特集

「たれ」で焼肉を家庭の食卓へ。
食文化企業「エバラ食品」の軌跡

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■初の横浜ブランドの商品「横濱舶来亭カレーフレーク」が人気

 「焼肉のたれ」「黄金の味」「浅漬けの素」など、おいしい料理を手軽に楽しむための調味料を生み出してきたエバラ食品。それらの商品は、日本の食卓に焼肉や浅漬けという新たな食文化を提案し、定着させてきたと言っても過言ではない。テレビCMで全国的な知名度を築き、「たれ」のトップブランドとなった同社だが、横浜の企業であることはあまり知られていない。商品を全国展開するうえで、企業の地域色を出す必要性はなかった。そんな同社が、約10年ほど前から横浜ブランドの商品を発売している。

エバラ食品

 それが「横濱舶来亭カレーフレーク」だ。カレーフレークとは細かいフレーク状のカレーの素で、カレールウに比べて調理の際に溶けやすい、加工しやすい、汎用性が高いなどの理由で業務用に使われている。「横濱舶来亭カレーフレーク」はもともとは社内向けのギフトセット用に開発されたという特殊な商品だった。熟成したコクとまろやかな味が特徴で、これが大変おいしいと評判になった。それを大手スーパーのバイヤーが聞きつけ、商品化に至ったという。この商品だけ表面にエバラ食品の社名を記載していない。「横浜にある老舗の洋食屋で提供されるメニュー」というイメージで打ち出している。

横濱舶来亭カレーフレーク

 そのおいしさの秘密は直火釜で焙煎する独自の製法にある。もともとエバラ食品は、「明治キンケイカレー」を作ってきたキンケイの子会社で、カレーづくりのノウハウがある。代表取締役社長の森村忠司さんも、当時のカレーづくりを経験している一人だ。森村さんは、「横濱舶来亭カレーフレーク」は他のメーカーではできない技術と、脈々と受け継がれて来たカレーに関する知識の塊だという。「カレールウの味の決め手は、小麦粉やラードの焙煎処理がうまくいくかどうかなんです。大抵のカレーはスチームで焙煎するんですが、温度は125度~135度まで上がるものの、焙煎の状態は直火よりはるかに悪いんですね。だから食べると粉っぽいし甘っぽい。直火焙煎のカレーは食べると辛いんです。それはわざと辛くしているのではなく、余計な甘みが入らず、カレー粉本来のストレートな味がしっかり出ているということなんです」。

 横濱舶来亭は大きな宣伝はしていないが、そのおいしさが口コミで広がり、じわじわと消費者に認知されてきている。他に、ハヤシフレークとローストオニオンも「横濱舶来亭」ブランドで発売している。今後も架空の洋食店で出されるメニューというコンセプトでスープやソースなどの展開を考えているという。

■調味料業界の盲点「焼肉のたれ」で起死回生

 エバラ食品は1958(昭和33)年、カレーや中華スープ、チャーハンの素などの製品開発を行う「キンケイ」の子会社「荏原食品」として横浜市神奈川区松見町に発足した。当初の事業内容はキンケイの主力製品であったソースとケチャップの生産だったが、一般家庭用・業務用ともに他の銘柄に押されて売上はいっこうに伸びなかった。新たに開発した「インスタントラーメンのスープ」や業務用「札幌ラーメンの素」がヒットするも、市場では激しい過当競争が繰り広げられ、やがて先細りしていくのは目に見えていた。そんな苦しい状況を切り開いた商品が、1968(昭和43)年に発売した「焼肉のたれ」だ。

 時代は高度経済成長期、消費者のふところが豊かになるとともに、食卓に様々な肉料理が登場し始めた。街中では焼肉店が次々と開店し、賑わいを見せる。エバラ食品の創業者・森村國夫さんは、そんな光景を見て「焼肉をなんとか家庭に持ち込めないものか」と考えた。何件も焼肉店の食べ歩きを行い、人気の秘密は「たれ」にあることを発見する。そして東京・横浜を中心に庶民的で繁盛している焼肉店を数十件試食して、大衆に喜ばれる味を追及した。そして試行錯誤の末、醤油をベースに、様々な原材料を独自の比率で配合し、肉になじむ辛口風味のたれをついに完成させたのだ。

焼肉のたれ

 創業者である森村國夫さんの息子で、現社長の森村忠司さんがエバラ食品に入社したのは、この焼肉のたれを出す少し前のことだ。「大学卒業後は他で務めろと言っていた父が、突然うちに入れと言ったんです。あの頃は毎日残業で、休日もほとんどなかったけど、仕事が面白くてしょうがなかった。小さい会社だから何でも自分で経験して覚えたし、『明日成功すればチャラになる』と失敗を恐れない。町工場から企業へ脱皮しようともがいている最中で、社員もパートも一致団結し、夢を持ち続けられた時代。当時、売上高が年間1,200~1,300万円ぐらいだったのが、今は400億円を突破しています。父も『考えていたよりでかすぎたな』と言っていましたよ」。

