ネクタイを緩め、カウンター越しにバーテンダーと語り合いながら片肘付いてビールを流し込む男性、薄明かりが灯されたオープンカフェでグラスを傾けながらにこやかに微笑み合うカップル、食事を楽しむ親子連れなどその店では、実に様々な人たちが思い思いの時間を満喫している。そこは、馬車道からほど近い「関内82ALE HOUSE(82エールハウス)」。都内を中心にチェーン展開する英国風パブ「HUB」がプロデュースしているこの店は、ターゲット年齢を少し高めに設定した大人のためのPUB。オフィス街に位置するロケーション柄、ウィークデイは仕事帰りのビジネスマンやOLの利用が多く、週末になれば横浜スタジアムでの野球観戦後に立ち寄るファミリーの姿も見られる。
82ALE HOUSE店名に冠されている“82”とは、この店のコンセプトである“8つのお約束と2つのルール”に由来する。何やら堅苦しいことを言われるのかと思えば「いえいえ、ちっとも難しいことじゃないんです。8つのお約束をコンパクトに要約すると、『ここを“セカンドハウス”として寛いだ時間を過ごしていただくために、ブランドや産地にこだわったリーズナブルな商品と最新の音楽、フレンドリーな空間を皆さんにご提供していきます』というお客様に居心地の良い時間を約束するためのものなんです。
2つのルールとは、大人の節度と言いましょうか、『酔っ払いと迷惑行為はご遠慮します』というお客様へのお願いのようなものです。この“82”を肝に銘じて、我々スタッフ一同はオフィス街のオアシス的存在を目指し日々頑張っています!」と店長の大谷虎仁さんはさわやかに、熱い思いを語ってくれた。
英国風パブでありながら、イギリス以外のヨーロッパ各地から集められたアルコール類や1コイン(500円)で楽しめるディッシュメニューも豊富。どれをオーダーしたらいいものか迷ってしまうほどの品ぞろえだ。ビールに関しては、イギリスで主流の上面発酵によるエールビールを中心に、代表的なギネス(Guiness)やバス(Bass)、そしてこの店オリジナルのリアルエールも扱う。
「季節柄ビールを注文する方は増えていますね。お客様にお酒を決めていただいてから、こちらでマッチするお料理をご提案したりしています。当店のビールでしたら、やはりフィッシュ&チップスがおすすめです。本場のレシピを元に、外はカリカリ、中はプリプリの食感がたまらない美味しさですよ。あと、オススメなのはシェパーズパイ。これもイギリスの家庭料理ですが、ひき肉とマッシュポテトの相性が絶妙です」(大谷さん)。
このほか、シングルモルトウィスキーの品揃えが充実しているのも同店の特徴。しかも、価格設定が市場の半額ほどに抑えられ、“モルトの入門店”としての横顔も持つほどだ。誰もが憧れるセカンドハウスでのひととき。まずはこちらのセカンドハウスで一息つきたい。
横浜メディアビジネスセンター近くにこぢんまりと店を構える「Craft Beer Bar(クラフトビアバー)」は、今年2月にオープンしたばかりの国産地ビール専門バー。間口2メートルほどの店内に足を踏み入れると、カウンター上に並んだ金色に輝くビールサーバーがまず目に飛び込んでくる。このサーバーから丁寧にビールを注ぐのは、オーナーの鈴木哲也さん。
Craft Beer Bar無類の酒好きが高じて21歳からバーテンダーの職に就き、開業に至るまでの7年間に、出身地の大阪や東京のバー6軒で修行を積んだという。そんな修行時代に抱いた「いつかは自分の店を持ちたい」というおぼろげな夢がはっきりと形になったのは、大阪・箕面ビールに出会った時だった。「フィルターもかけず、熱処理もされていないから、酵母が生きているんです。生のビールとは、まさにこれや!と思いましたね」。
箕面ビールカクテルを作る手間がいらないビール専門店ならひとりでもできる、という現実的な利点も後押しし、それならば「地ビール(クラフトビール)の店しかない!」と考えた。横浜は自宅もあり、趣味のサーフィンがいつでも出来る地元・湘南とバー修行で通いなれた東京の中間にあり、馴染みがあった。そして何より、日本のビールのゆかりの地でもある。そんな横浜で初の独り立ちを決意した。借入金はゼロ。こつこつと貯めた貯金をすべてつぎ込み、若干28歳にして、バーオーナーとなる夢を果たした。
ひと口で地ビールといっても、その種類と味はさまざま。国内産だけでも、優に2000種は超えるという。「味や香りがひとつとして同じものがない地ビールは、いろいろな発見があって楽しいですよ。たとえば、岩手にはオイスター(牡蠣)から作った黒ビールがありますが、一口飲めば口の中にフワーッと磯の香りが広がるんです」(鈴木さん)。前述したように、この店で出されるビールはすべて国内産なのだが、それには理由がある。
