桜木町駅の南西に位置する野毛地区。にぎやかな道路から少し中へ足を踏み込むと、住居や小料理屋が軒を連ね、高層ビルが立ち並ぶ都心臨海地区とは対称的に、静かで穏やかな生活が流れる。戦後、闇市として栄えてから飲食店が立ち並ぶ街として機能してきた野毛地区は、新しい店舗の顔ぶれなどで少しずつ表情を変化させながらも、今も変わらぬ下町の結束とにぎわいを持っている。
その野毛の街に新しくビルが完成したのは、今年4月のこと。9階建てビルの上層部は住宅マンションであり、表通りに面した1階にはコンビニなどの商業施設を備え、仲通に入り口を持つ2階部分には「野毛Hana*Hana」と呼ばれる地域の施設がある。
その中の1要素である「野毛 Hana*Hana」の活動は、映像関連の事業体や個人を集めた共同オフィス「メディアギルド」の運営、映像メディアに関する講座やワークショップの開催、写真専門のアートNPO「ザ・ダークルーム・インターナショナル」活動の拠点、多目的レンタルスペースとしての運用といった大きく4つの柱から成り、横浜市が打ち出す「文化創造都市」の一翼を担う。また、特徴的な映像講座を開催することで、映像文化の振興や映像文化を形成する人材の育成にも力を注いでいる。
野毛で設立10周年の写真NPO「ザ・ダークルーム」が会員展(ヨコハマ経済新聞)
しかし、なぜ野毛に映像メディアの拠点が生まれたのであろうか。「野毛Hana*Hana」の事務局長を務める嘉藤笑子さんは、2つの理由を挙げた。1つは、横浜が日本における写真技術発祥の地であるという歴史的理由から。もう1つは、施設の個性化のためだ。映像メディアをテーマに施設運営することで、切り口が明確になり目的意識が強くなるという。嘉藤さんは「映像文化は今後、産業文化として着目できる分野だと思っています。横浜にはすでにいろいろな文化施設がありますが、映像メディアに特化した専門の施設がない点に着目しました」と話す。
昨今注目度の高い映像や写真といったメディア系の施設は、今後も増えていくことが予想される。そこで嘉藤さんが懸念したのは、果たしてそれらの施設が「人材育成」にどれだけ貢献できるのかという点だった。「施設が増えても、それらが単に映像を流すだけの場なのであれば、映像の墓場としか言いようが無い」と嘉藤さんは話す。「野毛Hana*Hana」の教育プログラムは、映像をつくる人、映像をみる人はもちろんのこと、両者を「つなぐ」人に注目する。「ミュージシャンやファンはいても、それをアレンジする人がいない。面白さを伝えられるようにならないと。特に映像の場合は複雑なので、テクノロジーで分けるにしても幅が広すぎてなかなか興味関心は得られない。これは文化全体に言えること」(嘉藤さん)。「野毛Hana*Hana」では、「NOGEDIA(ノゲディア)映像メディアスクール」という映像連続講座を開講し、ナビゲーターやエデュケーターの育成プログラムを行っている。
また、今後はさらに子どものワークショップや他ジャンルの教育プログラムを行っていくという。子どもにとって「映像メディアは昨今危険なものとされがちだが、使い方さえ伝えていけばその便利さや素晴らしさが分かってもらえるはず」と嘉藤さんは話す。「野毛Hana*Hana」が提案するプログラムは、資格を取ることが目的なのではなく、将来に向けた確かな人材育成を目的としている。この部分にじっくり取り組まなければ、文化の作り手や担い手の力が弱まり、インフラ形成ばかりが重要視されることになる。
地域と文化の新拠点「野毛Hana*Hana」で映像を学ぶ連続講座(ヨコハマ経済新聞)
メディアギルドのメンバーの1人であるシンガーソングライターの白井貴子さんは、横浜市の「YES 環境アンバサダー」、神奈川県の「かながわ環境大使」に選ばれ、音楽を通して環境の大切さを発信している。横浜山手のフェリス女学院大学出身でもあり、横浜の街で活動してきた白井さんにとって、野毛はどう映っているのだろうか。
「今ようやくいろんなことが分かり始めたところ。大手のショッピングセンターなどによって、押されてしまう商店街。野毛が抱えている問題はどこも抱えていることなのです。その問題を真摯に受け止め、野毛ではいち早く地域が連携して動き出していると思います。こういったことを今まで発言するチャンスがなかったけれど、ここにはそれが可能な場、何かをクリエートする場の空気感があります。ジャンルの異なるアーティスト同士が触発し合って、化学反応を起こす、まさにそういう場所ですね。そこが野毛Hana*Hanaの面白いところだと思います」と話す。
白井さんをはじめ、メディアギルドとして参加するアーティストの活動は、近頃目覚しい。自分たちの作品制作や活動だけに集中するのではなく、街がより良く活性するよう何かを仕掛けることにも真剣な姿勢を見せている。月に1度の全体会議においても、個々の活動報告よりも「野毛Hana*Hana」を使って野毛の街をどう面白くしていくかについて活発に意見交換がされ、アーティストが街に寄り添うように活動している。作品制作などの個人プレイと相まって、寄り集まった人々を仲間とし、「野毛の街を面白くしていく」という共通方向性を持つことで、アーティスト自身も互いに刺激や影響を受け、自然と自分を高めていくきっかけになっているようだ。
