このプロジェクトは、文部科学省が全国18の地域SNSに委託した「地域SNS(ソーシャルネットワーキングサービス)を活用した家庭教育支援に係る調査研究」(以下本事業)の一環だ。文部科学省によると、本事業は「家庭教育力の向上に、ソーシャルネットワーキングサービスが利活用できるかどうか?」を多様な地域で仮説を立て、実践を通じて検証することが大きな目的だという。
「通信・情報を主管する総務省以外ではほぼ初めてだろう」(庄司昌彦・国際大学グローバルコミュニケーションセンター主任研究員)という地域SNSを用いた国の事業。なぜ「家庭教育」に焦点が当てられているのだろうか?
文部科学省が、本事業を主管する「家庭教育支援室」を設けたのは1998年。前年1997年8月、小杉隆文部大臣(当時)が中央教育審議会(中教審)に「幼児期からの心の教育の在り方について」諮問している。この諮問は、直前の同年6月に神戸市須磨区で当時14歳の少年による連続児童殺傷事件が発生するなど、子どもの成長を取り巻く環境や親や社会の役割・あり方について、社会の関心が高まっている時期に出された。
翌1998年6月30日に中教審は「新しい時代を拓く心を育てるために−次世代を育てる心を失う危機−」とする答申を出した。
答申では「過保護や過干渉、育児不安の広がりやしつけへの自信の喪失など、今日の家庭における教育の問題は座視できない状況になっているため、家庭教育の在り方について多くの提言を行った」とあるように、親へのメッセージ、それを支えるべき地域の再生に章を割いている。
その後も同省は、家庭教育について懇談会などで検討を重ね「親や、これに準ずる人が子どもに対して行う教育のことで、すべての教育の出発点であり、家庭は常に子どもの心の拠り所となるもの」と家庭教育を定義。(2002年7月19日「今後の家庭教育支援の充実についての懇談会 」報告)。
さらに、2006年12月に全面改正・施行された「教育基本法」にも新たに「家庭教育」や「幼児期の教育の項」が設けられた。国や自治体、地域が家庭教育を支援していく必要性やさまざまな組織・機関が連携して地域、家庭の教育力を充実させる方針が打ち出されている。
「新しい時代を拓く心を育てるために−次世代を育てる心を失う危機−」
国が、このように「家庭教育」とそれを取り巻く「地域の教育力」を重視し、政策を展開する背景には、核家族化/少子化の急激な進行によって、地域社会のつながりが希薄化する一方で、育児不安を持つ親や児童虐待件数の増加、問題行動や青少年の引きこもりの急増など「子ども」をめぐるさまざまな問題が山積している現実がある。
親の孤立化/育児不安の増大については、厚生労働白書(平成15年度版)や子育て支援関連の文書でデータとして引用・比較されることが多い「大阪レポート」(1980年、対象者約2000人)「兵庫レポート」(2003年)に詳しい。
いずれも精神科医の原田正文さん(NPO法人 こころの子育てインターねっと関西代表)が中心になったこれら調査を比較すると、この20年間に子育て家庭の孤立化や育児中の「育児不安」「イライラ感・負担感」が進行しているという。
さらに児童虐待の把握・相談件数も、児童虐待防止法改正(2007年)にともない急増した。横浜市も例外ではない。2007年度末の横浜市児童相談所の児童虐待新規把握件数/児童虐待対応件数ともに増加している。
さらに、こうした親側の「育てがたさ」だけでなく、子どもの健やかな育ちが困難になっていることは、さまざまな調査にも表れている。
11月21日発表の「児童生徒の問題行動等生徒指導上の諸問題に関する調査」で、横浜市内ではいじめの認知件数については、1002件で平成18年度に比べて大幅に減少(355件)したものの、全暴力行為の発生件数が、2865件で平成18年度より313件(12.3%)増加。子どもの変化/子どもが育つ環境の変容を裏付けるデータとなっている。
文部科学省はこうした厳しい現実を踏まえ、既出の通り、子育てをめぐる諸問題を解決していく一つの糸口として「家庭の教育力向上」に着目してきた。
かつて子どもは、大家族に囲まれ、近隣など多様な地域の人たちとのかかわりの中で、生活習慣や生活能力、倫理観などの社会に適応していく力をはぐくんできた。