それは「自分の足で歩いて確かめたものでなければ仕入れません。まず生産地を訪れ、原料から見ます。そして醸造所へ行って実際にビールを作っている方と会って話をするんです。どうしても生産地へ行けない場合は、ビールのイベント会場に足を運んでいます」という鈴木さんのこだわりだ。現在扱うビールは、大阪・箕面ビール、静岡・ベアードビール、神奈川・サンクトガーレン、山梨・富士桜高原麦酒、茨城・常陸野ネスト、新潟・スワンレイクビール、岩手・いわて蔵ビール、長野・志賀高原ビールの8種類。季節に応じて、ゲストビールとしてこれ以外のビールも年に数回入荷している。
ベアードビール サンクトガーレン 富士桜高原麦酒 常陸野ネスト スワンレイクビール いわて蔵ビール 志賀高原ビールまた、この店では取り扱いが難しいと言われ、あまり市場には出ていないリアルエールビールも扱っている。樽の中でも発酵し続ける、生き物同様のこのビールは、まさに鈴木さんが強烈な出会いをしたという運命のビールなのだ。炭酸ガスを使わず、井戸水を汲み上げるようにゆっくりとサーバーを傾ければクリーミーな泡が溢れる。まったりとした味わい深い逸品だ。
さて、ビールには欠かすことのできないつまみはどうかと言えば、「ビールの味と香りを第一に味わってもらいたいから」と、あくまでビールの味の邪魔にならないものを用意しているのだという。中でも、鈴木さん手製のカレーピクルスは、スパイシーなのにさっぱり。少し固めの食感が人気だ。そして、ドイツ国際ハム・ソーセージコンテストで入賞している大阪・夢一喜工房の合鴨ローススモークもオーナーお墨付きのひと品だ。鈴木さんのふるさとの味をぜひお試しあれ。
夢一喜工房日本のビール発祥の地・横浜ならではの店もある。レストラン「驛(うまや)の食卓」。横浜唯一のマイクロブルワリーを持つ「横浜ビール」がプロデュースし、横浜という土地にこだわったビールづくりを展開している。9年前にオープンしたこのレストランで事業内容の一切を預かる統括責任者の太田久士さんは、あまり大きな声では言えない“秘密”を明かしてくれた。「僕ははっきり言って、地ビールは嫌いなんです! まずひとつには、味です。初めて飲んだときの印象はいまだに忘れませんよ。それに種類が多すぎる。だから覚えるのも思い出すのも大変ですよね。加えて、値段が高い。工程上のコストがかかるのはわかるけど、あれじゃ楽しんで飲んでもらおうなんて無理な話ですよ」。
驛の食卓次から次へと突いて出てくる歯に衣着せぬ太田さんの“秘密”。しかし、ではなぜ地ビールとのコラボレーションを引き受けたのだろうか。「あの第一印象を崩してやろうと思ったんです。まず自分が飲んで美味しいと思えるもの。そして苦手な私が美味しいと思えば、同じように思っている人やまだ試してない人にだって満足してもらえるはずです。誰もが美味しい!また飲みたい!と言ってくれる地ビールを作ってやろうじゃないかって思ったんですよ」。
これまでレストラン厨房の世界で腕を振るってきた太田さん。数年前に勉強も兼ねて訪れたイタリアのレストランで見た何気ない光景から、食に対する考えが変わったという。 「目からうろこでした。たまたま入ったごく普通のレストランに、集まってくる人たちが、みんな家族みたいに、和気あいあいと食事をするんです。たぶんみなさん知らない間柄だと思いますよ。確かにフレンドリーなイタリア人の国民性もあるとは思いますが、レストランと店主とお客さんが料理と一緒になって繋がっているんです。北だ南だなんて堅苦しい料理のジャンルは取っ払ってしまっていいんだと。美味しく楽しく食事をする“何か楽しい”力の抜けたこの雰囲気。これが食の原点だと感じたんです」。この時にイタリアから持ち帰った“食”への思いと地ビール嫌いが「驛の食卓」立ち上げの原動力となった。
(関連記事)ヨコハマ経済新聞このレストランを成功させるための重要なキーパーソンがもう一人存在する。ジャパンビアグランプリで横浜ビールの製品を数々の賞へと導いた立役者、榊弘太醸造長だ。そんな榊さんに、地ビール嫌いの太田さんの首を、縦に振らせなければならない役目がまわってきた。ところが、こちらもビールに関しては譲れない。太田さんに負けず劣らずの頑固者だった。
「地ビール嫌いの私の意見を聞き入れてもらうためには真っ向から言い合いもしましたよ。だって地ビール好きの人に飲んでもらえるのはあたり前で、苦手な人を納得させるビールを作らなくちゃ意味がない。本当の意味での地ビールを作るなら、まずは地元の人に愛されてナンボでしょう?」(太田さん)。これまでに、さまざまな賞を取るほどの完成度の高いビール作りだけでなく、カレーとビールのコラボ商品やラベルのデザインなど、様々な角度から横浜ビールに力を注いできた榊さん。果たして太田さんのいう、もう一度飲みたくなる、万人に愛されるビールは完成したのだろうか?
