昨年4月22日、1年間にわたってリニューアルを行っていた、全国的にも珍しい世界各国の人形をテーマにした博物館、「横浜人形の家」がリニューアルオープンした。以降1年間の入場者数は約20万人を数え、リニューアル前の約16万人に比べ25%ほど伸びている。そして、今年5月の入場者数は2万9,776人と前年同月のほぼ2倍に達し、リニューアル以来、単月での最高の入場者数を記録。これは4月19日より7月8日まで開催中の「リカちゃん 夢とあこがれの40年展」の反響が功を奏したもので、それに伴い同館の知名度もアップしてきており、横浜の観光ルートの定番に名乗りを上げてきたと言えるだろう。
横浜人形の家 人形の家でリカちゃん40周年特別展 -「横浜元町リカちゃん」発売も(ヨコハマ経済新聞) 石坂浩二さんが「横浜人形の家」の館長に就任(ヨコハマ経済新聞)同館は横浜市より施設の貸し付けを受けた財団法人横浜観光コンベンション・ビューローの事業として、1986年6月に山下町の山下公園前に建設された。これまでに元町の大野真珠店の創業者であり、世界の民族衣装人形を多数収集した大野英子さんや、半世紀近くにわたって日本人形を収集した太田ますいさんをはじめ、市民から寄贈されたコレクションを中心にメルヘンに溢れたユニークな展示を行ってきた。現在、所蔵する人形の数は世界約140カ国、約1万3,700点(うち日本の人形が約8,000点)となっており、各国の人形を一堂に集めて文化的多様性を表現する展示を行うなど、横浜のイメージを活かした国際観光文化施設として、充実したコレクションを有している。
財団法人横浜観光コンベンション・ビューロー同館で平成2年から学芸員を務める小原まい子さんは、リニューアルについてこう語る。「リニューアルするに当たって一番気をつけたのは、人形の見せ方です。たとえば以前は人形を見るのには展示場が広すぎましたが、リニューアル後はより人形に近い位置でお客様に見ていただけるように工夫しています。また、実際に人形に触れることのできるスペースも新たに設けました。これは、目の不自由な方にも人形を体感していただいたり、お子さんに人形に触れて遊ぶことを覚えていただきたいからですが、こうしたことがお客様の好評を得ているのではないでしょうか」。
また、リニューアル後の館長には、横浜観光コンベンション・ビューロー理事長でもある俳優の石坂浩二氏が就任。実質的な企画・運営を行うプロデューサーには、「横浜ブリキのおもちゃ博物館」館長で、世界的なおもちゃやアンティークのコレクターの北原照久氏が就任している。
北原照久のおもちゃ博物館北原氏といえば、真っ先に思い浮かべるのがテレビ東京系「開運!なんでも鑑定団」の鑑定士であるが、おもちゃやレトロな文物に対する博学多識ぶりは、知られるところである。その北原氏が「横浜人形の家」プロデューサーに就任した経緯には、横浜観光コンベンション・ビューローより民間の業者である丹青社・トーイズ・アクティオ共同事業体が、昨年4月より5年間にわたる同館の包括的の委託管理を受けたことによっている。氏は、株式会社トーイズの代表取締役社長でもあるのだ。
「開運!なんでも鑑定団」公式ページトーイズとその関連会社は、横浜・山手町の「横浜ブリキのおもちゃ博物館」をはじめ、神奈川県箱根町の「箱根おもちゃ博物館」、羽田空港「北原コレクション エアポートギャラリー」、大阪のユニバーサル・シティウォーク大阪「オリエンタル・ダイナー」、アメリカ・フロリダのディズニーワールド「Tin Toy Stories Made in Japan」等々の常設展示やミュージアムショップ&レストランの運営、北原氏が商店会長を務める東京・お台場の「台場一丁目商店街」、8月31日まで期間限定の横浜ランドマークタワー5階「トイズ スーパーストアーズ」などへのショップ展開、百貨店などでの企画展のプロデュース等々を行っており、ミュージアム及びショップの管理・運営には、長年のノウハウの蓄積がある。そうした北原氏及びトーイズの実績に裏打ちされて、大衆性を持った企画として具現化したのが、7月8日まで開催中のリカちゃん誕生40周年を記念した「リカちゃん 夢とあこがれの40年展」だ。
台場一丁目商店街北原氏のコレクションは、ブリキのおもちゃが有名ではあるが、プラモデル、ミニカーのような男の子が遊ぶおもちゃのみならず、女の子が遊ぶリカちゃん、バービーのような着せ替え人形なども数多く所有している。ブリキのおもちゃは、氏の膨大なコレクションのうちの、ほんの1%程度に過ぎないのだという。「リカちゃん 夢とあこがれの40年展」は、日本玩具文化財団の保存資料を中心に、製造会社であるタカラトミーからの資料提供も得て、約1,000体のリカちゃんを集め、時代背景を表す展示とともに40年の歴史を振り返ることができるのが、大きな特徴である。