しかし、都市化や核家族化が進み、「地縁・血縁」も希薄になってきたため、家庭、特に母親が一手に「子育て」を引き受けざるを得なくなってきたのが近年の状況だ。
母親に集中する子育ての負担が育児不安増大などに反映し、ひいては子供の社会性を育てる力=家庭教育力が低下にもつながっている、という傾向を踏まえ、文部科学省では「地域全体で家庭教育を支えていく基盤形成」を進めてきた。
今年度からは新たに「地域SNSを活用した調査研究事業」が加わった。
この事業を企画した狙いについて、文部科学省家庭教育支援室では「家庭教育支援としてフォーラムなどを開催しても、仕事が忙しかったり、また不安感が強かったりして、実際に足を運べない方々がいます。そうした方たちに、情報技術を活用し、家庭の教育力向上に役立つ情報を届けたいと考えました。
特に、地域SNSは、地域が限定されていることで、参加者同士のつながりがオンラインからリアルな場に発展できる可能性があると考えています。どのような方がコミュニティに参加し、活用されていくのか、その有効性に期待しています」
この事業の委託先の一つが「子育て支援コミュニティ横浜実行委員会」(今井嘉江委員長、中区役所後援)だ。
「舞台」となるのは横浜の地域SNS「ハマっち!」。実行委員会は、ハマっち!を運営する「Y150市民参加プラットホーム推進委員会」(事務局・横浜開港150周年協会)とハマっち!運営委員会、青少年・子育て支援を事業とするNPO法人「シャーロック・ホームズ」、NPO法人「横浜コミュニティデザイン・ラボ」などで構成されている。
この事業の予算は約400万円。4人のコーディネーター、事務局のほか、臨床心理士や大学教授などが専門委員として助言する体制となっている。また、横浜市中区の子育て支援拠点「のんびりんこ」(中区真砂町)や地域ケアプラザなど、すでに子育て支援を手がける公的施設とのつながりづくりも視野に入れている。
「ハマっち!」は2007年4月より運営が始まった。完全招待制で、2009年2月9日現在では、 2,256名が参加登録している。
「ハマっち!」には、メディア・ビジネス、文化、イベント、グループなど550を超えるコミュニティが存在し、日々活発な情報交換が行われている。
子育て支援コミュニティ横浜 今井嘉江実行委員長のメッセージ(ハマっち!)
地域での育児力の低下は、裏を返せば「子育て家庭の孤立化」とも言える。
身近な地域で気軽に相談できる場がなく、親同士の関係を築くことが困難な場合、育児の不安や悩みがあってもひとりで抱え込んでしまうこともあるだろう。
オンライン上(地域SNS)で育児に関する悩みを共有したり情報交換を行いながら、親同士が実際にリアルな場(オフ会)での関係を持つことが地域ネットワークの拡大に繋がり、家庭教育支援の最終的な目標である「子どもたちの健やかな育ち」に繋がるのではないか。
「子育て支援コミュニティ横浜実行委員会」では、こうした仮説をもとに「ハマっち!」内に、「子育てに優しいヨコハマ!~親子deおでかけマップ《中区発》~」コミュニティを開設した。
ハマっち!での調査研究事業は、いきなり「悩み相談」や「家庭での教育は?」といった硬いテーマでやりとりするのではなく、「楽しさ」を全面に打ち出す企画とした。
これは事業構想段階で、複数の母親らからヒアリングや、オンラインアンケートなどをした際に「役に立つサイト、面白い内容でないと再度訪問する気にならない」という意向がわかったため。
具体的には、子育てに役立つ「まちの情報」をメンバー皆で集めながら、「オンラインマップ」の作成を目指している。
2月9日現在、101名が参加し、幼稚園、保育園情報やおすすめイベント情報、子どもを連れていきやすいレストランは?などといった口コミ情報が集まりつつある。
「オンラインマップ」作りに関しては、のんびりんこ、横浜子育て情報スポット(西区・横浜アンパンマンミュージアム内)、ハッピーローソン山下公園店などに口コミ情報の投稿用紙と情報提供箱を設置するなど、地域の子育て拠点との連携が広がりつつある。
もちろん、コミュニティ内で何らかの「困難さ」を訴える投稿があったり、コーディネーターに個別に相談があった際には、専門委員らのネットワークを生かし、子育てに関する専門的な相談、情報提供にも応じる方針だ。
子育てに優しい ヨコハマ!~親子deおでかけマップ《中区発》~(ハマっち!)
