横浜には、幕末の開国以来、海外からの情報や文化をいち早く取り入れ、生活に溶かし込み、自分たちのものにしてきたという歴史的背景がある。映画も例にもれず、日本で初めて洋画の公開をしたのは横浜。映画の黄金時代には伊勢佐木町・若葉町エリアでなんと40軒を超える映画館が存在した「映画の街」横浜。そんな横浜の誇りを胸に、新たな第一歩を踏み出す映画祭が開催されている。それが3月16日(金)~18日(日)横浜市中区若葉町の「ジャックアンドベティ」「横浜ニューテアトル」、伊勢佐木町のイベントスペース「CROSS STREET」の3か所で開催される「第一回横浜みなと映画祭」である。
今回はこの映画祭のプロデューサーである中村高寛さんに、彼の故郷で開催されるこの映画祭についてお話をお伺いした。中村さんは40代以上のハマッ子なら必ずといっていいほど知っている伝説の娼婦「メリーさん」をモチーフにしたドキュメンタリー映画「ヨコハマメリー」で2006年監督デビュー、横浜文化賞芸術奨励賞をはじめ11の賞を受賞し、その後も活躍の場をテレビドキュメンタリー番組などに広げて活躍中の、期待かつ気鋭の映画監督でもある。
「映画祭らしい映画祭をやりたいんです」インタビューのはじまり、中村さんはそう切り出した。37歳の若さでありながら、ヨコハマの伝説となっているメリーさんをモチーフにするというその感性にも驚かされたが、実家が市内で、若い頃から伊勢佐木町や若葉町界隈に一人で映画を見に来るほどの映画好きだった彼が、このエリアに出没していたメリーさんを描くというのは、考えてみれば自然な流れだったのかもしれない。
彼の撮った「ヨコハマメリー」は、俗に「単館系」といわれる映画のジャンルにおいて国内外で高く評価され、カナダのトロントや韓国の釜山など海外の映画祭への招待などもあったそう。彼の目指す「映画祭らしい映画祭」とは、その海外での経験が影響しているようだ。
「海外ではいろいろな国の映画人が集まるのですが、そこでそれまで接点のなかった多くの日本の映画人とも出会い、いろいろな話をしました。すると多くの監督やスタッフから、海外での扱いの素晴らしさと対照的に日本国内では上映の機会が少ないという現状を多数耳にしたのです。やはりそこには興行的な問題があるわけで、そんな現状を踏まえ、まずは一映画ファンとしていい作品を上映したいという思いが強くなっていきました。また、現在主流となっている大規模なシネマコンプレックス、通称シネコン系の映画と単館系の映画という二極化が顕著に進み、映画の多様性が失われている危惧を感じていました。それに対して、映画を作るだけなく、何かしらのアプローチをしたかったのです。そのために、今回は海外の映画祭と同じく、作品を選ぶ『プログラマー』を、友人の映画監督、井川広太郎さんにお願いし、私が発案、井川さんが作品の選出という役割分担をしています。日本国内の小さな映画祭ながらも、海外の映画祭同様にプログラマーを作り、作品選定の方向性を明確化したかった。今回はあくまでそこにこだわりたかったのです」
さらに中村さんはこう続ける。「日本では聞き慣れないかもしれませんが、海外ではこのプログラマーが代わると、その映画祭の作品が変わってしまうと言われるくらいに重要な役目なのですが、今回はあえて海外の手法を取り入れた部分を踏まえ、『映画祭らしい映画祭』という表現をさせて頂いたのです」
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実はこの映画祭のプロジェクトは、2008年、2009年の2年間、大学生や主婦、リタイア組まで幅広い年齢層のボランティアの支援を受けて、映画ファンが自ら企画運営した「黄金町映画祭」の流れを継承している。映画祭では、海外の映画祭で注目を集めながらも、日本で公開される機会に恵まれなかった、優れた作品を中心に紹介して、映画関係者の間で高い評価を受けた。
その頃から中村さんは運営に携わっていたそうだが、2010年、11年と開催せず、今回名前を変えて今回を第1回目としたという「仕切り直し」の理由についても尋ねてみた。
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「黄金町映画祭は、当時横浜市の『横浜市映画祭開催支援事業』の認定を受けて開催したのですが、予想していたよりも『黄金町』という名前が浸透しなかったことが理由の一つです。そこで今回はもう少しエリアを拡大し、3か所の会場を使ってこのあたり一帯のエリアを縦断するイメージで映画祭を開催しようと考えました。当初は伊勢佐木町という名前を付けるという案もありましたが、この映画祭を継続開催していくことで、さらにエリアを拡大し、このまちの発展に貢献したいという思いがあり、『横浜みなと映画祭』と命名したのです」
