赤い京急電車が走る2つの高架下(京急日ノ出町駅、黄金町駅間)に「日ノ出スタジオ」と「黄金スタジオ」という2つのスタジオが出現したのをご存じだろうか? 日ノ出町駅寄りに建つ前者は、横浜国立大学大学院の建築都市スクールの学生と建築家で同教授の飯田善彦さんが設計したもの。ガラス張りで、3棟からなる分棟構造。一方、黄金町駅寄りの後者は、横浜を拠点とする建築家ユニット「みかんぐみ」の曽我部昌史さんが教授を務める神奈川大学工学部が設計したもので木造アトリエ棟、中は土間の空間となっている。現在これら2つのスタジオを中心に、全5ヶ国約30組のアーティスト、ショップが参加し、地域を巻き込んだアートイベント「黄金町バザール」が9月12日より開催中だ。
黄金町バザール 黄金町バザールの概要発表-京急高架下に建設中の会場を公開(ヨコハマ経済新聞)
中区初音町、黄金町、日ノ出町周辺はかつて特殊飲食店が多数立地していたが、現在は「文化芸術のまち」として再生すべく、アートによる町おこしが取り組まれている。「黄金町バザール」はそんな町おこしを象徴するイベントで、地元住民や大学、横浜市などが共同で企画したもの。横浜出身のアーティスト福本歩さんや狩野哲郎さん、神奈川県出身の写真家安齊重男さん、ぬいぐるみ作家安部泰輔さんほか、中国のアートスペース「ビズアート」などの参加作家らが作品を展示。そのほか、ファッションブランド「me ISSEY MIYAKE」とアーティスト田宮奈呂さんのコラボレーションショップや、鳥取県境港市の人気鉄板焼店「みそら」、1万枚ものCDコレクションが自由に試聴できる東京・代々木上原のカフェ「試聴室」などが出店しており、界隈では連日各種イベントが繰り広げられている。
狩野哲郎 ISSEY MIYAKEオフィシャルサイト みそらホームページ 黄金町で「フードランドスケープ」-地野菜のカフェメニュー提供(ヨコハマ経済新聞)
「街づくりだからこそ気遣うことがあった。地域とのやりとりを大切に、地域の住民、行政も含めてこの街を再生するにはどうするべきか話し合いを重ねた」と話すのは、黄金町バザールのディレクターを務める山野真悟さん。山野さんは、1970年代より福岡を拠点に美術作家として活動すると同時にIAF芸術研究室を主宰、研究会・展覧会企画等を行ってきた。1990年より街ぐるみで美術展を展開する組織「ミュージアム・シティ・プロジェクト」を発足。その後も「まちとアート」をテーマに企画やワークショップ等を多数手掛けている。
山野さんの元へディレクターの話が舞い込んできたのは昨年10月。バザール会場の現地視察、地域の説明を経て抱いた第一印象は「やりがい」だった。山野さんにとって黄金町バザールは、今まで経験してきたものとは全く一線を画するものだった。「普通、アートイベントと言えば、この街でこんなことをしたら面白いのではという感じに、比重は街の面白さにあるもの。しかし、今回の黄金町バザールは都市機能がストップし、空き家の多い街でもう一度街全体の再生を目指す特殊なケース。これはなかなか他に例を見ない非常に重要な仕事になりそうだと思った。街本来の魅力を活かして、街の将来を考える。その為に、アーティストを含め自分は何をするべきなのか模索した」。
バザール開幕後、早や1ヶ月が経過したが、ようやく認知度も高まり、街に点在するイベント会場に観光客をはじめ、小学生からお年寄まで地域の人々がよく訪れる風景が見受けられるようになった。開催当初は「地域の人たちが本当に来てくれるのだろうか?」と心配していたとか。「アートというものが街に存在したら地域は、人はどうなるのか? これはある種の挑戦だった」と山野さんは言う。「アートがよく分からない、と言われたらおしまいですからね。その辺りも考慮し、今回は街の人と色々な意味で接点が持てる、コミュニケーションを自由にとれるアーティストを探しました」。
バザール会場を訪れる人々の間で、とりわけ人気の高いアーティストが石垣克子さんだ。石垣さんは沖縄県石垣島生まれ。1997年から札幌、大阪、東京、福岡、韓国、ニューヨークなどで個展を行い、2000年からは街の中のアート展において、住民を巻き込んだワークショップを展開している。ディレクターの山野さんに「沖縄と横浜を結ぶプロジェクトとして、会場で何かしてほしい」と声を掛けられ、今年5月に初めて会場となる黄金町界隈に足を踏み入れた。アトリエとなる黄金町スタジオの一室を見回し、「ここで何ができるのか?」と全くの白紙スタートだった。建物の外から、アトリエ出窓のカーテンロール穴が目に映り、「ここに何か吊るしたい」。そして浮かんだのが、「人々の記憶の輪をつなぐプロジェクト」。黄金町と沖縄を往復しながら2つの地域をつなぐ参加型インスタレーション「つながるワッ!」は、沖縄の風景をはじめとする人々の記憶を刻んだ美しい写真をを巻いた紙ひもを、見知らぬ人の作った輪っかにつなげていくもの。この「つながるワッ!」はバザール会期中つながり広がり変化し続け、今では床下に届くほどになっている。
