶専門店「茶倉」外観代官坂通りに、4年前にオープンした日本茶専門店「茶倉SAKURA」は、再び発展期に入った元町のフロントランナーとして、注目されてきた存在だ。「私たちがお店を出した頃は、まだ仲通りは寂しかったですが、最近は活気づいて来ましたね。街灯がついて道もきれいになりましたし、横のつながりで、近所の花屋さんや雑貨屋さんとは、互いのお店を紹介し合ったりもしています」とスタッフの小方奈緒さん。オーナーである、小方つねのり氏の奥さんだ。

茶倉

小方氏は元々、東京でサラリーマン生活を送っていたが、静岡の友人宅で飲んだ日本茶のおいしさが忘れられず、働きながら日本茶カフェをオープンする構想を練り2002年に開業した。当時は紅茶や中国茶を提供するカフェはあったが、日本茶カフェは都内でも見かけなかった。

インテリアと内装にはイデーを起用そこで手探りで、形をつくっていったという。インテリアや内装は、シンプルでモダンな和のくつろげるスタイルにし、音楽はフレンチPOPSやボサノバ、夜にはジャズも流している。おしゃれな空間で日本茶が飲める場所として、カフェ好きの間では知られた店となっている。席数は20席。

それにしても、なぜ元町だったのだろうか。最初、小方氏は鎌倉で開業しようと考えていたが、適当な物件がなかなか見つからなかった。そんなとき、横浜港が、かつては日本茶の海外輸出の出荷拠点になっていたことから、日本茶にゆかりが深い街であることを思い出す。元町への開業を決め、住居も都内から店の近くに移した。

スタッフの小方奈緒さん店で扱う日本茶の種類は、玉露、高級煎茶、煎茶、ほうじ茶、玄米茶、抹茶。これら約20種類を、無農薬、減農薬の契約農家から仕入れている。産地はほとんどが静岡だが、九州も嬉野とか、玉露は定評のある八女のものも扱っている。「お茶を良く飲むひとでも、意外と日本茶のことを知らないんです。日本茶も種類や産地によって味が違います。それを知ってもらうきっかけになれば」と小方さん。

デザートにも力を入れており、「抹茶パフェ」などが人気である。ランチには、国産大豆を使った老舗豆腐店から取り寄せた豆腐を使い、豆乳の湯豆腐、豆腐ハンバーグ、豆乳オムライスなど、ほうじ茶で炊いたご飯と一緒に提供している。値段は1,050円。店内では日本茶の茶葉やギフトの販売も行っている。

顧客層は20代から50代までと幅広く、男女比は女性のほうがやや多い程度で、ほぼ拮抗している。平日は地元客、休日は観光客が中心になる。来店者数は休日が100人ほど、平日はゆったりしているとのことだ。平日は夜11時まで営業しているので(土曜、日曜、祝日は8時閉店)、仲通りのレストランで食事を済ませた後に立ち寄る人も多いそうだ。

ジャズ、胡弓などの音楽ライブ、絵画や写真の個展のようなイベントも随時行っており、今後も増やしていく方針であるという。

■「スタージュエリー」プロデュースで名シェフのレシピが復活

「スタージュエリー」外観仲通りと代官坂通りの交差点に、一昨年12月にオープンした「スターライトグリル」。モダンな空間で、カジュアルにフレンチが楽しめる。実はこの店は、最近、「表参道ヒルズ」や大阪「ハービス・エント」への出店と話題のスポットへの出店が多い、「スタージュエリー」による初の飲食店だ。

スターライトグリルスタージュエリー

元町スタイルの洋食を復活させた「スターライトグリル」カウンターが中心となる1階は木の質感、2階のダイニングは大理石のクールさをテーマにしており、人気デザイナーの森田恭通氏率いるグラマラスの佐藤琢磨氏が、デザインを担当している。

料理は、「元町スタイルの洋食の復活」をテーマに、ランチはフレンチベースの和のテイストと融合した洋食、ディナーはカジュアル・フレンチを提供。1995年に急逝した洋食界のカリスマシェフ、矢島政次氏がオーナーを務めていた、今は閉店した元町「ひかる亭」にて生前に残したレシピを基に構成している。店名の“スターライト”の“ライト”は、「ひかる亭」にちなんでいるのだという。

ワインは「タイユバン・ロブション」のシェフソムリエとして名を馳せた中村琢氏がセレクトと、こちらも力が入っている。ランチは1,500円~、ディナーは4,000円~となっている。

4月29日にオープンした「スタージュエリーカフェ」また4月29日、仲通りの1丁目に「スターライトグリル」がプロデュースする「スタージュエリーカフェ」が、新規オープンした。これは「カフェアルジェンテリア」をリニューアルしたもので、元々「スタージュエリー」が修理に来た顧客が待ち時間を過ごせるようにとつくった店であったが、ランチなどの食事も充実させて、より本格的にカフェに取り組もうとの考えであるようだ。

