三浦 飯田さんとの出会いは、20年ほど前、私が教師を辞めて出版社に勤めようとしていたころでしたね。
当時、伊勢佐木町のオデヲンビルにあった「先生堂」という古書店に大量の本を引き取ってもらった時、車で自宅まで取りに来てくれたのが飯田さんでした。
飯田 『斎藤喜博全集』などお売り下さいましたね。
三浦 その後私の勤めていた出版社は倒産し、1999年に春風社を立ち上げました。そして今から数年前、また本を整理して売ろうと電話をしたところ、先生堂はもうなくなっていました。電話番号をそのまま引き継いでいた飯田さんが「伊勢佐木書林」として、古書販売を続けられており、再び出会うこととなりました。
飯田 伊勢佐木書林は6年前に先生堂を引き継ぎ、屋号を変えて始めましたが、実は残念なことに昨年(2011年)末に閉店しました。ですから、こういった対談をさせてもらうには最悪のタイミングかもしれません(笑)。ただ店は閉めましたが、これからも古本を商っていこうと考えています。
三浦 まず、飯田さんが古書を扱う仕事に就いたきっかけを教えて下さい。
飯田 昔は社会学が好きで、社会学者の加藤秀俊さんにあこがれていました。加藤さんが一橋大学の出身だったので私も志望しましたが、偏差値の高い大学なのでなかなか難しく入学を諦めました(笑)。
そこで3カ月ほど書店でアルバイトしてみようかな、という程度の軽い気持ちで28歳頃にこの業界に入ってみたのですが……。居着いてしまったという感じですね。もともと古書店めぐりが好きだったのですが、最初に働いた書店の経営者が、色々現場を任せてくれる人だったので、実験的な取り組みも出来ましたし、古書店にしては珍しく社会保険など働く環境も充実していたので続いたということもあります。結局、肌に合ったということでしょうね。
三浦 本を買い取ってもらう時に、飯田さんは本を手に取って触ったりページをめくったりしながら「これ、ああ……」などとボソボソっとコメントをつぶやかれます。その様子を見ていると、本当に本がお好きなのだなと思います。
私は売る立場なので少しでも高い買値だと嬉しいのはもちろんですが、やっぱりその本の価値をわかっている人に買ってもらいたいという気持ちがあるので、飯田さんの本の扱いを見ていると「ああ、よかった飯田さんに買ってもらえて」と安堵します。本をひもで束ねる時にも、本を傷つけないように余裕を持たせて、かつほどけない結び方をなさっていますね。
飯田 本を束ねるという作業を何万回もしているせいか、人の引っ越しの手伝いでは「縛り方がうまい」と喜ばれます(笑)。きつく縛ることも出来ますが、本をいためないようにしなくてはと真っ先に考えますね。本を差別するわけではないのですが、重要な本は真ん中に入れて、そうでもない本の間に挟んでいます。
ただ駄本というのは、基本的にはないと思っています。どんな本でも誰かが欲している。一行でも活かせることが書いてあれば、その本には存在意義があるはずです。これまで古書店を経営してきて、潔く処分してしまえばだいぶ片づくのはわかっていますが、捨てたくない、何とか欲している人のもとに届けたい、という気持ちがあるのです。
三浦 飯田さんの蔵書はどのくらいですか。
飯田 たぶん5万冊くらいですね。本の洪水です。店を閉めてから本をひとまず実家に運び入れましたが、あふれかえっています。家中の者が本を嫌いになるくらいでした。よく周りに本があれば本好きになると言いますが、うちの息子は本が嫌いなので、パーソナリティーによるものが大きいと思います。 今回、店をたたむに当たりこれまでの感謝の意を込めて、店内全品半額セールを実施したのですが、何でこんなにいい本が売れないのだろう、というくらい売れ残ってしまったのです。
食料品などと違って「安いから買う」という種類のものではないということを実感しました。貴重な本が道端に落ちていたって、誰にも興味を持ってもらえなければ恐らくゴミでしょう。
三浦 なるほど。ところで東日本大震災の時は、どうでしたか。
飯田 大変でした。近くの古書店では棚が倒れることもあったようです。幸いうちの店は棚をしっかり留めてもらっていたので倒れはしませんでしたが、3割くらいの本が落下しました。実際あの震災は、閉店を考えた理由のひとつでもあります。本棚が3メートルくらいあったので、台に乗っても普通の人は一番上の本は取れないくらいの高さ。震災時はお客さんの少ない時間帯でしたので、けが人は出ませんでしたが、非常に恐ろしい思いをしました。
三浦 今回は5万冊の蔵書の中から、選りすぐりの本をいくつか持ってきていただきました。お宝を紹介してもらえますか。
飯田 お宝と言うほどではないのですが、まずは小学校4年生のころ、先生が薦めてくれた『大蔵永常』という本です。知名度はあまり無いですが、江戸時代の農学者の本です。佐藤信淵、宮崎安貞そして大蔵永常で三大農学者と言われています。二宮尊徳のような人ですね。
今の大分県出身(豊後国日田)で、愛知県(田原藩)で召し抱えられて、商品作物を作って農家を豊かにしようとハゼノキの栽培法などを指南したようです。私は茨城の出身で周りに農家が多かったので、先生はこの本を推薦したのかなと思っています。
三浦 今回初めて読みましたが、わかりやすく史実を踏まえたいい本でした。
飯田 筑波常治(ひさはる)さんという東北大学出身の農学史学者の著作で、こうした子供向けの啓蒙書もありますが、『大蔵永常―日本農業の大先達』という大人向けの本も出版されています。でも子供向けの本というのもばかに出来なくて、書かれている人間の人物像を知るのにうってつけのものだと思いますね。
