12月24日の聖夜――。横浜の街が若い男女で賑わう中、日本大通りにあるZAIM本館の一室ではストレッチや筋トレ、発声練習に励む老若男女の姿が。すると、今度は身振り手振りを交えながら、台詞のようなものを叫んでいる。途中で台詞を忘れたり、言葉に詰まったりするものの臆することなく、時にはお互いを励まし合いながら練習を続ける。彼らは市民劇団「横浜スタイル」の劇団員たち。12月29日・30日に横浜人形の家・赤い靴劇場で上演される旗揚げ公演「ハナウタ商店街へようこそ」へ向けての稽古が行われているのだ。劇団員の中には、恋人や友人たちとイブの夜を過ごしたいであろう年頃の若いメンバーたちもいる。だが、彼らは稽古に明け暮れる恋人不在のイブの夜が「楽しい」と一様に口を揃える。単なる強がりではなさそうだ。
横浜スタイル ヨコハマ経済新聞(人形の家で社会人劇団「横浜スタイル」が旗揚げ公演-プロ育成も) 横浜人形の家近年、横浜の演劇シーンが俄かに活況を呈している。昨年は「横浜世界演劇祭2006」も開催され、横浜市内の各区ではこぞって区民ミュージカルが上演され、プロの演劇人のセミナーやワークショップも各所で盛んに行われている。また2007年に入ってからは、横浜からプロを目指す新進舞台芸術家を育成する「横浜未来演劇人シアター」のようなプロジェクトも、横浜市開港150周年・創造都市事業本部との共催で発足している。劇作家の唐十郎さんが教授を務める横浜国立大学のゼミナールが母体の「劇団唐ゼミ★」も現在、横浜大通り公園でテント上演を行うなど活発に公演を行っている。
ヨコハマ経済新聞(「横浜」は物語を演ずる魅力的な舞台!?加熱する横浜演劇シーンの最前線) 横浜世界演劇祭2006 横浜未来演劇人シアター 劇団唐ゼミ★こうした動きは単に演劇の鑑賞人口が多いというブーム的なものではなく、演劇そのものに様々な形で参加する人達が急増しており、横浜市民の間で演劇という表現形式が根づいてきたとも言える。冒頭の横浜スタイルもまた、横浜に在住・在勤・通学者で構成される演劇集団である。
横浜スタイルは今年1月に、北区つかこうへい劇団に所属する横浜市中区在住の劇作家・福永朋仔(ともこ)さんを中心に設立された。「楽しむための演劇」をコンセプトに、「横浜人」による横浜の街の雰囲気や歴史、音楽を表現した作品発表を目指し、20~50歳代までの社会人や学生41人が在籍している。代表を務める福永さんは大学卒業後、3年半の出版社勤務を経てフリーライターとして活動していたが、1993年に東京都北区との連携で設立され、地域の社会人が参加して芝居の上演をしている北区つかこうへい劇団の劇作家・演出家コースを卒業後、同劇団で活動するかたわら、横浜スタイルを立ち上げる。
北区つかこうへい劇団メンバー募集の告知は、主にソーシャルネットワーキングサービスmixi(ミクシー)のコミュニティ「I love yokohama【横浜】」で行われたという。劇団員の約9割が、同コミュニティで横浜スタイルの存在を知ったのだとか。演劇に興味を持つ地元横浜を愛する人たちが、「横浜人による横浜が舞台・テーマの演劇」というキャッチフレーズに惹かれて集まった。昨年10月末に告知をスタート、1週間で1500件もの問い合わせがあり、そのうちの約50名と面談し、12月中旬に初顔合わせとなった。あまりにも反響が大きかったので、同コミュニティの副管理人者が見学に来たほどだった。