タカラトミーリカちゃんは、初代から数えて現在は4代目となり、販売体数の累計は約5,300万体にも達するが、時代の変遷にあわせて表情が変わったり、身長が少し高くなったり、顔が少しふっくらしたりといった日本人の美意識の変化を見て取ることができる。博物学的、あるいは社会学的な資料性も非常に高い企画だ。「子供の時にリカちゃんで遊んだ少女たちがやがてお母さんになって、彼女たちの子供たちがリカちゃんで遊ぶ。そのまた少女たちがお母さんになって、子供たちがリカちゃんで遊ぶ。3世代にわたって、おばあちゃんが孫に、お母さんが子供に、昔の思い出を懐かしんで語りついであげられるような展示を目指しました」(北原氏)とのことだ。
単にリカちゃんの歴史を見せるのにとどまらず、当時の流行歌のジャケット、おもちゃなども一緒に展示しており、来場者が自分自身の想い出にリンクできるように構成している。たとえばリカちゃんが誕生した1960年代の音楽シーンは、グループサウンズが流行し、ピンキーとキラーズの「恋の季節」が大ヒットしたが、その頃にはピンキーこと今陽子さんがステージで着用していた、ダービーハットを被ったリカちゃんが登場している。
あるいは、2代目リカちゃんが販売された70年代にはフィンガー5、山口百恵、ピンク・レディーなどの国民的アイドルが、続々と出現した。音楽というファクターを展示に付加していくことで、「そういえば、あの頃は…」というリカちゃんと遊んだ子供の記憶が、より鮮明に脳裏に蘇ってくるわけだ。それが癒しにつながっていく。こうした、企画の手法や狙いは、プロデューサーに就任して以来、一貫していると北原氏は語る。
リカちゃんの思い出には泣けるエピソードも多い。たとえば、昔は少子化が進んだ今と違って兄弟の多い家庭が多かったが、「自分は一人っ子でとても寂しい思いをしていた。しかし、リカちゃんはある時は妹であったり、ある時は姉であったりしてくれて、どれだけ寂しさを紛らわせてくれたでしょう」といった体験を持つ人もいる。ある人は家が貧しくてなかなか買ってもらえなかったリカちゃんを、やっと買ってもらったのに、嬉しさのあまり持ち歩いて外に置き忘れてしまい、1日で失くしてしまったという。彼女は親に物を大事にしない子だと呆れられ、二度と少女時代にリカちゃんを買ってもらうことはできず、ほろ苦い思い出が残ったそうだ。
目玉のひとつとして、展示の中には、総カラット数約51カラットの881個のダイヤモンドを身に付けた、超ゴージャスな「ファンシーダイヤモンド・リカちゃん」もある。
一方で、擦り切れるほど遊んで汚れたリカちゃん、髪の毛が少し薄くなってしまったリカちゃんも多数展示している。こちらは鑑定士の目で見ると、値段がほとんど付かないものではあるのだが、1つ1つの人形には物語が詰まっている。「汚れて髪がバサバサになったリカちゃんにこそ、感動しますね。僕は人形を通して、やさしさや思いやりを感じてほしい。だんだん時代が進むに連れて、人間関係が個にバラけてきてますから、何か人形を媒体にして、親子、友達同士のコミュニケーションが高まってくれたらうれしいなあと思っています」と北原氏は述べる。
人形はそれに込めた思いによって、コミュニケーションのツールとなる。そうした人形の特性を生かした展示を心掛けている。
ミュージアムは単独にポツンとあっても根づかず、地域と一体になっていくべきであるといった思いが、北原氏にはある。
今回の「リカちゃん 夢とあこがれの40年展」では、具体的に同展にちなんだ記念企画、1,000体限定販売の「横浜元町リカちゃん」に結実した。これは「キタムラ」のバッグ、「フクゾー」の洋服、「ミハマ」の靴、「スタージュエリー」のピアス、「ポンパドウル」のフランスパンと、元町の名店が参加して、ハマトラファッションに身を包んだリカちゃんで、反響は絶大。発売してから3日で完売してしまった。
「横浜元町リカちゃん」売れ行き好調で追加発売-横浜人形の家(ヨコハマ経済新聞)そこで、細部を変えた第2弾が8月15日に発売予定である。「戦争が起こっている時に、美術館や博物館に行こうという人はいません。ミュージアムは平和の力であり、文化の力なんです。それが街にあることを誇りに思ってほしいんですね。ただ、金儲けすればいいというのではなく、社会貢献、やさしさを伝える場所としてミュージアムはある。街づくり、街興しに関わってこそのミュージアムなんです」と、北原氏は強調する。
ミュージシャンとしての顔も持つ北原氏は、月に一度、人形の家4階の「あかいくつ劇場」で開催される、湘南のフォークシンガーのテミヤン(宮手健雄)氏のライブ「貿易風」にエレキギターのギタリストとして参加。ライブ終了後に、顧客を誘って「横浜人形の家」館内を“ナイトクルーズ”と称して案内してまわっている。こうした活動も「横浜人形の家」を通して、人と街をつなげることに結びついていければと考えている。