■テレビCMと連動した「城攻め」で販売網を全国へ

 「焼肉のたれ」は完成したものの、当時の人にとって焼肉はお店に行って食べるもの。家の食卓で焼肉を楽しむという意識はなかった。エバラのたれを使えば家でもおいしい焼肉が手軽に食べられるということを、世の中にどうやってアピールしていけばいいのか――そこで創業者・森村國夫さんが考えたのは、精肉店の店頭に「焼肉のたれ」を置いてもらうという方法だ。スーパーなら他の商品に埋もれてしまうが、精肉店の店頭なら商品が目立つ。肉の購買量を増やす「たれ」の販売は精肉店にとっても好都合で、共存共栄できる。さらにエバラは精肉店の店頭で焼肉を実演するマネキン販売を開始、社長自らがその先頭に立った。精肉店から肉を買い、その場でフライパンで肉を焼き、たれをつけてお客さんに食べてもらった。焼肉に適した肉の厚みやたれのつけ方、火加減などを説明し、おいしかったら買ってもらう。この狙いは的中し、商品「焼肉のたれ」と家庭での焼肉という食文化は、世の中に同時に定着していった。

 そして「いざなぎ景気」の絶頂期、大阪万博が開幕した1970(昭和45)年に、「焼肉のたれ」のテレビCMと、それと連動した「城攻め」を始めた。特定の地域に絞って6カ月継続してテレビCMを放映し、それと同時に小売店やスーパーの店頭で商品を大量に陳列し、試食販売やポップ広告を出した。エリアごとに集中して「テレビで見たCMは、この商品だな」と消費者に認知させる、それが「城攻め」だ。CMのイメージキャラクターには落語家の月の家円鏡(現:橘家円蔵)さんを起用した。「三日に一度は焼肉料理。高い肉でなくても、おいしく食べられる。エバラ『焼肉のたれ』」と語りかけるCMが大人から子供まで大ヒットし、知名度は一気に上昇、売上に加速がついた。

 社長の森村忠司さんは、当時の橘家円蔵さんのエピソードをこう語る。「本当に立派な方でした。スーパーなどでのイベントにも円蔵師匠に足を運んでもらっていたのですが、会場に行く途中に肉屋さんが必ず5、6件あります。すると、円蔵師匠はそこで降ろしてくれと言うんですね。お店に入って『こんにちは、エバラのたれ置いてある?』と必ず言ってくれるんですよ。驚いた肉屋さんが『ここに置いてあります』と答えると、『ありがとうございます』とお礼を言い、サインをする。それで肉屋さんがエバラのファンになっちゃうんですね」。

■大ヒット商品となった「黄金の味」と「浅漬けの素」

 エバラの「城攻め」は、静岡、首都圏、信越、東北、中京、広島、九州、四国と順調に進んだ。家庭では焼肉料理が定番となり、一時は100種類を超える「たれ」が市場に出回った。そんななかで、エバラの作戦は成功し、「焼肉のたれ」は完全に市民権を得ることに成功した。そして1975(昭和50)年、大阪への進出を始めるが、これが最も難航した。関西には都の地としての誇りがあり、関東の食文化を簡単には受け入れない風土がある。そして焼肉の食文化が大きく異なっていた。関西では肉を素焼きにして、それにたれをつけて食べるというスタイルが中心。関西で売るには、素焼きにした肉に絡みつくためのトロ味と、関西人に好まれる甘口にする必要があった。

 関西攻略が進展したのは1977(昭和52)年。ちょうど「たれ」の市場規模は150億円を突破し、市場の拡大と食生活の変化は、たれの「高級化」を求めていた。そこでエバラは、フルーツをベースにすることでマイルドな味とトロ味のある焼肉のたれ「黄金の味」を開発した。CMには大阪出身で関西で知名度の高い歌手の芹洋子さんを起用。すると関西以西の地域で一気に火がついた。発売初年度だけで26億円の売上をたたき出し、5年後には「焼肉のたれ」と肩を並べる看板商品へと成長した。

黄金の味

 「漬物は好きだが、自宅で漬物を作るのは面倒で、時間もない」そんな主婦の悩みを解消した「浅漬けの素」も大当たりした。開発のきっかけは、東北地方の小さな店しか置いていない漬物用調味料が着実に売れているという仙台営業所の営業マンからの報告だった。エバラはその将来性に着目し、2年をかけて商品化を実現した。全国販売すると爆発的な売れ行きを見せ、ここでも市場を開拓したエバラがトップシェアを握っている。

浅漬けの素

■次のヒット商品で、第二の創成期を目指す

 「おいしいものを、さらにおいしく」。このスローガンのもと開発したヒット商品で、日本の家庭の食文化に大きな影響を与えてきたエバラ食品。同社の最大の強みは、高い技術と確かなマーケティングで顧客の潜在的なニーズを捉える商品をつくる力と、それを世の中に広く浸透させる広告宣伝力だ。

 社長の森村忠司さんに、これからの事業展望を聞いた。「我々には、それまでの市場のない商品をつくり、新しい食文化と市場を育ててきたという自負があります。この企業はまだまだこんなものじゃない。ベンチャー精神を掘り起こすことで第二、第三の創成期を作り出していきたいですね」。

 世の中を見ると、BSE問題や少子高齢化社会などで、ここ3年ほどは食品市場全体が厳しい状況にある。家族の中心にあった「食」の団欒も、価値観やライフスタイルの多様化などで失われつつある。エバラとしても、この現状をいかに打破していくかが一番のテーマとなるだろう。日本の食卓の変革者は、次にどんな食文化を提案してくれるだろうか。

 この記事は、横浜テレビ局の番組『企業の履歴書』とヨコハマ経済新聞のタイアップ企画です。横浜テレビ局でも9月に「エバラ食品」を取材した番組を放送しています。

横浜テレビ局

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