mixiコミュニティ「I love Yokohama【横浜】」(mixi登録者のみ閲覧可能)当初、福永さんは、初顔合わせは年明けの1月を予定していたが、参加者達の強い希望で初顔合わせが早まったのだという。また、事前に全員のmixiでのプロフィールをチェックし、初顔合わせ時には全員の名前を憶えてしまっていた。「とにかく、緊張感で黙りこくっているみんなの気持ちを解したかった」と福永さんは当時を振り返る。中には学校の演劇部で芝居を経験した人もいたが、メンバーのほほ全員が演劇初心者。ましてや初対面同士である。各人とも自分は初心者だという不安と、知らない人ばかりという緊張感でいっぱいだった。福永さんが全員の名前を事前に憶えていたことは初顔合わせにもかかわらず、メンバーに安心感を与えると同時に、彼らからの信頼感を得ることにもつながったようだ。「近年、横浜での演劇活動が盛んになってきてはいますが、それでも都内の状況と比較すると一過性のイベント的なものになりがち。まだまだ市民の日常に根づいているとは言い難い」と福永さん。「劇団を立ちあげたきっかけは、北区つかこうへい劇団での経験と、劇団扉座主宰の劇作家・演出家の横内謙介さんが小学生や社会人を対象にした演劇ワークショップを熱心に続けているのを見て来たこと。プロ・アマを問わず、演劇を特別なものにしたくない。横浜の演劇人口を増やしたいですね」。
劇団扉座稽古は週2回。初めての稽古は、1月17日に関内ホールで行われた。まずは基礎的な練習から始まった。当初は思ったように声が出ない、身体が動かない、体力が続かない、台詞に集中すると演技がぎこちなくなったり表情が硬くなったりするなど、メンバーたちも思うようにいかず戸惑っていたようだ。だが、稽古の回数を重ねていくうちに徐々に慣れ体力もつき、演じる楽しさを感じるようになっていった。
旗揚げ公演「ハナウタ商店街へようこそ」のシナリオも、8月に完成。横浜市内の架空の商店街の店主たちが、お客を呼び戻すために結成した合唱団の物語だ。演劇初心者25人が役者として出演し、横浜市歌や「ブルーライト・ヨコハマ」、横浜ベイスターズの球団歌「熱き星たちよ」など横浜にちなんだ楽曲7曲をモチーフに舞台を上演する。
出演者たちが演劇初心者なので、裏方などのスタッフは全員プロを配した。そのため、劇場費自体は6万円程度で済んだものの、スタッフの人件費などのコストがかさみ、旗揚げ公演にかかる費用はざっと120万円ほどになるという。演劇は思いのほかお金がかかるものだが、横浜スタイルの運営はここまで何とか赤字にはならずに済んでいるようだ。
いよいよ旗揚げ公演も間近に迫り、約1年間にわたった稽古を通じて劇団員たちは何を感じているのだろうか。「芝居の経験が全くないという状態でこの劇団に入ったけれど、演技することの難しさがかえって刺激となり、稽古を重ねる度に自分自身がステップアップしていく実感がありますね。そんな自分の成長が嬉しい。そして、みんなで何かを作り上げて行く喜びも感じる」。そう語ってくれたのは、「コウ・G」こと関谷康滋さん。
一方、「最初は仕事をしながら演劇活動を続けるのは大変だと思ったけれど、逆に演劇にのめり込み過ぎないで気軽に取り組める」と話すのは、「ふか」こと深津陵子さん。「演劇活動が楽しいから仕事も充実するし、仕事が充実しているから演劇活動も楽しい。お互いが良い方に影響し合っている感じですね」。職場の同僚たちも発表会の時には観に来てくれるなど、彼女の活動を好意的に見守っている。そうした友人や知人たちの存在が、演劇に取り組む原動力にもなっているようだ。
横浜スタイルがあったからこそ出会えた仲間たち。そんな中、“素敵なハプニング”とも言えるエピソードがある。厳しくも楽しい稽古を重ねて行くうちに恋が芽生え、1組のカップルが誕生し新しい命が宿ったのだ。微笑ましい出来事ではあるが、そこは旗揚げ公演を間近に控えてのこと、急遽プロの役者を代役に立てるなどの対応に追われることにもなった。これには、福永さんをはじめとする劇団員たちも痛し痒しの心境だっただろう。
