1853年、浦賀沖にペリー提督が率いる4隻の黒船が現れたのをきっかけに、翌1854年に日米和親条約締結、1858年には日米修好通商条約が横浜で締結され、1859年6月2日に横浜港は開港した。同時に長崎と函館、その後新潟と神戸も開港を迎える。230年の長きに及ぶ日本の鎖国の時代は、黒船とともに訪れた激動の時代の中、来航から6年後に幕を下ろした。そして横浜港の開港日は近代日本の黎明の日であると同時に、横浜が日本を代表する港町として産声をあげた日であるともいえる。6月2日は文字通り横浜の誕生日であり、横浜市民にとって特別な日なのである。
現在の横浜を知る人にとっては想像できないことかもしれないが、当時の横浜は戸数にして80戸、半農半漁の小さな村であった。当時ペリーの通訳として同行していた宣教師の記述よれば、「畑はよく耕されているが、住まいを見ると豊かではない。道ばたには糞尿の肥料を入れた桶が並んでいるため、村には悪臭がにおっている」という風景だった。
当時、横浜でなくとも長崎や神戸などすでに港として発展した町があったことに加え、国際的な慣例として、幕府のある江戸で条約を結ぶのが筋であるとペリーは主張したという。にもかかわらず、なぜ江戸幕府はまだ拓けていない横浜を締結の場所として選んだのか。ひとつには、幕府のある江戸に外国人を入れたくなかったということがある。そしてもうひとつには、東海道沿いを避けることによって、外国人と日本人の接触によるトラブルを避けたかったという意図もあった。
幕府がアメリカをはじめ、オランダ、ロシア、イギリス、フランスの5カ国との貿易の玄関口として横浜を選んだことにより、寒村であった横浜は江戸幕府主導のもと、貿易港として急ピッチで整備されることとなった。その総予算は9万6千両。現在の貨幣に換算すると約15億円をかけた大規模なプロジェクトであった。
横浜の発展に尽力したのは幕府だけではない。民間人で初期の横浜の発展に貢献した人物として、高嶋埠頭や高島町の名付け親でもある高嶋嘉右衛門が挙げられる。彼はガス灯の免許を巡ってドイツ領事と競り勝ち、埋め立て事業で鉄道敷設用地を献上することで鉄道建設にも貢献した。やがて街の整備とともに国内外から多くの人が集まり、先端の西洋文化を採り入れる街として、横浜は新たな産業や文化の発信地となった。このようにして横浜は物的資源や技術、文化の交流地点となり、文明の交差点の街として急速な発展を遂げることになる。
横浜港開港時には特に大規模な式典やお祭りは行われなかったようだが、翌年1860年6月2日に洲干(しゅうかん)弁財天で祭礼が行われた。山車や手踊りが練り歩き「異国人に御国振りの誇りを示す為め新興横浜の天地を轟かした(横浜市史稿より)」というほどの盛り上がりだったようだ。これが最初の横浜開港祭と言えるだろう。
開港50周年である1909年(明治42年)には記念行事が盛大に行われ、港に停泊する各国の軍艦が祝砲を放ち、夜にはイルミネーションが輝いた。また、市民からの寄付金で横浜市開港記念会館が建設された。明治の文豪・森鴎外が作詞を担当した横浜市歌が発表されたのもこの日である。開港100周年の1958年(昭和33年)には、平和球場(現横浜スタジアム)に皇太子殿下をお招きし、記念式典を開催。この年には横浜マリンタワーも建設されている。
しかし、節目毎には盛大な式典を行ったものの、毎年の開港記念祭が今の形になるには、もう少し時を待たなければならない。その原型となったのが「横浜どんたく」である。「どんたく」という何となく賑わいを感じさせる語感のこの言葉は、元はオランダ語で日曜日のことを指すzondag(ゾンタク)が語源だ。ちなみに午前中で仕事が終わる半ドンという言葉も半分休日という意味でzondagに由来している。
横浜開港祭の前身となる「第1回横浜国際デー"プレ横浜どんたく"」がスタートしたのは1981年。山下公園で開催した5万人ほどのお祭りだった。「横浜どんたく」は年々その規模を拡大し、第12回目からは「横浜どんたく開港祭」、14回目からは現在の「横浜開港祭」へと名称を変えて現在に至る。最初は5万人規模のイベントであったが、年々集客数を伸ばし、今年は3日間で80万人の集客を見込んでいるという。その魅力は一体なんだろうか。
