横浜市は、平成18年に策定された「横浜市中期計画」でソーシャル・アントレプレナー(社会起業家)起業支援の創出を施策の柱の1つとした。
「市では、それ以前からコミュニティビジネス支援の事業を行っているんです」と横浜市経済観光局経営・創業支援課の市川悦雄課長は話す。コミュニティビジネスとは地域資源を活かしながら地域課題の解決を「ビジネス」の手法で取り組むもの。数多くあるソーシャルビジネスの形態の一つとして捉えていいだろう。
「市としては財源不足もあって、税収を子育てなどに十分に回せなくなってきたという状況もあります。これからは子育てや福祉の社会的課題の解決を民間の力でも補ってもらっていくような形を作っていかなければならない。こうした動きは、行政の都合だけではなく、既に民間からもそういった波が広がっていたんです」と市川課長。
平成19年からは横浜ベンチャーポートなどの民間のノウハウを活用して起業支援を開始し、昨年からは社会的事業の立ち上げを支援する「NEC社会起業塾」のオフィシャル・パートナーとして社会起業家をサポート。また、社会起業家のスタートアップ資金を提供する助成金制度も開始している。
市川課長は「将来的には『NEC社会起業塾』の横浜市版を作りたいと考えています」と語る。NEC社会起業塾は実践型インターンシップ・起業支援などを行うNPO法人ETIC(東京都渋谷区)とNEC(東京都港区)が協働で開催しているプログラム。多数の社会起業家を輩出しており、実績は十分。横浜市は社会起業家の育成に本腰を入れている。
NPO法人ETICの田中多恵さんは「横浜社会起業応援プロジェクト」のプロジェクトリーダーだ。同プロジェクトは横浜市経済観光局より委託されたもので、ミッションは横浜市内にソーシャルビジネスの担い手を増やし、次世代を育て、その関係性をつくっていくこと。現在主に3つの事業を展開している。
・人的支援
やる気のある学生と経営者や社会起業家をつなぐ事業。起業の夢を抱いていたり、やりたいことを探している学生に、インターンシップ生として、ソーシャルプロジェクトに参画してもらう機会を提供。企業経営者にとってみれば、プロジェクトを強力に推進するパートナーとなる学生と出会うことで事業推進のきっかけとなる。
・育成支援
社会起業家の成長ステージに応じた育成支援。「NEC社会起業塾」など。
・ネットワーク支援
イベント「YOKOHAMA SOUP」の開催など、学生、起業を目指す人や種を持っている人と経営者・起業家をつなぐネットワーク化事業。
これまでの創業支援は研修やセミナーで知識の伝授をするという手法が多かったが、実際起業するうえで一番のカギとなる経営者のネットワークや人脈、ビジネスの機会。これらを個別にセッティングしていくのが同プロジェクトの手法。田中さんは一人一人膝を突き合わせて話をする。個人の意見を出来るだけ拾おうとする。人と人をつなごうとする。民間だからこそ出来る、血の通った起業支援と言えるのではないか。
もともと田中さんは大手企業「リクルート」に勤めていた。法人向け組織・人材開発コンサルティング営業に従事していた頃のことを「仕事は楽しかったが、地域活性や人材育成を専門的にやりたくなった」と話す。
田中さんは大学時代に長野県のとある旅館で「旅館を元気にする」というETICのインターンを経験した。60歳くらいの旅館のオーナーが自分の話に真剣に耳を傾けてくれたことや、自然塾を開催するなど一緒に活動できたこと、そしてインターンが終わるころにはオーナーのやる気が少し上向いた感があり、そこに少しでも自分が介在できたことが嬉しかったという。この体験が田中さんの原点となっている。
横浜に馴染むため、横浜市鶴見区に在住。プロジェクトリーダーとなってから1年が経つ。
「横浜市は区によって景観が異なり、観光地も工業地帯も緑もベッドタウンもある。自然環境や地形もそうですし、文化や産業も多様性をもった都市だと思うんです。それだけに各地域によって抱えている社会問題が多様で山積みされている。また、東京とは違う地域性がある。『横浜のために、ハマっ子のために一肌脱ぎたい』と言ってくれる経営者の方がとても多いです。横浜はソーシャルビジネスの先進事例になりやすい土地柄なのではないかと思っています。むしろ、そうしなければならない」
若い世代はこういった動きをどのように考えているのだろうか。田中さんによると、最近「社会起業家になりたい」という学生が増えているのだそうだ。「私たちは、単に社会起業家になりたいと憧れをもつのではなく、具体的に解決したいテーマを見つけ、主体的に動き出せる学生にこそ積極的に機会を提供したいと思っています。社会起業家になりたい、とだけ言われても、困ってしまうというのが本音です」と田中さん。
NEC社会起業塾第8期生の山田貴子さんは株式会社WAKU-WORK(横浜市緑区)の代表だ。
山田さんはたまたま訪れたフィリピンのストリートチルドレンなどの貧困問題を目の当りにした。「この環境をどうにかしたかった」という山田さんは、フィリピン人の英語能力に着眼する。