そもそも、開港からの横浜の歴史を語るのに、「演劇」は切っても切れないものだ。明治から大正にかけて、横浜は数多くの芝居小屋や寄席で賑わっていたという。その頃の「横浜芝居」は一昼夜にかけて上演され、芝居を観ながら朝昼晩の3度の食事を食べる人もいたほどだった。「その当時の伊勢佐木町は、まさにブロードウエイそのものだったよ」と話すのは、財団法人横浜開港150周年協会の市民参加事業部・財団主催事業統括部長を務める齋藤宏さん。「開港150周年記念の祭典とは誰の為の祭典か? どのような形を取れば多くの市民が参加出来るか?」ということを主眼に、齋藤さんが企画した演劇プロジェクトが「DO-RA-MA-YOKOHAMA150」だ。
DO-RA-MA YOKOHAMA150DO-RA-MA YOKOHAMA 150の主役となるのは、公募で集まった「クルー」と呼ばれる市民グループ。舞台出演のみならず、脚本の題材探し、道具や舞台、広報、記録など、舞台作り全てに市民が関っていく。従来の市民参加型イベントとは一線を画し、演劇を軸にしながらもそれだけにとどまらず、市民のより実践的な創造の共同体験を実現しようというものだ。市民クルーは、ドラマの題材を探す「リサーチクルー」、記録を取る「メモリークルー」、実際に舞台で演じる「パフォーマンスクルー」など、それぞれ分担が決められている。現在はリサーチクルーがもたらしたドラマの題材を基に、プロの脚本家によって脚本作りが進められている。脚本を担当するのは、バラエティやアニメなど数多くの番組から舞台の脚本まで幅広く手掛けている脚本家の清水東さん。通り一辺倒な史実だけではなく、その裏側にある出来事やエピソードをオムニパス形式で織り交ぜながらドラマを構築していくのだそうだ。
脚本作りが進められる一方で、他のクルー達も動き始めている。演劇経験のないパフォーマンスクルーのために、この12月から演劇の第一線で活躍する講師陣の指導による「プレ ドラマ ワークショップ」がスタートしている。また、このプロジェクトの全記録を担当するメモリークルーは、2年間にわたるDO-RA-MA YOKOHAMA 150の全事業を映像や画像に記録する。プロジェクトに関わった全ての人たちの想いを未来への記憶として残すこの作業、ドラマ本編とはまた別のドラマが展開されることになりそうだ。
2009年の本公演は、馬車道の関内ホールでの上演が予定されており、中区以外でも横浜市内6~9会場での公演も考えているそうだ。「芝居を一度経験すると、どっぷりハマる人が必ず出てくる。そんな人たちと一緒に日本の開港5都市を巡業公演したい」。齋藤さんの中には、そんな壮大な構想もあるようだ。
ヨコハマ経済新聞(市民演劇公演に向けワークショップ-横浜開港150周年記念)一方、発足1周年を迎えようとしている前述の横浜スタイルでも、来年以降へ向けて新たな展開が始まろうとしている。同劇団には20~50歳代まで幅広い年齢層の劇団員が存在するが、これまでの経験を通じて自信をつけた彼らは、それぞれ独自の目標や可能性を見出している。そして、目標を同じくする者同士によるコラボレーションの動きも出てきている。「劇団内ユニット」である。「年齢層が幅広いので、そのうちに温度差が出てくるのだろうと思っていたが、まさかこの年代が飛び出すとは思っていなかった」と福永さんを驚かせたのが、30~50歳代のオジサン5人によるユニット「ミドル・エイジ・クライシス」、略して「MAC」。この他にも、本格的にプロを目指す人、ダンスやアクションに挑戦してみたい人、45歳以上のユニットなど、様々な展開が繰り広げられるようだ。
活況を呈している横浜の演劇シーンだが、そこでの主役は舞台で演じる役者たちだけではない。演劇に関わる全てのスタッフである市民たちが主役であり、劇場だけではなく“横浜という街”そのものが舞台なのである。そして、そうした市民による演劇活動は、“開港150周年”という格好の舞台装置を得て、今後さらに盛り上がっていきそうだ。
立花真弓 + ヨコハマ経済新聞編集部