開港150周年アーカイブ 開港150周年までの歴史 これまでの主な周年記念事業(横浜市)
横浜開港祭協議会は横浜市、横浜商工会議所、横浜観光コンベンションビューロー、横浜青年会議所の4つの組織から成り立っている。開港祭実行委員として、運営面の中心となって活動している団体は、若手の集まる横浜青年会議所だ。同会議所は、横浜市在住の20~40歳の青年が集まる団体であり、「修練」「奉仕」「友情」の3つの理念のもと、会員相互の啓発と交流、地域への奉仕活動を活動の主としている。実行委員会約70人全員が横浜青年会議所のメンバー。当日参加のボランティアも含めると、約300人の有志で運営されることになる。
今回取材に訪れた横浜開港祭実行委員の事務所は、開港祭直前の活気に満ちていた。今年の横浜開港祭実行委員長を務める高見澤尚弘さんは、「今年は3日間開催ということで、来場するチャンスも多いと思います。ぜひ会場に足を運んで頂き、横浜の持つさまざまな魅力を感じてもらいたい」と抱負を語る。
広報活動では、ラジオやテレビ、新聞・雑誌などのメディア対策、ウェブサイトの充実、街頭でのキャンペーン活動に力を入れている。昨年のウェブサイトへの総アクセス数は48万6,572件。特に開港祭直前の5月になると、4月のアクセス数と比較し2倍以上の21万6,217件まで伸びた。
メディアへの出演や街頭キャンペーンを担当するのは、横浜開港祭親善大使と呼ばれる、70人近くの応募者の中から選抜された12人のキャンペーンガール達だ。今年は横浜市内にある全ての駅でチラシ配りを実施し、都筑区や青葉区などのベイエリアからは遠い地区の横浜市民への集客も熱心に呼びかけている。市民からの反応も上々で、キャンペーン活動を通して直接市民との交流を持つ機会にもなっている。テレビ番組やラジオなどのメディアへの出演も、親善大使の重要な役割だ。テレビ神奈川などで放映される番組でも、彼女たちの元気な笑顔を見ることができるだろう。
横浜開港祭の予算の多くは、企業協賛によって賄われる。開港祭総務委員会の主導のもと、横浜市内および神奈川県内を中心に活動を行い、協賛を募る。協賛企業に関しては、神奈川最大規模のお祭りの中で、CSR活動などの企業PRすることでブランドイメージを高めることができる。好評なものとして、開催期間中に配布されるオフィシャルガイドへの広告掲載、ステージに設置する看板、オフィシャルサイトへのバナー広告の掲載、ステージイベントや花火を特等席で観ることのできる特別観覧席のチケットの購入などがある。
一方、規模の大きいイベントで課題になるのが、大量に出るゴミなど環境面の問題だ。横浜開港祭では、会場内にエコステーションを設置し、ボランティアによるゴミ分別の普及啓蒙活動を行っている。また、円形プラザでは子どもを対象にエコキッズパークを実施。小型水族館も作り、講師による生態系や水質に関する講座を子ども向けに分かりやすく行う予定だ。
横浜開港祭による地域への経済効果についても補足しておこう。高見澤さんの話によると、「開港祭のウェブサイトへのアクセス数と来場者数はほぼ比例していますので、開港祭をきっかけに遠方から横浜へ足を伸ばす人が増えたという感触は強いです。これは実際に商店街の方々から伺ったお話からも確かなことだと思います」とのことで、かなりの経済効果があることがうかがえる。
さて、今年も横浜開港祭は見どころ盛りだくさんだ。催しはマリンイベント、ランドイベント、そしてステージイベントと、大きく3つに分かれている。マリンイベントでは、京浜フェリーボート(横浜市中区)所有の観光船ローズに100円で乗れる「ローズ横浜湾内クルーズ」、海難救助をテーマとした公開訓練や各官公庁の船艇による官公庁艇パレードなど、海に親しんでもらうイベントが目白押しだ。
体験型のイベントを中心としたランドイベントでは、地域のスポーツクラブの主導でスポーツを体験できる「親子青空スポーツクラブ」、小動物たちに直接触れることのできる「ふれあい動物園」、開港以来海外の食文化をいち早く採り入れてきた横浜ならではの「Yokohamaスウィーツパラダイス」などが行われる。横浜市内の菓子店が腕を競い合うスウィーツパラダイスでは、会場で試食券を購入し、横浜を代表するスウィーツを選ぶ投票に参加することもできる。