テミヤンオフィシャルサイト大型バスが19台を停められるスペースを持つ施設は、横浜の中心部でもそうそうはない。北原氏は現状の2倍の年間40万人を集客し、横浜の名所として認知されるのを目標としている。そして同館の前の海が見えて、「横浜マリンタワー」や、「ホテルニューグランド」のような歴史のあるホテルもある山下公園通りを、おしゃれで文化的な横浜随一の有名な通りにしたいと抱負を述べた。すぐ裏には中華街があり、元町や山手も徒歩圏である。界隈の回遊性が高まれば、その構想も夢物語ではないかもしれない。
北原氏は多忙な日々の中、50歳よりウクレレ、51歳よりエレキギターとダイビング、56歳よりゴルフとサーフィンを始め、いずれも玄人はだしの腕前なのだという。ゴルフはそれまでクラブの握り方すら知らなかったが、ベストスコアーは84だそうだ。「上手くなるコツがあるんです。毎日、少しでもやることです。ゴルフなら1日3分でいいから、クラブを持って素振りをしてみる。ギターも同じですよ」。自分でルールを決めて、小さな成功を積み重ねていく。そうすれば、いろんなことができるようになり人生が楽しくなってくるという。
ちなみに著書は59冊あり、講演・セミナーは昨年1年だけで160本を数えた。著書は、おもちゃのコレクションに関するものばかりでなく、辞世の句をテーマにした『珠玉の日本語・辞世の句』、漢字をテーマにした『北原コレクション ちょっといい漢字』、笑い話をテーマにした『笑話コレクション』のようなものもある。コレクターなので物であろうが、言葉であろうが、集めるコツを知っているから、いろんなテーマの本がつくることができるのだそう。
コレクションにおいては、まず「数は力になる」と認識することが重要だ、と話す。北原氏の個人史を振り返ると、東京・京橋のスポーツ用品店に生まれ、大学生の頃、ヨーロッパにスキー留学していた時に、物を大事にする文化に触れ、帰国後は実家の店を手伝いながらレトロな文物の熱心なコレクターとなった。やがてマスコミにも知られた存在となり、多くの人にコレクションを楽しんでもらいたいとの思いで、横浜・山手の取り壊し寸前だった古い洋館を借りて1986年、37歳の時に独立して、「横浜ブリキのおもちゃ博物館」を開館した。1,500万円を借金し、人脈もノウハウもお金もないところからのスタートだったという。
団塊世代の北原氏は、来年1月に還暦を迎える。勤め人なら定年退職となる年代にあって、思い出はとても大切だと痛感している。たとえば、古いリカちゃんがたどってきた物語を、次の世代に伝えていきたいと願っている。「僕はいつか死にますが、僕が一時預かりしているコレクションは、保存すれば寿命はないんですよ。大事なのは愛。おもちゃに愛情たっぷり注ぎこんでいますから。ホラー映画のイメージで人形が恐いという人もいますが、全然そんなことない。見てもらえばわかります」。
北原氏にとってのベストなのは、400坪の倉庫に眠っているコレクションの全てを公開することだという。「一人の人間がこんなにも物を集められるものかとみんなビックリしますよ」と豪語する。
ブリキのおもちゃはもちろん、ミニカー、セルロイドの人形、古時計、ラジオ、広告のポスター、マッチのラベル、看板、商品のパッケージ等々。昨年まで「横浜マリンタワー」内で、モーションディスプレイをテーマにした「機械じかけのおもちゃ博物館」、「氷川丸」内で船に関するコレクションを展示した「世界客船館」をプロデュースしてきたが、公開を終了した現在では、倉庫の中に保管されている。2009年の横浜開港150周年には、横浜の良さをプレゼンテーションするようなパワフルな企画を披露したいと、気合を入れている。
現在、6月1日から8月19日まで、「横浜フランス月間・2007」に連動して、「横浜人形の家」でも、常設展示内トピックスコーナー内で「魅惑のフランス人形展」も開催中。行政との連携がうまくとれていけば、横浜開港150周年において同館の果たす役割も、中心的な位置づけになっていくだろう。
今年の夏にも、強力な企画展を予定している。ポケットモンスター10周年を記念した「ポケモン展」である。7月中旬より9月まで、10周年記念映画「ディアルガVSパルキアVSダークライ」の公開に合わせて開催されるので、夏休みの大きな話題になるに違いない。なお、映画の悪役ポケモン「ダークライ」の声優には、石坂浩二氏が扮している。
アイデアマン、北原プロデューサーの企画術からはしばらく目が離せない。
長浜淳之介 + ヨコハマ経済新聞編集部