特集

ビール発祥の地・ヨコハマの風土を込める
農業+アートのコラボでつくる横浜ビール

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■それは山手の丘からはじまった

1870(明治3年)、横浜・山手の丘に日本初のビール醸造所が誕生した。アメリカ国籍のノルウェー人、ウイリアム・コープランド(William Copeland)が設立した「スプリングバレー・ブルワリー」である。その後、この醸造所はJ・ドッズ、T.B・グラバー、岩崎弥之助、渋沢栄一らの資本参加により設立されたジャパン・ブルワリー社が買い取り、1888年にドイツ風ラガービール「キリンビール」を発売する。このヒット商品の名を冠し、事業を引き継いだのが麒麟麦酒株式会社、のちのキリンビール株式会社である。

キリンビール株式会社 ウイリアム・コープランド

コープランドの登場から135年の歳月を経た今日、日本のビール発祥の地・横浜に、新たなビールのムーヴメントが起こっている。その中心にいるのが、市内唯一の地ビール醸造所・横浜ビール株式会社(中区住吉町6-68-1 横浜関内地所ビル1階)だ。2003年ジャパンビアグランプリ/ジャーマン・エール・アルト部門で銅賞を獲得した「横浜アルト」、同エール部門銀賞の「北鎌倉の恵」をはじめ、ペリー提督の幕府献上ビールを再現した「ペルリ(黒船ビール)」、外国人居留者が飲んでいたビールの復刻版「居留地スパイスビール」、ペルリをカレールーに溶かしこんだ「ハマカレービール職人風」(2003年ハマカレープロジェクト一般部門グランプリ/横濱カレーミュージアム主催)など次々と斬新な作品を創作するこの醸造所が、昨年秋に発表したのが「濱梨麦酒(はまなしばくしゅ)」。横浜市の農業振興、文化芸術活動とのコラボレーションから生まれたこのビールは、爽やかな風味と無限の可能性を秘めた逸品である。

横浜ビール
横浜ビール ペリー提督の幕府献上ビールを再現した「ペルリ(黒船ビール)」 最高級ファインアロマホップをふんだんに使った「横浜ピルスナー」

■黒船に揺られてやってきたペリーのビール

「私が造った『ペルリ』のラベルを、パッケージングアートとして若手アーティストに創ってもらえないだろうか」。横浜ビールの醸造長・榊弘太さんがそう提案したのは、昨年4月、BankART1929の「広重プロジェクト」という円卓会議の席上だった。市の歴史的建造物である旧第一銀行と旧富士銀行を拠点に文化芸術活動を推進する実験的プログラムBankART1929は、当時まさに産声を上げたところ。広重プロジェクトはその中で、海外のアーティストに多大な影響を与えた安藤広重に倣い、パッケージングアートの面白さを再認識しようという趣旨で立ち上がっていた。「なんだか面白そうなことをやってるみたいだから覗いてみれば、とある人に勧められて、その日のうちに企画書を作って持ち込んだんですよ」と榊さんは笑う。『ペルリ』は、ペリーが黒船に携えてきたビール(インディア・ペール・エール)を、榊さんが苦心の末に再現したものだ。古い文献を調べ上げ、長い航海のあいだにビア樽が船倉で揺られ続けたこと、3度の赤道越えをするため、殺菌効果のあるホップを通常の4倍入れていたことなどもレシピに加味したという。「横浜港に着いた頃は、通常のインディア・ペール・エールより高発酵で、ドライで苦く、すっきりした飲み口になっていたはずです。それが、その後の日本人のビール観を決定付けたんだと思いますよ」

BankART 1929
横浜ビール醸造長 榊弘太さん

■横浜産の作物を使ったビールはできませんか?

榊さんの自信作である『ペルリ』のラベルを創る。この提案に、広重プロジェクトのメンバーは興味をそそられた。さっそく若手アーティストのユニット「ヤング荘」の津山勇さんがデザインを担当し、ほどなくしてペリーの横顔をモチーフとしたラベルが完成した。一方で、市都心部整備課でBankART1929の担当となった緒賀道夫さんは、榊さんにもう一つのアイデアを投げかけていた。横浜産の作物を使った地ビールをつくれないだろうか、というものである。

ヤング荘

私が緑政局にいた当時、ビール醸造量の規制緩和(平成6年)があって(ビール製造免許取得の最低限度数量が年間2,000キロリットルから60キロリットルとなり、小規模醸造所、いわゆる地ビールの製造が可能になった)、横浜産の麦を使ってビールを造ろうという『地ビール起業化検討グループ』というプロジェクトが局内にできたんです。私はメンバーではなかったのですが、そのことを思い出しましてね。ラベルの話だけで終わるのはもったいないと思ったんです。しかし、麦を育てるのは季節的に間に合わなかったし、国内産だと高価になる可能性もあった。それなら、果実はどうだろうか。横浜には浜なしも、浜ぶどうも、浜がきもある。榊さんに相談すると、それは面白そうだ、ということになったんですよ」

