横浜出身のレゲエグループ「MIGHTY CROWN (マイティークラウン)」 は、MASTA SIMON(マスタサイモン)、SAMI-T(サミーティー)、COJIE(コウジ)、SUPER‐G(スーパージー)の4人のメンバー(プラス海外メンバーのNINJA)からなる、地元・横浜をベースにアメリカやカリブ諸国など世界で活躍するレゲエグループ。彼らの活動で最も有名なもの、それが「横浜レゲエ祭」というレゲエフェスティバルだ。
昨年9月5日に開催された「横浜レゲエ祭2009」でレゲエ祭は15周年を迎え、横浜スタジアムに場所を移してすでに4年目、例年通りチケットは完全ソールドアウト、今年も3万人もの観客を動員し大成功で幕を閉じた。Mighty CrownのリーダーであるMasta Simonさんにまず、率直に「横浜レゲエ祭2009」を終えての感想を伺った。
「ストレートにやり続けてよかったなって思う、なんの後悔なく、ここまで来ることができた。途中、いろんな出会いと別れを経験したんだけど、やっぱり15年やり続けてよかった、自分たちのやってきたことが間違いじゃなかったという、その証明になったと思う」(Masta Simonさん)。特にその15年間の積み重ねを象徴していたのが、イベントの最後に歌われた「横浜レゲエ祭2009のテーマ~The Celebration~」であろう。今回は、同じく地元横浜を拠点に長らく音楽活動をしてきたCRAZY KEN BANDから横山剣さんがゲストとして登場するなど、例年にも増して地元感を強く感じるパフォーマンスだったとMASTA SIMONさんは語る。
「途中で剣さんが入ってきて、より横浜感というか地元感が強くなったと思う。レゲエ祭1年目で剣さんが現れることはあり得なかったし、これまでの14年があってやっと剣さんと一緒にやることができた。それはオレたちとっても大きな意味があることでしたね」。また、会場を横浜スタジアムに移して4年目になるが、ステージから見ていて感じる風景にも若干の変化があるそうだ。「若干、お客さんも若くはなってるのかな、特に前(アリーナ)にいる人は、10代、20代前半くらいが多くて、スタンドの方には結構30代とかもちらほら。あと、子連れで来てるお客さんもすごく良く見ますね。元々は地元の友達でレゲエ祭を始めたときは色々な事情で見に来れなかった友達とかが、15年経って結婚して、家族を持って子供と一緒に見に来てくれるっていうのはすごく嬉しい。そういう意味でもやり続けてよかったなって改めて思いますね。それが一つのキッカケになって、人を引きつける力があるのかもしれないですね」
「横浜レゲエ祭」15周年でテーマ曲-ミュージシャン総勢15人(ヨコハマ経済新聞)
第1回の横浜レゲエ祭がスタートしたのは、MIGHTY CROWN結成から4年後の95年。メンバーが入れ替わりで海外へ行き来する中、夏はメンバーが横浜に揃っていることが多かった。じゃあ、その時に何かできないかと企画したのが横浜レゲエ祭だったという。現在でこそ、横浜スタジアムで3万人もの観客を動員するほどの一大イベントとなった横浜レゲエ祭だが、始めた当初に現在のような状況は予想できたのだろうか?
