横浜・寿地区――。横浜市中区のJR石川町駅の西側、約250m四方の米軍接収跡地に簡易宿泊所が密集するこの地域は山谷(東京・台東区)、釜ヶ崎(大阪市・西成区)と並んで日本の「三大ドヤ街」と称される。「ドヤ」とは日雇い労働者向けの簡易宿泊施設のことで、宿(ヤド)を「人が住めるような代物ではない」と、住人が自嘲気味に逆さまに読んだのが語源だという。道端には車や家電など大型ゴミの不法投棄が絶えない。そんなこともあってか、この地域に足を踏み入れるのに抵抗感を持つ人も多く、横浜を代表する観光スポットである元町商店街や中華街、山下公園、山手の高級住宅街などと至近の場所にありながら、ある種、他の地域とは隔絶された「陸の孤島」といった趣すらある。
だが、この日、そんな寿地区で町始まって以来の出来事が起きようとしていた。長野県からの女子高生の団体がこの地に逗留するというのだ。女子高生とドヤ街――。何とも不釣合いな取り合わせのようだが、今、寿地区は大きく変わろうとしている。寿の簡易宿泊所をゲストハウスとしてツーリストを誘致しようというプロジェクト「横浜ホステルビレッジ」がそれ。女子高生たちは、そのゲストハウスの宿泊客御一行というわけだ。そして、このプロジェクトを推進するのがFunnybee(ファニービー)株式会社である。
横浜ホステルビレッジファニービーの社長を務める谷津倉智子さんには、寿に対する熱い思いがある。初めて寿地区を訪れたのは、大学2年生の時。今から十数年前のことだ。「当時はドヤというものを知らなくて、『こんな街が日本にあったのか!』と驚いたものです。昼間から酔っ払いの人が道端で寝ていたし、街の雰囲気が普通の住宅街とは全く違っていました」。大学卒業後は法律事務所などに勤務しながらも、仕事を通じて寿地区に関わっていきたいと常に感じていた。寿町での炊き出しを手伝ったり、キリスト教系のボランティア組織で寿支援のための活動に従事してきた。そして2000年12月、現在も自身が理事を務める寿地区に初めて誕生したNPO法人「さなぎ達」の立ち上げに参画する。
NPO法人さなぎ達「さなぎ達」は、寿町における路上生活者やその予備軍の自立を支援する活動を行っている特定非営利活動法人。その活動は (1)寿町に関する正しい情報を寿町以外で暮らす人々へ向けての発信 (2)毛布や衣類、日用品などの基本的な支援物資の提供 (3)医療や「空きドヤ」など住人が必要とする生活情報の提供――といった3つの目的を柱にしており、「医・衣・職・食・住・メンタル」の6つの分野にわたっている。路上生活者の安否確認と彼らへの食事提供を目的とする「木曜パトロール」の実施、緊急時の駆け込み寺的な役割を果たすと同時に寿の住人たちの憩いの場として機能する「さなぎの家」の開設、横浜市から生活保護受給者へ支給されるパン券1枚(仕事にあぶれた日雇い労働者などに支給される横浜市独自の法外援護)で、温かい定食3食分が食べられる「さなぎ食堂」の運営――これまでの寿地区では画期的とも言えるこれらの活動内容を通じて、「さなぎ達」は寿支援に着実な成果を収めている。
こうした「さなぎ達」の活動に対し、資金的な側面から支援すべく発足されたのがファニービーである。同社の設立に関わった谷津倉さん以外の4人のメンバーも、「さなぎ達」の寿支援活動を通じて知り合った言わば同志。「NPOは助成金や補助金頼みで、経済的に不安定。経済的に確実なものにしたい、と考えたんです」。同社の企業としての性格を言い表すならば、「社会貢献を意識した新しいタイプの企画会社」ということになるだろうか。当然、その企業活動も「さなぎ達」との連携の機会も多くなる。