インターネット上が主な舞台となるこの事業だが、昨年10月以降、同実行委では特に、コーディネーターが地域の育児支援サークルなどを訪問してチラシを配布したり、活動の告知をしたりする「現場=オフラインの活動」に力を入れてきた。まずは地域SNSとこのマッププロジェクトを知ってもらうこと、さらにコミュニティに参加者同士の信頼関係を深めることが目的だ。
ネットコミュニティを飛び出したオフラインの場では、なか区民活動センターやハッピーローソン山下公園店での週一回の「プチオフ会」をはじめ、親同士が実際に顔をあわせる交流の場が広がっている。
昨年10月上旬には横浜・みなとみらい21地区の中心にある「緑のギャラリー」(横浜市西区)にて、初めての「オフ会」が開かれた。
西区でネイルサロンを経営する石川貴子さん(日本ネイリスト協会技能検定試験一級)が講師となり、携帯電話やピアスなどにデコレーションできるネイルチップを制作する企画だった。
一時間半の講座の間、別室で保育士などによる保育が行われ、12人の母親たちはしばし育児を離れ、それぞれ個性的なネイルチップ作りに没頭した。その後、調査研究を担当する実行委員で、臨床心理学を大学院で学んでいる小野真紀子さんが、アンケートについて説明した。
参加者らは「自分では保育付きの講座はなかなか探せない。参加できてよかった」「あっという間に時間が経って、足りないくらいだった」と声が上がり、ひとときのリフレッシュができた様子だった。2008年12月には、横浜市の子育て支援拠点「のんびりんこ」(同区真砂町)で、「お掃除セラピスト」のなかやまゆうみさんが大掃除や収納ワザのコツを解説する「ゆうみ流カンタン・キレイの法則講座(年末特別編)」が開催され、赤ちゃん連れの母親たちが参加した。
このほか、子育て支援コミュニティ横浜実行委は、なか区民まつり(10月12日・根岸森林公園)に出展し、来場者からまちの情報を募り、大きな白地図にマッピングするイベントも実施。家族連れはもちろん、子供たちから公園やショップ、商店街などの情報を寄せてもらった。この日だけで、50件の口コミが集まったという。
これらは「ハッピーローソン山下公園店」(中区山下町)などに設置された投稿ボックスの情報とともに、順次「親子deおでかけマップ《中区発》」コミュニティに掲載していく予定だ。
こうしたネット上でのつながりから、オフラインでの活動につなげていくことの意義について、プロジェクトの統括コーディネーターでシャーロックホームズのスタッフでもある東恵子さんは次のように語る。
「地域に特化したSNSだからこそ、オフラインの場の意義があると思います。匿名性の高いネットから一歩踏み出して顔の見える関係が築けること、しかも参加者はご近所さんであること、いろいろな意味で参加者同士の刺激や影響があると思います。リアルの場が苦手だと感じる人が増えてきているようにも思いますが、人間関係には顔の見える、リアルな関係が欠かせません。ネットなどの便利なツールを活用しつつも、そこに依存し過ぎないようにすること、そのためには適度にリアルの場を設ける。その手段としてのオフ会はとても有意義だと思います」
一方で、実際にプロジェクトが動き出してからの課題もある。
「今回のプロジェクトは、未就学児の保護者を対象としていますが、これまでの経験上、未就学児の保護者にはネット利用の格差があることを知っていたので、ネットを利用しない方をいかに取り込むかが、立ち上げ当初から大きな課題だと感じていました。実際にプロジェクトを進めてみると、参加希望される方は携帯での利用者が多く、携帯では『ハマっち!』の使い勝手がよくないようで、登録まで至らないケースと、登録はしたものの活用していないケースも見られます。パソコンを利用される方でもSNSに慣れていない人はなかなか活用法が分からないようです」と東さん。
地域で、親同士が双方向で情報発信できる場が地域SNSの持つ利点であり、親子が地域の人たちやその活動にふれ合う機会を提供し、その結果「多様な視点」への架け橋となることが、地域SNSの持つ可能性であると言えるだろう。
自らも子育て世代である東さんはこう語る。
「一日の大半を子どもと一緒に過ごしているとどうしても世界が狭くなりがちで、気がつけば"ママ友"としか交流がない。同じ年齢の子どもを持つママ友は良き相談相手でもあります。けれども異年齢の子&子どもを持つ親と触れ合う機会も貴重ではないでしょうか。いつもと違う世界がそこにあります。一歩踏み出すと面白くて刺激的なことがたくさん。子ども中心の生活はもちろん必要ですが、ぜひご自分のための時間を作ってください。そして便利なツールとリアルの場を上手に組み合わせて、"楽しい子育て"に役立ててください。その方法を、オンライン&オフラインの場で話し合いましょう!」
さらに子育て支援コミュニティ横浜実行委員会では、文部科学省の委託が終了した2009年3月以降に、「子育てに優しいヨコハマ!~親子deおでかけマップ《中区発》~」に集まったオンライン口コミ情報を、紙の地図として発行したいという「夢」もあるという。
まだ、発行のための予算などの目途はたっていないが「ベイサイド地区の親たちが集めた情報を、横浜開港150周年のイベントなどに全国から訪れる多くの家族連れの観光客に役立つ形にしたいと思っています。子育てに役立つ情報で、おもてなしをしたいですね」と実行委員長の今井嘉江さんは意欲的だ。
地域SNS「ハマっち!」発のこのプロジェクト。親のネットワークを広げ「家庭に閉じない地域ぐるみの子育て」に役立つ情報の基盤に育つことを期待したい
濱崎 弥生 + ヨコハマ経済新聞編集部