「全く予想してなかった。みんな海外に行ってて夏にしか集まらないので、集まった時になんかしようかってことで始めて、深いことは何も考えずにとりあえずなんかしようって軽い気持ちで始めたんです。それで、やり終わったら自分達なりにすごい手応えがあったし、お客さんもみんな満足してる、これはおもしろいっていう雰囲気が感じられたんだよね。そういうのってやっぱり現場でやってるとわかるんですよ。関係者も含めて全員がそんな気持ちで、じゃあまた来年もやろうかってことになって、やるんだったら去年と同じようなことしても意味ないよねと。毎年新しいことを取り入れて徐々に変化していった感じ。当初は小さなライブハウス(CLUB24)でお客さんは150人だったんだけど、それでもかなり入ったなっていう印象でしたね。でもほとんどが知り合いというか、半分は見たことある人だったんだけど(笑)。チケットをメンバーみんなで売りに行って、本当にチケットもフライヤーも手作りでやってましたね」と15年前を振り返るMasta Simonさんだが、当時の経験などは規模が大きく変化した現在のレゲエ祭にも大きく影響しているようだ。
「やっぱり、去年成功したことが今年も成功するとは限らない。去年この曲受けたのに、今年は受けないなとか、やっぱりお客さんも毎年変わるわけだから。細かい何かの変化があるんですよね。去年の失敗を今年はプラスに変えないといけないっていうのはいつも意識してること。何で失敗したんだとか、例えば、受付で何がよくなかったかとか、フライヤーはもっとこうすれば人の目についたんじゃないかとか、全部自分達で細かいところまで関わってきた。普通ならフライヤーのことはフライヤーの人に任せちゃうと思うんですけど、オレたちはそれはしない。自分達で全部、フライヤーのデザインから、どこに置くか、バーテンの数まで自分達で本当に細かいところまで決めていく。元々、最初からそうしてきたからね」(Masta Simonさん)。
このようなDIYの精神が15年の年月を経ても変わらず生き続けていることが、お客さんを飽きさせずレゲエ祭を毎年拡大してきた理由の一つかもしれない。また、レゲエ祭に限らず、一年中、海外国内を問わず大小のパーティー、いわゆる「現場」を沸かしてきた彼らなりのスタイルの一つとも言えるだろう。
いよいよ始まる「横浜レゲエ祭2007」 今年のテーマ“THE ReBIRTH”に込められた思い(ヨコハマ経済新聞)
では、次に少し角度を変えて、レゲエ祭の開催にも大きく関わり、現在でも横浜をベースに活動するMighty Crownと地元の仲間との繋がりについて伺った。とかくレゲエや後にも紹介するヒップホップカルチャーには、「自分たちの地元」に対する強い愛情が感じられる。それは、日本中だけでなく世界を舞台に活躍するMighty Crownが今でもなお横浜を拠点に活動していることからもわかるだろう。自分たちの地元である横浜、そこで彼らはどのように仲間と繋がり、コミュニティーを広げてきたのだろうか。
「10代からのつながりっていうのは多いですね。横浜のストリートでオレら世代ではスケボーか、BMXか、ローラースケートが流行ってて、みんな山下公園とかで遊んでたんですよ。平日は学校終わってみんな集まってスケボーする感じで、週末は学校とか関係なくこの辺(山下公園、中華街周辺)に集まってくるし、その友達もっていう感じでだんだんいろんな人とつながっていきましたね。それで一緒にクラブに遊びに行ったりして、友達からあのイベント面白いらしいよとか聞いて遊びに行ってた。当時はとにかく情報が少なくて、携帯もないしインターネットもなかったから、人間同士の感覚というか、自分で体感したことが人伝いに伝わっていく感じがありましたね」(Masta Simonさん)。
そうしている間にレゲエと出会い、数年を経てMighty Crownとしての活動を始めていくことになるのだが、先にも出たヒップホップとの関わりは現場レベルでは盛んにあったそうだ。「ちょうど10年、11年くらい前(98年当時)、横浜ベイモンスターっていうイベントが『サーカス』(現在閉店)っていうクラブであって、そのあとは『ヘブン』に場所を移して、2~3年くらいヒップホップの連中と一緒にイベントやってました。その時は『風林火山』とか『オジロザウルス』とかと一緒にやってましたね」(Masta Simonさん)。
当時はレゲエもヒップホップも今程の認知度はなかった。その中で横浜のシーンに限らず一般的に、メジャーシーンでも先にヒット曲を生んだヒップホップの方がレゲエに比べて一足先に認知度が高まったように思う。やがてMighty Crownの影響もありレゲエの認知度も次第に高まって行く中で、それぞれのシーンは互いに、同じ横浜の地で成長していくこととなる。そして現在、再び横浜のレゲエとヒップホップが交わったイベントがあった。それが12月19日に横浜 BLITZで行われた『045 Connection』というイベントだ。
「ヒップホップのアーティストたちとしばらくずっと一緒にやってなかったので、今回またやってみたらおもしろいんじゃないかなと思ったんです。その時は『DS445』とも一緒にやってなかったので今回はやろうってことで。レゲエとヒップホップって兄弟の音楽だと思うし、お互い横浜代表としてやってるから、上手くリンクしてやったらまた新鮮で面白いんじゃないかと思って、オレからみんなに声かけました。ヒップホップもレゲエもガッチリつながってやってるよっていう横浜のスタイルをこれからも見せたいですね」