Funnybee「さなぎ達の活動を通してさまざまな企業や人たちと出会い、そのネットワークを生かしてビジネスを展開していこうと考えました。具体的なメドは何もなかったのですが……」と、谷津倉さんは話す。そんなファニービーがまず手掛けたのが、厚木市にある土壌改良材製造会社のための環境に優しい培養土の販売プロモーション。培養土と花の種をミニポットに詰め合わせた「ワンタッチ栽培セット」を作り、企業に自社のPRカード入りのノベルティグッズとして利用してもらおうと提案。ここでも、寿支援という同社の基本スタンスは忘れられていない。寿地区での雇用拡大につなげようと、栽培セットの包装を寿地区の知的障害者支援施設などへ委託したのだ。「今は自分たちの食い扶持を稼ぐのに精一杯で、さなぎ達への資金援助というわけにはなかなかいきませんね。未だ手探り状態です」と笑う谷津倉さんだが、そんな彼女が「これからのビジネスの柱」と期待を寄せるのが、冒頭に述べた「横浜ホステルビレッジ」プロジェクトだ。
プチ社会貢献アニモショップ ワンタッチ栽培セット簡易宿泊所を安価な宿泊施設として利用することで、ドヤ街に外国人パックパッカーをはじめとするツーリストを誘致する、という発想自体は決して目新しいものではない。山谷では10年前から、釜ヶ崎では5年前から行われている試みだ。山谷などはすでに「外国人パックパッカーのための安宿街」として定着しており、2002年のサッカーワールドカップでも、多くの外国人サポーターが山谷のゲストハウスに殺到したことは記憶に新しいところ。「ただ寿の場合、山谷や釜ヶ崎とはシステムが違うんです」と話すのは、ファニービーのメンバーの岡部友彦さん。「山谷はドヤのオーナーさんたちが個人で展開しているので競合してしまい、街の中で宿泊客の取り合いというケースが起こりがちなのですが、そうしたことがないよう寿では街全体をホテルに見立て、街として取り組むというスタンスを貫いています」。
ファニービーが提案した企画は、「Yokohama Hostel Village Head Office」が窓口となり、一括してドヤのオーナーたちと提携し空き部屋を確保するというシステム。宿泊客は個別のドヤを訪ねるのではなく、「Hostel Village Head Office」で宿泊手続きを行う。これによって、同業者間の競合を避けることが可能になる。誰かの利益を損なうことなく、このプロジェクトに関わる全ての者が幸せになれる仕組み。「山谷のオーナーさん同士のライバル意識は熾烈なのですが、横浜は距離的にも離れているので競合関係が生まれにくい。だから、山谷のオーナーさんからお客さんを紹介してもらったりしますよ。そうした関係は釜ヶ崎でも同様ですね。同じ街では一つにまとまりにくいのに、違う街の我々とはネットワークを築いているという……(笑)」(岡部さん)。
ファニービーで「横浜ホステルビレッジ」事業をメインで担当している小谷純子さんによれば、このプロジェクトが持ち上がったのは昨年末のことだという。「ドヤのオーナーさんのところへ広告営業に行った時に、『同じドヤ街である山谷はバックパッカーで賑わっているが、寿でもやってみたらどうだろう』という話になったんです。寿町の将来に危機感を抱いていたそのオーナーさんは山谷の現状もよくご存知で、実際見学にも行かれてたのですが、いざ自分で実行するとなると具体的にどうしていいか見当がつかないようでした。だったら、ファニービーがビジネスとして関与できないか、ということになったんです」と、その経緯を語る。
現在、寿地区における簡易宿泊所の数は110軒、部屋数は7733室。そのうちの約20%に当たる約1600室が空き室状態だという。こうした空き室が生まれる要因には、新たな簡易宿泊所が出来るたびに宿泊者が一極集中し、古くなった宿泊施設には誰も寄り付かなくなってしまい、そのまま朽ち果てるのに任せているという現状がある。そんな1600もの空き室をツーリスト向けのゲストハウスに利用できないか、というのがそもそものコンセプトなのだ。
言ってみれば、「究極の生ものを売るビジネス」である。コンビニの弁当は賞味期限切れでも食べられなくはないが、ドヤの売買だけはその日限り。絶対次の日は売り物にならない。だったら多少値段を下げてでも、賞味期限内に売りつくした方がいいに決まっている。誤解を恐れずに言えば、そんな乱暴かつ大胆なビジネスがいかにも寿にはお似合いだと言えなくもない。ドヤのオーナーたちとファニービーのお互いのニーズが一致したわけであるが、同社がこの事業に取り組むのはそうしたビジネス的な側面ばかりではない。