横浜市都心部整備課の緒賀道夫さんと榊さん 「ヤング荘」の津山勇さんがデザインした「ペルリ」のラベル 「ヤング荘」の北風総貴さん、津山勇さん

■知る人ぞ知る「浜なし」の正体

同じ頃、中田宏横浜市長の掛け声で始まった「アントレプレナーシップ事業」の第3期募集が始まった。これは、市の職員自らが「市民のための事業」を提案し、企画から事業化まで責任をもって推進するというもので、これまでに「横浜ライセンス制度」や「知的障害者の雇用促進」、「大型風力発電」などのプランが採択され、事業化が進められている。緒賀さんはさっそくメンバーを募り、「芸術麦酒製造構想」を提案。多くの応募の中から、緒賀さんのプランは9つの検討テーマのひとつに選ばれ、事業化のための検討活動をスタートした。

横浜市都市経営局 アントレプレナーシップ事業

8月半ば、緒賀さんのチームは、農政局の紹介で泉区の果樹農家を訪問。榊さんはその場で、ビールに使う浜なしを幸水と豊水に決めた。浜なしというのは個体の品種名ではなく、横浜市果樹生産者の統一ブランド名である。つまり、豊水、幸水、新水、あけみず、菊水、筑水などの総称というわけだ。ところが、浜なしという名は耳にしたことがあっても、その実体を知らない人は案外多い。なぜなら、浜なしは市場出荷しておらず、スーパーや青果店では手に入らないからである。樹上で完熟させ、その日収穫したものを青空市や直売所でその日のうちに売り切る。だからとびきり新鮮で、糖度が高い。知る人ぞ知る『幻のなし』とも言えるのだ。

浜なし
ビールに使用する「浜なし」 「浜なし」でつくるビール「濱梨麦酒(はまなしばくしゅ)」

■「自由」という名のベルギービール

ところで、果物をビールに使うとはどういうことか。ドイツには1508年に発布された「ビール純粋令」というものがあり、大麦、ホップ、酵母、水以外のものを使ったものは、ビールと認めないというオキテがある。ドイツタイプのビールに親しんだ日本人も、どこかでこれを信じてきたフシがある。だが、ドイツに匹敵するビール大国ベルギーは、実はその対極にある。ブリュッセル近郊にしか発生しない自然酵母菌とゼナ峡谷の湧水をベースに、オーク樽で2年近くかけて熟成させた「ランビックビール」、このランビックビールをベースに、チェリーや木イチゴ、カシスなどを加えたフルーツビール、ワインやシャンパンのような風味のビール、大麦に小麦を加えて醸造した白ビール、そして中世の時代から今日まで、伝統の酵母と技法を受け継ぐトラピスト(修道院)ビールなど、まさに百花繚乱。九州とほぼ同じ面積の国土に数百の銘柄があるという、まさにビール天国なのである。実は、榊さんはこのベルギービールに魅せられ、半年がかりでベルギーのパブを飲み歩いたという逸話の持ち主。ベルギー流の自由な発想が体の髄から染み込んでいるから、フルーツ・ビールの醸造はお手のものなのである。

ビール釜で果実をしっかり発酵させる ビールのラベルのデザインを選ぶ

■売り切れ御免のプレミア地ビール

9月4日、醸造開始。はじめは幸水だった。皮ごと桂むきにしたナシをホップと一緒にビール釜に入れ、成分を抽出する。このときに蜂蜜を加えること、ビール酵母で果実をしっかり発酵させることが、甘すぎず、癖のない、すっきりした味わいに仕上げる秘訣という。仕込み量は1キロリットル。ラベルは『ペルリ』と同様、BankART1929の若手アーティストを起用することになった。今回は2組によるコンペを行い、最終的に「ヤング荘」の北風総貴さんの作品が選ばれた。そして9月末、販売開始。醸造所の2階にある和製イタリア風手料理レストラン「驛(うまや)の食卓」と、「BankART1929パブ」で売り出したところ、たちまち売り切れ。すぐに豊水で1キロリットル造ったところ、これも11月には完売してしまった。味にうるさいビール党はもちろん、女性にも大好評だったという。

「今年1月に浜ぶどう(紅伊豆)も1キロリットル造ったんですが、これもひと月で売り切れてしまいました。こちらは瓶詰めせず、樽売りだったんですけどね。最初はあまり香りが立たず心配していたんですが、やはりビール酵母の力は偉大です。出来はまるでシャンパンのようでしたよ」(榊さん)。現在、横浜ビールでは年間100キロリットルのビールを製造している。「あと20キロリットルくらいは造れる」と榊さんは言うが、タンクの許容量からして、醸造は限界に近い。果実自体が季節ものということもあり、『濱梨麦酒』も『浜ぶどう』も、かなり希少価値の高いビールと言えそうである。