ミュージシャン 白井貴子 さん 「自然を大切にすることが自分を豊かにする」(ヨコハマ経済新聞)
アーティストのオフィス利用だけでなく、街の町内会館としての機能も果たすことで、「野毛Hana*Hana」はかかわる人々にとって、街をよくする、自分の世界を広げる実験を行うラボラトリーのような役割を果たしている。では、このような「野毛Hana*Hana」の活動を果たして住民はどのような反応を示しているのだろうか。
藤澤智晴さんは、昭和初期から約80年以上続く、「村田家」の3代目だ。くじら料理などで人気の「村田家」は、戦前伊勢佐木町にあったお店を戦争でなくし、戦後に野毛地区に移り営業を再開した。以来木造平屋のお店は、バラックを残したまま、何十年とこの野毛の歴史を見つめ続けている。
藤澤さんが事務局長を務める「野毛地区街づくり会」は、みなとみらい計画が市民に知らされ始めた昭和59年から60年ごろ、「野毛の街も何かしよう!」と意気揚々と立ち上がった任意団体。街の活性化、そして地域と「野毛Hana*Hana」をつなげる橋渡しのような存在になっている。
この地区は東急線廃線や造船工場の撤退など、過去数々の危機にさらされてきたという苦しい歴史を持つエリアだ。中でも2003年みなとみらい線開通に伴い、桜木町の東横線の廃線は、特に街に深刻な問題をもたらした。人でにぎわった街も閑散とし、人足は途絶えた。横浜~桜木町間の廃止が明らかになった当時、桜木町駅にほど近い野毛地区では、地域の衰退が大きな問題となり廃線反対運動も起こった。結局覆ることなく廃止となったが、これに対し横浜市と東急は莫大な補償金を支払った。「桜木町駅舎移転問題や東横線廃線のあおりをうけて街には寂しさが漂うようになった」と藤澤さんは当時を振り返る。
「野毛Hana*Hanaは横浜に来た黒船のようなものだと思うんです」。藤澤さんは「野毛Hana*Hana」を今までの常識を変える黒船だと表現した。「たまたま縁があってメディア系のNPOに携わってもらうことになったけれど、それは、『今度は野毛がメディアを持つ』ということなんです。街の中で放送局を開設する案も出ていて、これからさまざまなプロジェクトを進めていく予定です。どんな影響を受けてどうなっていくかは未知数だけれど、可能性は無限。野毛は現在進行形なんです」と藤澤さんは話す。
それは実際に、現在開催中の「ヨコハマ国際映像祭2009」、今年11月~2010年3月(1月を除く)の第1日曜日に開催される「野毛大道芸フェスタ」のなかでも、「HanaHanaTV」というインターネット放送局を設置して、情報発信をしていくことで実践されている。
また、「野毛Hana*Hana」は地域間交流にも新たな息吹を与えたという。「横浜は開港150周年記念を迎えましたが、私はこの50年前、開港100年祭を経験しました。親父たちが行進の練習をしたり、仮装をしたり、みんなが熱くなって盛り上がっていた。あの盛り上がりを今でも覚えているんですよ」。藤澤さんは50年前の記憶をたどりながら、ここ「野毛Hana*Hana」を拠点に、市民レベルから自発的に横浜を盛り上げていきたいと語る。決して街を超えたかかわりのなかった界隈の商店街との連携プロジェクトが進行中なのだ。「アーティストは常に最先端で前衛的です。地域の国境を越えて新鮮な空気を取り込む『窓』、そして反対に野毛の空気を送り出す『窓』なんです」と藤澤さんは話す。
「くじら横丁」の復活目指し、横浜・野毛の30店舗がくじら料理 - ヨコハマ経済新聞
嘉藤さんは、開館から半年が過ぎた「野毛Hana*Hana」について、「ギルドメンバーのそれぞれが、内発的に活発に動き出しています。さまざまなアイデアが飛び交い、ジャンルを超えたコラボレーションが行われたりと、活発な発言や活動が多くて嬉しく思っています」と話す。地域に根付いた施設を運営するにあたって、地域住民や商店主との連携は不可欠なこと。「地域の人たちと同じ目線で活動できることで、お互いに理解が深まると思っています。まだまだ私自身も街のことが理解できていないように、地域の人たちも野毛Hana*Hanaがどんなところなのかを、理解してもらっているわけではないでしょう。今後は、さらに街との共同事業が増えていき、多くの交流が増えていくことで、より身近な存在になっていけるのかなと思っています」とも。
「野毛Hana*Hana」は、「映像メディア」と「地域の情報発信」の2つの軸を持っている。そこには、異なる特性を持ちながらも、友好的な関係を築いていける可能性がある。互いが刺激しあい、誘発されて、切磋琢磨していこうとすることで、新しい地域活動の拠点ができるのではないかと感じられた。それは、おそらくどちらか一方では成り立たなかったもの。映像メディアの拠点だけでは地域の賛同は得られず、孤島になってしまったはずだ。町内会館に加わるものもまた、積極的に情報を発信していく映像文化(メディア)であった功績は大きく、それらは野毛の街の魅力を全国に開いていくことだろう。つまり、かつての黒船が日本と言う国の鎖を解いたように、野毛の街もまた囲いをはずすべきときが来たということだ。すでに新しい一歩を踏み出した野毛はどうなっていくのだろうか。その答えは、「野毛Hana*Hana」からの次の一手にかかっていると言えそうだ。
立石沙織 + ヨコハマ経済新聞編集部