「ツーリストが増えることによって新たな雇用を創出し、高齢者が多くを占める寿にさまざまな年代、人種の人たちが行き交うようになれば、周辺の地域と共存していくことができるのでは」(小谷さん)という、寿地区全体を再生していきたいとの強い思いがあるのは言うまでもない。
Funnybee往来日記「横浜ホステルビレッジ」におけるビジネスモデルは、提携先の簡易宿泊所にツーリストを仲介することでオーナーから宿泊料金の一定額を徴収するというものだが、それは決して手数料ではなくサービス料と呼ぶべきものだ。宿泊施設の広報から宿泊手続き、ツーリストへの観光情報の提供、ベッドメイキング、部屋のクリーニング、外国人客への対応など、ゲストハウスの宿泊客に対するホスピタリティ全般を「Hostel Village Head Office」のスタッフが対応するのである。
今年の4月に実質的にスタートしたこのプロジェクトだが、スタート翌月には毎年横浜で開催されるフランス映画祭が目的でやって来た日本人女性が宿泊客第一号に。その後もホームページによる告知や安宿案内所への登録といった周知・宣伝活動が奏功してか、外国人バックパッカーで引きも切らない状態だという。意外なことに宿泊客のかなりの部分は女性だという。スタートしたばかりだというのにリピーターもいるし、中には1ヶ月という長期にわたって滞在する韓国人女性もいるという。懸念されたドヤ街という特殊事情も、外国人バックパッカーにとってはそれほど異様なものとは映らないようだ。
ボランティアとして提携先のゲストハウスに住み込みで常駐し、宿泊客の面倒を見ている神奈川大学大学院の赤羽孝太さんによれば「海外には治安の悪い場所なんてたくさんありますから、彼らから見れば寿は安全な街だと感じるのでは。僕も住んでみて分かりましたが、実際、治安も悪くないし、寿に住む人たちは良くも悪くも人間臭い。外国人ツーリストたちに気軽に話しかけ、缶コーヒーをおごってあげたりする光景をよく見かけます。他の街ではあまり見られない気安さや人情がこの街にはまだあって、僕自身とても気に入って快適に過ごしています」。
現在、ファニービーが提携しているゲストハウスは20室だが、近々改装を終えるものを含めると一気に100室に増えるという。同社が今後ターゲットにするのは、9月から開催される「横浜トリエンナーレ」だ。来日するアーティストや観光客のゲストハウスの需要を見込んでいる。実際、問い合わせも多く、中にはすでに予約を入れた海外アーティストもいるそうだ。
横浜トリエンナーレ2005さて、冒頭の女子高生ご一行様の場面に戻る。神奈川県下で行われるバレーボールの大会に参加するために寿に宿泊することになった、長野県からやって来た女子バレー部員20名と引率の先生。先生によれば、事前に寿がどんな街かということを生徒たちには説明しており、その上で「部屋も清潔だし、全く問題ないですよ。我々が合宿するのはもっと汚いところだったりしますから(笑)」と、宿泊施設として寿のドヤに太鼓判を押す。
女子高生の集団という寿にはほとんど見られなかった華やいだ雰囲気に、野次馬たちも現れ「女子高生がドヤに泊まるんだってさ」「20人も来たんだって」などと囁き合っている。翌日には、彼女たちは「さなぎ食堂」で定食が300円という安さに感激しつつ、住人たちに交じって料理に舌鼓を打っていた。これまでの寿では、ついぞ見られなかった光景だ。温かい食事や毛布も必要だけれども、今の寿に最も必要なのはこうした外部からの刺激なのかもしれない。
「大きな花火を打ち上げたって感じです」と興奮気味なのは、彼女達の宿泊先「第二港館」で面倒を見ている赤羽さん。「おかげで全然寝る時間がありませんでしたけど(笑)」と笑う。寿という街に外国人や学生といったさまざまな人たちが行き交う――こんな光景こそが谷津倉さんをはじめとするファニービーのスタッフ達が目指しているものだ。「横浜ホステルビレッジ」はまだ端緒についたばかりだが、今回の出来事は彼らの目指す方向性が間違っていないと強く確信させるものだったに違いない。
牧隆文 + ヨコハマ経済新聞編集部