これまでにも見てきたように、彼らの音楽活動において未だに地元横浜と、その地で築いた人と人との繋がりが大きく関わっていることがわかる。そんな中でも、同じく昔からMighty Crownの兄貴分として横浜のレゲエシーンを支えてきた「Banana Size」のメンバーでもあるMasa Irieこと小島賢輝さんがプロデュースしている「Jamming Music Station」を以前に本サイトのヘッドラインニュースとしても取り上げたことがある。
当サイトは横浜発の年代を問わない音楽ファン向けのSNS(ソーシャルネットワークサービス)サイトとして昨年1月にオープンした。独自に製作するレゲエやヒップホップなどのミュージシャンを招いた生放送の音楽番組や、音楽イベント・ライブ映像、インターネットラジオ放送を楽しむことができるのが最大の特徴だ。プロデューサーの小島さんはこう語る。
「番組をやっていても、アーティスト同士のラフな関係というか、そういうゆるい空気がスタジオを包んでいて面白いですね。構成や一応の進行は決めるけど、あんまりカチカチに決めすぎないことは意識しています。当然そうなると話がどんどん脱線して別の方向にいっちゃうんだけどそれがまた面白い。呼んでないのに近くまで来たからってふらっとスタジオに入ってくる人もいますから(笑)」。
レゲエやヒップホップといった「現場主義」の強く残る音楽において、アーティスト同士が普段どういった会話をしているのか、またどんなことを考えているのかを映像を通してリアルタイムで見ることができるメディアというのはこれまでにもありそうでなかった。また、これからの展望についても「若いアーティスト同士やベテランもそうだけど、いろんなアーティストがコミュニケーションをとって横のつながりやリスナー、ファンの人達とのつながりを生み出すようなメディアになればいいと思う」と小島さんは語る。
またJamming Music Stationの番組にも度々出演しているMasta Simonさんも「そうやって昔から一緒にやってきた人達が、今も横浜で何か新しいことをしようとしているのは嬉しい。Masa Irie(小島さん)とのつながりはマイティークラウンを始める前からで、それこそオレらがスケボーやってるころだから、20年来のつながりですね。それ以外にも昔から知ってる人が横浜には本当に多くて、10年、15年知ってる人がいっぱいいるし、この関係を続けてこれたのは嬉しい。他の地方とか行っても同じクルーで15年とか続けてるクルーはあんまりいないですよ。横のつながり、ファミリー的なつながりには本当に感謝です」と語る。
また、このような横のつながりだけでなく、縦のつながりもシーンを維持していく為の大きな原動力一つだろう。「オレらは体育会系のような、思いっきり縦の関係じゃないけど、年とか関係なく自然と寄ってくる奴は寄ってくる感じですね。こいつ頑張ってんなって感じたら今度チャンスやるよって、オレらもそうだったし、年とか全然関係なくつるんでましたよ。何らかの先輩後輩っていうのはもちろんあるけど、やっぱり大切なのは姿勢の問題」(Masta Simonさん)
横浜発音楽ファン向けSNSサイト-レゲエ・ヒップホップ生番組も(ヨコハマ経済新聞)
最後にMasta Simonさんから、2010年の横浜レゲエ祭のビジョンに関してコメントを頂いた。
「2010年に関しては具体的にはまだ何も決まってない。でもイメージはゼロから。1回目を始めた時はここまででかくしようとは思ってなくて、面白いから来年につなげようってだけだったんだけど、それがどんどん広がって、小さい箱から大きい箱へ、じゃあ次は野外だって感じで。途中からどんどんでかくしようと思ってやってきて、それで夢の横浜スタジアムにきた。そこで4年連続でチケットをソールドアウトして、じゃあ次は何だってなった時、オレらは逆を行こうかなって思うようになりました。普通だったらもっと大きい箱って考えると思うんだけど、大きくするよりは内容を濃くしたいと思うようになったんです。最近は大きくなることがレゲエが広まるってことでもないのかなって思うようになってきたから。ステージ側から見ていて、普段クラブでかけたらみんな歌うような曲をレゲエ祭でかけても半分、下手したら7割くらいのお客さんが知らないような状態があって、そのギャップを縮めたいんです。例えば1曲かけたらその曲をレゲエ祭に来てるお客さんみんなが知ってる状態というような。それが1万人になるのか8千人になるのかは現時点で何も決まってないんですけど、人数は減らすつもりです。そして、いつかまたスタジアムには必ず戻ってくる」
今回の取材を通じて強く感じたこと、それはMasta Simonさんの地元横浜への思いと人と人との繋がりの大切さだった。Masta Simonさんも「自分の地元がどんなところであろうと、胸張って地元を誇れる奴はカッコいいよ」と語るように、レゲエ祭の、そしてMIGHTY CROWNの打ち出す横浜スタイルは、これからも新しいつながりを横浜から世界へ生み出していくはずだ。
「横浜レゲエ祭2009-15周年-」DVD発売-歴史をたどる特典映像も (ヨコハマ経済新聞)
中西章人 + ヨコハマ経済新聞編集部