現在、横浜ビールでは、上面発酵の「横浜アルト」やペリー提督の幕府献上ビールを再現した「ペルリ」、泉区の浜なしを使った季節限定「濱梨麦酒」など、8種類以上ものラインナップが出そろう。どれも地ビールという名のごとく、地場に関わるモノから生まれた製品ばかりだ。レストランでは年に数回のイベントが行われ、評判も上々。「驛の食卓」はすっかり地元に愛される地ビールの店となったようだが…。
「子供の頃に家族で行った駅前にあるような街のレストラン。私がこれから目指すのは、そんな地元の人々に愛され育てられた息の長いレストランです。そしてベースは“地場”です。知り合いに14代続いている農家があります。想像してみてください。畑の土の中には絶えることなく耕され続けてきた先祖たちのどれだけの思いがこめられているか。ビールだって、小田原の甘夏みかんとハチミツを使った“フルーツ&ハニーエール”や北鎌倉の湧き水で仕込んだ“北鎌倉の恵み”など、地元の産物を利用したものは、どれも皆さんに評判で、実際に美味しいですよ。あれ?今、美味しいって言っちゃったね。うん、うちのビールは本当に美味しいよ。今ならはっきり言いますよ。うちのビールは日本一です!」。まるで階下にいる榊さんに聞かせるように、大田さんの最後の言葉には一段と力がこもっていた。
一方、野毛にはちょっと毛色が変わった面白い店がある。野毛小路から野毛本通りを渡り果物屋のある路地を入ると、まるでスポットライトが当たっているかのように忽然と姿を現すチェロの看板。「Le Temps Perdu(ル・タン・ペルジュ)」は、40種類ものベルギービールを扱い、生の演奏も楽しめるという、生粋のベルギービアバーだ。
Yhoo!グルメ Le Temps Perdu昔懐かしいハイカラなジャズ喫茶を彷彿とさせる店構えのこの店。それもそのはず、ここは戦後間もない昭和22年にオープンした「ポンユー」という名の喫茶店だったのだ。ほぼ当時の面影を残したままの店内には、60年前にしつらえたカウンターテーブルにアンティークのベンチ、年季の入ったアップライトピアノが置かれ、棚には色とりどりのラベルが貼られたベルギービールがずらりと並んでいる。日本ではあまり馴染みのないベルギービールの店を、ここ野毛で始めたのはなぜなのだろうか。
三代目となる女性バーテンダー澤田歩さんは、「うちのオーナーは、35年ほど前にフランスにパントマイムの修行に行ったことがあるんです。ワイン文化の盛んなフランスで、初めて口にしたベルギービールの深い味わいに衝撃を受けたそうですよ」と開業のきっかけを教えてくれた。パントマイムが繋いだベルギービールとの出合い。なるほど、大道芸の街、野毛らしいコラボではないか。
銘柄の数だけ種類が存在すると言われているバラエティ豊かなベルギービールは、母国では日本の地酒のような存在。「どの銘柄にも必ずロゴ入りのビアグラスが対になっている」のだそうだ。ビールの味や香りの個性を最大限に引き出すために形に工夫が凝らされ、ひとつとして同じものは存在しない。
「たとえば、アルコール度数が低いフレッシュでフルーティな味わいの“ヒューガルデン(Hoegaarden)”は、キリッと冷やして飲むために、グラスは手の温度が伝わらないように厚みのある六角形でしっかりとした作りになっています。また、トラピストビール(トラピスト派の修道院で作られているビール)の最高峰と言われている“オルヴァル(Orval)”のグラスは、芳醇な香りをより高めるために、手で包み込むように持てる聖杯型になっています」。もちろん、この店でもすべてのビールに同じ銘柄のグラスが用意されている。ベルギービールならではの楽しみ方だ。
そんな通好みのするこの店。ちょっぴり敷居が高いかなと思われがちだが、一人でふらっと立ち寄る客が多いのだという。初心者には、澤田さんが好みに合ったビールを選んでくれる。「野毛は呑み屋さんが多いので、腰を据えて飲む前に「軽めにまず一杯やってこう!」というお客様が多いんですよ。女性一人の常連さんもけっこういらっしゃるんです。もちろん男性一人でこられる方も。あとは、やはり音楽好きな方でしょうか。毎週火曜日と第二・四木曜日に、横浜で活躍するミュージシャンによるジャズライブをやっています。とてもムーディで、みなさんウットリ聞いてらっしゃいます。報酬は投げ銭なんですよ。いかにも野毛らしいでしょう?」。
日本のビール発祥の地・横浜で出会った“現在進行形”のビールの数々。鎖国時代に蘭学者・杉田玄白が試飲し、黒船艦隊・ペリー提督も苦労して運んできたという摩訶不思議な異国の飲み物・ビール。先人たちが長い年月をかけ、国民的飲み物へと発展させてきたビールは、味も香りも個性豊かに進化し、それを愛し、育て続ける人々の心にしっかりと受け継がれている。
中野貴子 + ヨコハマ経済新聞編集部