それから次は大佛次郎賞を受賞している高田宏さんの『言葉の海へ』です。『言海』という辞書を作った大槻文彦の伝記です。新潮文庫から出て、岩波書店の同時代ライブラリー、そして洋泉社のMC文庫から出版されています。手に入りやすいので、お薦めの本です。今、手元に明治37年に出た『言海』の小型版があります。辞書は、初版は誤植が多いので、版を重ねた改訂版の方がいいはずなのですが、あえて第2版を読んでいます。
芥川龍之介もこの『言海』を読んでいて、北原白秋も「辞書は読むものだ」と言っていたそうです。『言海』に限らず理工系の辞書も読んでいたそうで、豊富な語彙力はそういうところからきていたのかなと思います。
あとは林子平の『海国兵談』です。江戸末期の国防についての本で、鎖国に対する外圧がある中で、幕府にとっては都合の悪い本だったようで、発行禁止処分になっていました。この本の版木も没収されてしまった林子平は、「親も無し 妻無し子無し版木無し 金も無けれど死にたくも無し」ということで、六無斎(ろくむさい)と名乗っていたそうです。私は、この本をきっかけに東京湾の防衛や要塞に興味を持ち、『東京湾要塞歴史』、『米軍基地と神奈川』、『明治期国土防衛史』、『江戸海防史』などを集めました。
横浜に関する本だと敗戦後の写真を収録した『横浜再現』です。1996年の発行ですがもう絶版となっています。それから『ヨコハマ・ウォーキング』という1980年頃、横浜市が出した本。付属の地図が鳥瞰図のような味わいのいい出来で、一部分をカラーコピーして店の外に出しておいたら、「売ってくれ」と言う人がずいぶんいました。郷土誌として最高の本だと思っています。
三浦 今後はどのように古書店業をなさっていかれますか。
飯田 これまでも実店舗とともにやってきましたが、インターネットを通じた販売を行っていこうと考えています。アマゾンやオークション、「日本の古本屋」などで、無店舗でやっていくつもりです。
店を閉めた 後に、いつも面白い本を売りに来られていた常連の方とお会いしたのですが、「大手チェーンの古本屋では買ってくれなかった、これまで伊勢佐木書林に甘えていた」とおっしゃいました。確かにその方が持って来られる本は、大手の古本屋は買わないような古い雑誌などでしたが、私は面白いと思って楽しみにしていました。私はそういった本に興味を持っていたし、私が提供する本に共鳴してくれる購買者もいらしたので、今回閉店するにあたってその流れを途切れさせてしまったことは、残念だなと思っています。
三浦 ご存じの方もいらっしゃるかと思いますが、『チャリングクロス街84番地-書物を愛する人のための本』という実話に基づいた本があります。ニューヨーク在住の本好きの女性と、ロンドンの古書店・マークス社との手紙での交流をまとめたものです。この本を読むと「本が好き」ということがどういうことがよくわかる本だと思い、今回飯田さんをお迎えするに当たって再読しました。
飯田 アン・バンクロフトとアンソニー・ホプキンズの主演で映画にもなりましたね。
三浦 本好きの女性が「私は見返しに献辞が書かれていたり、余白に書き込みがあったりする本が大好き。誰か他の人がはぐったページをめくったり、ずっと昔に亡くなった方に注意を促されてそのくだりを読んだりしていると、愛書家同士の心の交流が感じられてとても楽しいのです」という風に書いているのですが、私は全くその通りだと思うのです。
飯田 そうですね。偶然お客さんが売りに来られた戦前の歴史関係の本に、私の出身高校名が書いてあってびっくりしたこともありますよ。こういう出会いがあるから、古本屋をやめられないのでしょうね(笑)。
新刊を扱う書店にはまた別の楽しみがあると思いますが、古本屋は今まで出版されてきた本全部が対象なので、毎日勉強が必要です。初めて目にする本があると、どんな出会いが待っているかと心が高ぶります。
古本業界のことを知るには、神奈川県古書籍商業協同組合の方が書いた『街の古本屋入門』という本がいいと思います。また作家の出久根達郎さんも、初期に古本にまつわるエッセイをたくさん書いてらっしゃるのでお薦めです。
終盤「本当は、集めた本を売りたくないのでは」という質問に、「実はそうなのです」と本音を漏らした飯田さん。好きな本が売れてしまう時は悲しくなってしまうこともあるそうです。また同年代の三浦さんに対し「三浦さんはすべての分野で私を凌駕してらっしゃるが、髪の毛だけは私が勝っている! ・・・・・・と一度言ってみたかった」とお茶目な発言も飛び出し、会場は笑いに包まれました。気難しいイメージのある古書店主像を覆す飯田さんのユーモアと、本に対するひたむきな愛情が伝わってきて、改めて古書の魅力を再認識させられました。
次回2月22日20時からの「ツブヤ大学BooK学科ヨコハマ講座5限目」は、「写真集の読み方」がテーマです。今回飯田さんから「本を売りたくない」との本音を引き出した、写真家の橋本照嵩さんをゲストにお迎えして、Ustream中継を行います。聞き手は今回と同じく、三浦衛さんです。
飯田明彦(いいだ・あきひこ)
1958年生まれ、53歳。高校卒業後いくつかのアルバイトを経たのち、伊勢佐木町にある古書店に勤務。
その後、2005年に「伊勢佐木書林」を立ち上げたが、昨年12月に惜しまれつつ閉店。
現在、インターネットを通じての販売を模索している。
阿久津李枝+ ヨコハマ経済新聞編集部