驛の食卓
「ヤング荘」の北風総貴さんがデザインした「濱梨麦酒」のラベル 「浜ぶどう」に使用するぶどう 「浜ぶどう」に使用するぶどう

■横浜の食を見直すきっかけに

昨年末、緒賀さんたち「芸術麦酒製造構想」のチームは、中田市長に対してプレゼンテーションを行った。最終的には「選外」となり、事業化には至らなかった。「行政が行う事業として、なぜいまビールなのか、という点が足りなかったのかもしれません」と緒賀さんは言う。しかし、この結果が出る前に『濱梨麦酒』は発売され、好評を博していた。行政主導でなくとも、企業(横浜ビール)と農家、アーティストをつなぐコーディネーター役となることで、プロジェクトが精力的に動き出したのは確か。これも「成功」のひとつのかたちと言えるのではないだろうか。  「なしとぶどうは今年も造ってもらえると思うし、他にも綱島にあるという『幻のもも』、磯子の『うめ』、街路樹の『花もも』など、候補はたくさんあります。また、瀬谷、田奈、都岡の農家でもビール麦の栽培がはじまっているので、これを使ったビールも今年誕生すると思います。そして今回のビールのプロジェクトがきっかけとなり、他の横浜の食を見直す動きが広がっていけばいいと思っています」(緒賀さん)

瀬谷で栽培しているビール麦 田奈で栽培しているビール麦

■現代のコープランドになる!

「地ビールは、外国のビールを日本にいながらにして飲めるということでブームになりました。でも、冷蔵コンテナなどが普及してくると、本物の外国のビールがもっと身近に飲めるようになる。そうなると地ビールは必要なくなるわけで、実際、小規模醸造所は全盛期の3分の2くらいまで減ってしまいました。大切なのは物まねではなく、日本のマイクロブルワリー独自の味わいを構築することです。しかし問題なのは、ワインであれば地元産のぶどうを使えばいいのですが、ビールの場合、核となる麦芽やホップは輸入ものなんです。つまり畑がなくても、蔵があれば作れてしまう。では、どうすれば郷土食としてのビールを作れるのか。そう考えたとき、私は私自身が「ぶどう」の実になろうと思ったんです。土地に根ざし、土地の人々と交流し、街の歴史やロマンを学び、私自身が風土になる。そういう人間が造ることで、ビールの中に横浜のすべてが詰まっているというくらいにならないとだめだ、とね。コープランドさんが醸造所をつくったとき、山手には他に2軒の醸造所ができました。ここから醸造所ブームが全国に広がり、100軒以上できたそうです。もちろん、それらはみんな小規模醸造所ですよね。ところが富国強兵の時代になって酒税が大幅に上がり、小規模醸造所は次々と消え、大手だけが残った。それから100数十年たって、今があるわけです。しかし長いビールの歴史から考えると、100数十年というのはひと続きの文化圏なんですよ。大手メーカーはコンピューター制御でやってしまいますけど、私たちのような小規模醸造所は、コープランドさんがやっていた頃と、器具も技術もほとんど変わらない。だから、コープランドさんや当時の職人のことを、ふと身近に感じることがあるんですよ。悩んだときは外国人墓地に眠るコープランドさんに相談しに行きますしね。コープランドというのは英語で『開拓者』という意味もあるそうです(cope=負けずに戦う、難局を切り抜ける)。だから私も現代のコープランドとなって、ビール造りを続けて生きたいと思っているんです」(榊さん)

【榊弘太(さかき・こうた)さんエクストラ】

1971年、東京・品川区生まれ。図書館司書を目指していたが、ビール好きが高じ、バイト先の図書館の前にあった酒販店に就職。営業マンとしていきなり歌舞伎町を担当する。ベルギービールの拡売員となったある日、某有名レストランのドイツ人オーナーシェフから、トラピストビールの最高峰と言われる「ORVAL(オルヴァル)」2ケースの注文を受ける。2ヶ月かけてようやく船便で取り寄せたところが、店頭で配達員が手を滑らせ、すべておしゃかに。1本千数百円もするその高級ビールを2人で買い取るはめになり、「もったいないから」と飲んだところ、そのあまりの美味しさに衝撃を受ける。「大量生産大量消費のビールとは明らかに違う、作り手の顔がはっきりわかるビール。これはビールであって、ビールではない!」。ほどなくして4年間勤めた酒販店を退職、「ベルギービールを飲み尽くす旅」に出る。帰国すると、日本は折からの地ビールブーム。品川TYハーバーブルワリーに職人として入り、アメリカン・エールと発泡酒を会得。1年半後、日本人が飲みなれた食中酒・ラガービール造りを学ぶため、秋田の田沢湖ビールに就職。2000年2月、横浜ビール?に招かれ、翌年末から醸造長に。「今後の展開として考えているのは、開港時代に飲まれていたビールを復刻すること。その時代に活躍した居留者たちをラベルに登場させたら面白いんじゃないですかね。それと、氷川丸や日本丸の船倉にビア樽を置かせてもらい、船内熟成ビールを造ってみたい。長い航海に揺られてやってきた黒船のビールのようにね(笑)」

駒井 允佐人 + ヨコハマ経済新聞編集部

醸造所の2階にある和製イタリア風手料理レストラン「驛(うまや)の食卓」 ビールの醸造タンク ビール釜と榊さん
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