「フィリピンは10万以上の団体がある『NGO大国』なんです。しかし、NGOは今いる子どもたちの支援で精一杯。彼らが自立するために起業を決意しました」と山田さんは話す。WAKU-WORKの英語講座は、インターネット通信「スカイプ」でフィリピン・セブ島にいる現地のフィリピン人講師と会話をする仕組み。平日に毎日25分間話しても月額5000円と、格安料金が売りだ。
眼前に広がっていた問題を「なんとかしなきゃ」と、頭より先に体が動く。そういった人物には自然と協力者が集まってくるものだ。山田さんは実家の湯河原と学生時代によく遊んでいた横浜を拠点にしてネットワークをつくり、人からアドバイスをもらいながら昨年9月に事務所を借り、10月に会社を興した。「横浜の人は外人気質みたいなところがあるような気がする。一緒にやろうと言ってくれる人が多いんです」と山田さんは話す。
話を聞いていると、まさに「ソーシャルビジネス」の典型だ。しかし山田さんは「起業するまで、そんな言葉を知らなかったんです。いろんな方に話を聞いているうちに知りました。むしろ私はそういったくくりはどうでもいいと思っている」のだそうだ。
山田さんは今、横浜や湯河原の観光に英語を取り込もうと目論んでいる。「日本は英語が分からずに観光業に従事している人が多いと思う。それってビジネスチャンスを逃していると思うんです。そういった地域活性にも取り組んでいきたい」と夢を語る。
先代の仕事を引き継ぎながらも、ソーシャルビジネス事業を立ち上げている経営者もいる。
大川印刷(横浜市戸塚区)は、「ソーシャルプリンティングカンパニー」という独自のビジョンを掲げ、植物性インキや森林認証紙の活用で環境負荷を削減、色覚障がいを持った人にも識別できるようなデザインの製作など、本業を通じた社会貢献を実践している。その取り組みが認められ、2005年12月、第8回グリーン購入大賞において印刷会社としては初の大賞を受賞した。
6代目社長の大川哲郎さんは、以前横浜青年会議所で「社会企業家の調査研究」に取り組んでいたころ、「あなたの会社がなくなったら、あなたのお客様は本当に困りますか?」という言葉に出会い、ハッとした。「今まで人にありがとうと言われるような仕事をしていたのか。会社は何のためにあるのか。突き詰めないといけない」大川社長はそう思ったのだそうだ。
今、大川印刷では絵文字でアレルギー食材の有無を表記する「食品ピクトグラム」の普及に取り組んでいる。きっかけはインターンシップに来ていた学生の着想だった。メニューを見れば食材情報が誰にでも分かるよう、ユニバーサルデザインの開発に着手。今年11月に横浜で開かれるアジア太平洋経済協力会議(APEC)首脳会議で訪れる外国人向けの提供を目指している。
「印刷会社は仕事を受注して、プリントをすることで初めて仕事として成立する。印刷の本当の目的はその先にある。これからも社会に必要とされる事業を行っていきたい」と大川社長。
建築・解体業などを営む野澤組(横浜市南区)では、ネパール国カトマンズ都市計画の設計事業を機に、ネパールにおいて農業を中心とした環境事業を展開する。1日2ドルの収入しか得られないネパールの女の子たちが、自分たちのために一生懸命、歌や踊りで歓迎してくれたことに端を発しているのだそうだ。
「こういった事業で報酬を獲得するにはとても時間がかかります。立ち上げの段階ではほとんど収入にはなりません。ですが会社のため、従業員のためにもなる事業だと思ってやっています。それだけではなく、具体的な目標を立てて形にしていくことが大事だと思っています」と野澤社長は話す。
ソーシャルビジネス事業を収益に結びつけるにはそれ相応の苦労がいる。ただ、企業として成長するために得るものは大きい。
3月27日に開催された「ヨコハマ・ソーシャルビジネス・フォーラム2010」では、横浜で活動する数々の社会起業家が登壇した。参加者で目立ったのが若手社会人や学生。将来何をやりたいか定まっていない学生や社会起業を興したいという会社員など、多くの人で会場の席が埋め尽くされた。
イベントに参加して感じたのは、「社会起業」または「ソーシャルビジネス」という言葉を意識している人が意外に少なかったこと。また、社会問題を目の当たりにし「この人たちを助けたい」という思いをきっかけに行動した起業家が多かったような気がする。
「売り手よし、買い手よし、世間よし」。いわゆる「三方よし」の理念は江戸時代の近江商人に由来する。異境を行商してまわり、異国に開いた店を発展させようとする近江商人にとっては、もともと何のゆかりもなかった人々から信頼を得ることが肝心だった。その他国商いのための心構えを説いた近江商人の教えが、現代では「三方よし」という言葉に集約して表現されるようになったのだそうだ。
「ソーシャルビジネス」は流行の言葉のように感じるが、「商売の理念」としては昔から言われていた概念だ。ビジネスと社会貢献は建前ではなく、企業としては両立させるべきものと考えるべきなのではないか。
イベント後に行われた交流会では、起業を目指しているという若い世代から「どのように起業までに至ったか、具体的な話を聞けて面白かった」という声を聞いた。確実に若い芽が育っている。彼らが次々と新しい「ソーシャルビジネス」を立ち上げる、そんな未来もそう遠くはないのかもしれない。
横浜社会起業応援プロジェクトが「ソーシャルビジネス」フォーラム(ヨコハマ経済新聞)
梶原誠司 + ヨコハマ経済新聞編集部