フードエリアのワールドキッチンでは、タイ料理、インド料理、中華料理など、国際色豊かな出店が15店出店する予定だ。臨港パーク入り口の開港ストリートでは、企業ブースを中心に横浜発祥の品物や文化の紹介、物販などが行われる。シウマイの崎陽軒、焼き菓子の横濱ハーバーなどが出店する予定だ。
気になるメーンステージイベントの今年のゲストは、横浜出身アーティストの杉山清貴さん。他にもこれから売り出していく若手のアーティストのライブが行われる。音楽ライブ以外に注目を浴びそうな出し物としては「横浜Bar'sデー150」がある。横浜発祥と言われるバーが今年で150周年を迎えることにちなんだイベントで、横浜のバーテンダーによるカクテルショーがジャズライブとともに披露され、「YOKOHAMA」 「BAMBOO」などの横浜発のワールドスタンダードカクテルなど、150種類のカクテルづくりを披露する。
また、2008年にアフリカ開発会議が開催された横浜で、サッカーワールドカップの開催地ともなっているアフリカを知ってもらう「Hello!アフリカ」では、不要となった子ども靴の寄付を募り、現地の子ども達を支援するキャンペーンを行う。これは現地への支援活動に繋げるとともに、日本の子ども達にも物の大切さや世界の現状を知ってもらうことも目的としている。
その他にも、約1,000人の横浜市民が歌う「横浜銀行ドリームオブハーモニー」、横浜市小学校音楽教育研究会主催で、小学校選抜チームの合唱部3校とマーチングバンド1校による「エンジェルコーラス」などが予定されている。みなとみらいのクイーンズステージパークでは、市民有志の企画・運営により、オーディションを通過した市民のダンスパフォーマンスや、ライブ「YES!」(Yokohama Entertainment Showcase)が開催される。
そしてフィナーレは毎年恒例となったビームスペクタクル in ハーバー。3,000発の花火とレーザーライト、スモークや音楽による幻想的な演出で、イベントのクライマックスを飾る。
今年の開港祭の様子は、自宅からインターネットで見ることもできる。横浜開港150周年を契機に開局した市民によるインターネット放送プロジェクト「Y150横浜市民放送局」の協力により、「横浜開港祭ボランティアテレビ」も運営される。開港祭の市民ボランティアが、自分たちの視線でUSTREAMやYOUTUBEなどの動画配信の仕組みを使って、開港祭を紹介する。
多くの人や組織が関わり、莫大な予算規模で毎年行われる開港祭。イベントの裏方は開催までの毎日が戦争である。そのエネルギーとモチベーションはどこから来るのであろうか。「一言で言えば横浜の街が好きで、横浜開港祭が好きだからだと思います。横浜を愛するみんなの思いが一つになっていることが、大きな原動力となっています」と高見澤さんは語る。地元の人たちが強い郷土愛を持つ地域ほどお祭りが盛んだ。横浜も例外ではない。開国の歴史とともに発展し、新たな文化を発信し続ける横浜に対する誇りと愛情こそがハマッ子気質なのだろう。そして、港から大海を臨むかのように、実行委員達の目線は未来をも見据えている。
今後の構想についてお話を伺ったところ「希望としては、横浜市民で作り上げる全国に誇れる市民祭の実現。また、開港祭で横浜と同時に開港した他都市の紹介や交流ができればいいですね」と、次なるビジョンを語ってくれた。横浜と同時に開港した函館、新潟、神戸、長崎の4つの港の開港祭とのコラボレーション。夢は広がる。
横浜開港祭は未来進行形だ。この祭を通して横浜の151年の歴史に触れてみるとともに、地域を盛り上げていく横浜の市民力を感じてみてほしい。
【参考文献】
横浜神戸二都物語(朝日新聞横浜支局 朝日新聞神戸支局 共著)
横浜謎解き散歩(谷内英伸 著)
横浜船と港ものがたり(宮野力哉 著)
※1,000両(1859年時)=1,563万円
「横浜開港祭」で3,000発の花火-杉山清貴さんライブも(ヨコハマ経済新聞)
横浜開港祭で横浜発スイーツを発信する「スウィーツパラダイス」(ヨコハマ経済新聞)
高橋未玲 + ヨコハマ経済新聞編集部