「スタージュエリー」は終戦直後の1946年、元町で創業。日本でもアメリカ並みのピアスを選べる店として、在日米軍の婦人や山手在住の外国人に人気を誇った。70年代にはフェリス女子大の学生の間で「男性からの最初のプレゼントが、スタージュエリーのシルバーリングなら幸せになれる」といった噂が、まことしやかに語られ、「ハマトラブーム」とともに全国区のブランドにのし上がっていった。現在は30数店を展開するチェーンとなっている。

仲通りのグルメといえば、今年5月に25周年を迎えたフレンチの「霧笛楼」が草分けだが、「霧笛楼」シェフの今平茂氏も、矢島政次氏のもとで6年間修業していた。

霧笛楼

今年5月に25周年を迎えた「霧笛楼」元町の発展と歩調を合わせるように、ファッションからグルメへと、生活シーンの総合プロデュース企業へと進化しはじめた「スタージュエリー」が、矢島政次氏の流れを汲む元町フレンチともいうべき「スターライトグリル」をオープンしたのは、風格を備えてきた「霧笛楼」の健在ぶりとともに、元町文化の厚みを加えている。

「茶倉」のように日本の伝統を西洋文化を通して見直すのも、「スターライトグリル」のように幕末からの元町文化を復活させていくのも、どちらも元町らしさの表現である。今やファッションの街から、洋風文化の総合発信基地へと進化を遂げようとしている元町の可能性が、両店からは感じられるのではないだろうか。

■スーパーブランドが路面店を出す時に、なぜ元町を指名するか

元町ショッピング・ストリート入口のアーチ以上、フリーマガジン「元町シーン」創刊の背景と、街づくりの基盤となる元町の名店の街への思いと商売の手法を取材してきた。元町ショッピング・ストリートの発祥は、幕末にさかのぼる。

横浜港が1859年に開港し、山下町に治外法権が貫かれた外国人居留地が開かれたが、手狭になったため、1867年には山手町を中心に、新たに山手居留地がつくられた。元町はちょうど、山下と山手の両居留地の狭間にあって、外国人を相手にする商売で賑わった。明治から続く、「キタムラ」、「ポピー」、「山岡毛皮店」などは、時代に応じて変化を遂げながらも、ヨーロッパのブランドショップのように、伝統を守りながら流行に左右されず、常に先端で輝き続ける、いわゆる老舗とは一線を画した、日本では希有なトラッドな存在である。

こうした個性の強いショップ群は、みなとみらい線ができるまでは交通が便利とはいえなかった、元町の立地の不利な条件を跳ね返す、創意工夫の成果でもあった。立地上の危機感があったためか、元町のショップ群は結束力も強く、「元町SS会」では日本一高い会費によって潤沢な運営資金を確保。日本のバーゲンの走りと言われる「チャーミングセール」を昭和36年より開催して、春と秋に大規模な集客をはかってきている。

10月のハローウイン、12月のクリスマス、最近では10周年となる10月のクラシックカーの国際ラリー「ラ・フェスタ・ミッレミリア」の元町ゴールの設定、3月のアイルランド建国記念日「セントパトリックデー」、今年から始まった5月5日に人気の輸入車を元町の石畳にずらりと展示する「元町モータームーブ」と、さまざまな催しがあり、話題づくりでも、すぐ隣の「横浜中華街」に負けないほどの豊富さを誇っている。

コラボで「元町ブランド」香水も誕生。文化の発信地・元町商店街の秘密

また、元町の各店は、舗道をより広く歩きやすくするために、老朽化した建物を建て替える際には、私有地をセットバックして店舗を建てている。条例によって、風俗営業、パチンコ屋、マージャン店などの進出を規制もしている。こういった街づくりへの努力の積み重ねで、東京のナショナルブランドや、ルイ・ヴィトンやベネトンなどのインターナショナルなスーパーブランドが、横浜で路面店を出すとなると、必ず元町を指名するまでに、ステータスが確立されたのだ。

しかし、幼い頃から元町で育ち、街の移り変わりを体験してきた、前出北村氏は、少し元町がきれいになり過ぎ、ファッション系の店が増えすぎたのではないかという感想を抱いている。「私の子供の頃は、八百屋やタバコ屋なんかもあって、日常生活がある街でした。横文字の看板が張り出していたり、それぞれが自分の店の前の歩道のタイルを整備していたので色が違ってボコボコしていたり、雑然としていましたね。今の元町の良さもありますが、もう少し当時のような雑然とした生活感があってもいいと思う時もありますね」。

そのあたりは、北村氏をはじめとする次の世代によって、軌道修正されていくのではないだろうか。常に現状を脱皮し、変化し続けるのが、元町の強さの源泉であるから、期待してみたくなるのだ。

長浜淳之介 + ヨコハマ経済新聞編集部

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