「また、実際にはかなり作品選出のスケジュールがタイトだったので、当初は『プレ』でやろうと考えていましたが、せっかくなら小さくてもいいから『第1回』と称して開催しようということになりました。このような地域のイベントは、回数を重ねていくことで見えてくるものがあると思っています。よく地方のシャッター商店街などの復活がうまく機能していないのも、継続的にそのようなイベントを継続して開催していかないことも理由の一つだと思うのです」。
イベントは開催することよりも、それを継続して続けることのほうが課題も多く難しい。その部分においても中村さんは想定しているようだ。
16日19時からCROSS STREET(伊勢佐木町)で、この映画祭のオープニングレセプションと称して「山形国際ドキュメンタリー映画(1989年から開催)」「TAMA CINEMA FORUM(2000年から開催)」という、長年の実績を残している2つの映画祭のディレクターらを招き「町と映画、そして映画祭-地域振興型映画祭の可能性」と称したパネルディスカッションが行われた。
「このレセプションでは、映画、映画祭による地域振興は可能なのか?そのためには何が必要なのか、というテーマで今回のプログラマーである井川広太郎さんをファシリテーターとしてパネルディスカッションを行います。私達よりも実績のある方々がどのようなお話をしてくれるのか、今から楽しみです。私たちは100人が100人楽しめる映画ではなく、エッジの効いた作家性の強い映画を選定、上映するので、自ずとハードルの高い挑戦をしていく覚悟はあります。ですので、このディスカッションを通じて横浜ならではの『新しい映画祭』の姿をあぶりだせたらいいなと思います」と中村監督は話した。
今回「横浜みなと映画祭」で上映される作品は中村さんが監督としてメガホンを取った「ヨコハマメリー」を含め13本。そのどれもが個性的な作品ぞろいで興味をそそられるが、その他に前述のレセプションでのパネルディスカッションとミニライブを含めたパーティーが予定されている。「その盛りだくさんな内容の中で一つオススメをあげるとしたら何がありますか?」という私の意地悪な質問にも、中村さんは笑顔で答えてくれた。
「60年代、70年代という横浜が輝いていた時期に本牧で活躍していたバンド『ザ・ゴールデン・カップス』と、町の主役であったグループ『ナポレオン党』をテーマにした『ザ・ゴールデン・カップス ワンモアタイム』がおすすめです。映画の後にはゲストとして、ナポレオン党のリーダーである小金丸峰尾さんをはじめ、当時の関係者の方に集まって頂き、語ってもらうゲストトークショーと、ゴールデン・カップスのギタリスト、エディ藩さんによるミニライブがあります。最も輝いていた時期の横浜を象徴する方々が映画だけでなく実際に出て頂けることで、この映画とトークショー、そしてライブは、横浜の映画、『ハマシネ』の一つの指針になると思っています。横浜を愛する映画ファンの方にはぜひ見てもらいたいですね」
インタビューの最後に、横浜という独特の文化をもつこの町の映画祭に対する中村さんの想いをお聞きしたが、それは想像した通り「横浜人」である前に、あくまでも「映画人」としてのゆるぎないスタンスから出たものだった。
「誤解を恐れずに言えば、私は『町おこし』を目的に映画祭を開催するというよりは、私を育ててくれた『映画』を通じて起こすアクションが結果として『町おこし』に繋がればいい、そう考えています。もっと簡単に言ってしまうと、私が作るような映画を流せるような場所に残ってもらいたい、という思いですね(笑)」。
16日夜、オープニングレセプションとして「町と映画、そして映画祭―地域振興型映画祭の可能性」と題して、トークショー行われた。登壇したのは、林海象さん(映画監督 濱マイクシリーズ「我が人生最悪の時」)、藤岡朝子さん(「山形国際ドキュメンタリー映画祭」東京事務局ディレクター)、飯田淳二さん(「TAMA CINEMA FORUM」ディレクター)、アミール・ナデリ監督(映画監督「CUT」「駆ける少年」)、植田淳さん(伊勢佐木町商店街副理事長)。トークの様子はUSTREAMで生中継されたので、会場の様子を記録映像で紹介する。
「封切り」という言葉を生んだこの町の映画文化の復権を胸に、この町をこよなく愛する映画人が想いをこめた秀作の上映会「横浜みなと映画祭」がスタートした。横浜を舞台にした、他のどの町とも異なる新しい映画祭の潮流が巻き起こることを期待したい。
映画の街・伊勢佐木町で「横浜みなと映画祭」-上映後にはトーク・ライブも(ヨコハマ経済新聞)
柳澤史樹 + ヨコハマ経済新聞編集部