リピーターも多く訪れ、石垣さんのアトリエに入っては「つながるワッ!」に目を向けて「あった、あった。これこれ。この間つなげた輪」と嬉しそうに目を細める姿が。ワークショップでそれまで言葉を交わしたことのない相手と出会い、手を動かしながら生まれる会話。石垣さんのアトリエには、ワークショップが終わる頃には不思議と連帯感という心地よい空気が漂っている。「『輪』には、結ぶ、ほどける、結び直す等、一時的に時間を共有した『証』が存在する」と話す石垣さん。「時間、会話も作品のひとつだと思う」。
美術作家として活動する傍ら、地元の中高等学校で美術の非常勤講師を務めていた石垣さんだったが、黄金町バザールへ参加するために職を辞したという。「バザール参加はアーティストとしての新しい門出のようなもの」だと語る。非常勤講師とアーティストとの両立の中、アートイベントなどへの関わり方に限界を感じていた。しかし、黄金町バザールで、開催準備から全ての活動に加わることで全体の流れが見えるようになったと嬉しそうに話す。今回の活動で新たに生まれたネットワークを生かし、「今後は少人数で開催するアートイベントが可能になりそうな予感。今から楽しみ」と目を輝かせる。
戦後「麻薬の街」「売春の街」という負の歴史を抱える街、黄金町は現在神奈川県警による24時間警戒体制の下、新しい街へ生まれ変わりつつある。「警察がオープニングセレモニーに同席するなんて、本当に稀なケース。今回のバザールは本当に奇妙だと思う」と話すのは、黄金町バザール実行委員長を務める鈴木伸治さん。横浜市立大学准教授、創造都市横浜推進委員、Kogane-X Lab副運営委員長 実行委員長など多彩な顔を持つ。アートによる新しい街づくりを目指す鈴木さんにその舞台裏を聞いた。
かつての風俗エリアも今は昔…。再生へ向け動き始めた黄金町の「現在」(ヨコハマ経済新聞) Kogane-X
「何もしないと変わらない街だから」と語る鈴木さん。今回のバザール開催にあたり、当然地元をはじめとして賛否両論の声が上がったが、実現に至った背景には「普通の街になりたい」という地元住民の街への熱い想い、そして地元、警察、横浜市の連携、大学の協力があった。「今このあたりは一見普通の街だけれど、戦後から抱えてきたものは計り知れないほど深い。これから継続的に街づくりを進めていくにあたり本当に慎重さが必要」と話す。開催前、鈴木さんは地元の人たちと地図片手に街を隅々まで歩いた。そして、得られた共通認識は「負の場所さえなければ、ここはこのままでも素晴らしい街だ。だからこそ、人々が安心して暮らせるような環境を作ろう」。街には、四季折々人々の心を和ませてくれる街の心臓部にあたる大岡川、作家の長谷川伸、吉川英治、大佛次郎ら偉人の足跡や戦後の跡が点在する。
横浜・黄金町の特殊飲食店跡がキャンパスに-横浜市大が運営(ヨコハマ経済新聞)
現在、バザールと並行して、地元住民の声を取り入れたマスタープラン作りのワークショップを開催中だ。「バザールの終わりが始まりと考え、新しい街づくりを目指し継続的に取り組んでいきたい」と抱負を語る鈴木さん。一方、ディレクターの山野さんの視線も、黄金町バザール終了後に向けられている。現在分散型の会場をもう少しまとめながら、既存のスタジオをアーティスト入れ替え制で継続、今回会場になった地元飲食店もいくつか継続、可能であればこれからも少しずつ街にアート空間やショップを増やしていく方向だ。
「今回のバザールは本当にアートでやっている部分は少ないと思う」と語る山野さん。「アートイベントと言っても、今回は街にほとんど手を加えていない。なぜなら、少しずつアートが街に、人々に浸透すればいいという思いがあったから」。これからも基本的に古い建物を壊さず、箱の中身を別の要素で活かすことを考えているそうだ。「5年後、10年後。これからは焦らずに街づくりを積み重ねていくつもり。アートのみが集まるのではなく、日常生活の中に自然にアートの要素が点在化する。それが街全体のイメージ作りに繋がっていけば……」と山野さんは未来を熱く語る。
黄金町バザール終了後も街を染めるアート作品、アーティスト、地域のひとのつながりが過去の暗闇の復活を許すはずはない。街の再生を懸けた新しい街づくりはこれからも休みなく続く。
佐藤優 + ヨコハマ経済新聞編集部