FMヨコハマのパーソナリティーやDJとして活躍する福原尚虎(ふくはら・たかとら)さんは、横浜の音楽シーンをウォッチし続けるキーマン的な存在だ。「横浜にいない日はありませんね」と言い切る福原さんは、FMヨコハマの番組『YOKOHAMA MUSIC AWARD』をもう5年間も続けている。インディーズのコンテスト番組で、すでに600グループ以上を紹介、アーティスト達に声をかけ番組主催のライヴ・イベントを横浜で開催している。同じ主旨のテレビ番組『YOKOHAMA MUSIC EXPLORER』が2004年秋からテレビ神奈川(TVK)で放映。ほかにも、テレビ朝日『ストリート・ファイターズ』とのコラボレイトで、神奈川のストリート・ミュージシャンを紹介するコーナーを担当している。
YOKOHAMA MUSIC AWARD YOKOHAMA MUSIC EXPLORER ストリート・ファイターズ「神奈川県でいえば、伊勢佐木町や、桜木町、相模原まで、ストリート・ミュージシャンのシーンは盛り上がってきています。今は横浜西口がすごいですね」。福原さんによれば、今や横浜のインディーズ・シーンの認知は全国に広がっているという。しかし、横浜を中心に活動し続けるミュージシャンは、まだまだ少ないとも指摘する。「古くは、シュガーや杉山清貴、近年では“ゆず”を輩出した横浜ですけど、依然としてインディーズ・ミュージシャンの活動の拠点は東京になっています」。インディーズ・バンドのメッカと言えば、下北沢や渋谷、そして新宿などの地域。横浜在住のミュージシャンが“電車で30分”の距離にある東京で活動するのは当然だ、と福原さん。「理由は簡単です。“横浜らしさ”が見えないからですよ。質的に東京と変わらないから、規模が大きい街に行くんです」。ライブハウスの数や集まるオーディエンスの人数、ミュージシャン同士のネットワークまで、東京には確かに、“インディーズ・シーン”と呼ばれる大きなムーブメントがある。「横浜を盛り上げようと言ったところで、アーティストは自由です。自分が必要とされている所に行くんですよね。現状では、渋谷、下北沢の方が“磁力”があるんですよ」。
そんな状況の中、福原さんは、ミュージシャンを引き付ける“環境”をどのように作り上げるか、という問題を立てる。「“シーンがある”というのは、そこでエネルギーが循環するということ。プロを目指すミュージシャンが横浜に集まり、それを受けとめるオーディエンスがいること。それは横浜の音楽的な土壌であれば可能だと思います」。“文化としてのシーン”という意味を込めて、福原さんは“横浜”を“ヨコハマ”と呼ぶ。「ヨコハマを作っていくために、僕たちメディアの人間にやるべきことがあるんです」。
福原さんの番組では、横浜で活動しているミュージシャンを積極的に紹介することで、ミュージシャンのプロモーションにも貢献したいと考えている。「横浜でライブをやれば、ラジオやテレビなどのメディアがきちんと評価して伝えてくれるという環境があれば、バンドにとっては大きな魅力になりますよね。もちろん、メディア露出が目的ではありませんが、“ヨコハマ”を作り上げるには、まずはミュージシャンが横浜で活動してくれないと」。
そして、ユニークな考え方も聞かせてくれた。福原さんはそれを冗談まじりに「横浜ブラジル化計画」と呼ぶ。「ブラジルでは、サッカーが日常生活の中に溶け込んでいるから、観戦する観客の目が肥えているんです。多くの“評論家たち”に囲まれれば、プロの選手のレベルも上がる。これは音楽も同じで、ミュージシャンを育てるにはオーディエンスが必要だということです」。横浜には楽器を弾ける人が多く、ジャズの伝統が存在することなどに触れ、横浜は音楽的な民度は高い街だと評価する福原さん。「沖縄、福岡、大阪には、その地域特有の人気の音楽があります。人口もミュージシャンも圧倒的に多い横浜なら、“ヨコハマ・チャート”が生まれるはずです」。
神奈川県最大規模のアマチュア・ミュージシャンのライブコンテスト『YokohamaHOOOD!!(横浜フッド)』。福原さんは今年5回目を数えるこのイベントの審査員や司会を務めてきた。イベントは、音楽のジャンルは自由、オリジナル/コピーも不問、10代、20代、30代の3つの世代別コンテスト。テープ審査を経て、本年11月27日に横浜BLITZで決勝が行われ、各世代のアマチュア・バンドからグランプリが選出。イベントのゲストには伊勢佐木町でのストリート・ライブも有名な人気アーティストN.U.を迎えている。
YokohamaHOOOD!! N.U. オフィシャルサイト「僕自身、『YokohamaHOOOD!!』の可能性には徐々に気付かされてきたんです」。福原さんは、必ずしもプロにこだわらないアマチュア・ミュージシャンの演奏が、回を重ねるごとにレベル・アップしているのを感じるという。「いいステージ、いい音楽をやるために“クオリティー”を追求する。これこそ、プロ/アマを問わない態度ですよね」。アマチュア層が盛んに活動することが、“ヨコハマ・シーン”の発展にとって不可欠だ、と福原さん。「必ずしもプロにこだわらずに音楽を楽しむ社会人バンドは、忙しい日常生活の中に音楽をとりいれている人たちです。会社帰りに演奏をしたり、音楽談義に華を咲かせてね。ミュージシャンでもありつつ、バンドを育てる眼差しを持つ、最高のオーディエンスだとも言えます。まさに“ヨコハマ・シーン”の底力です」。
福原さんは今後、ライブハウスやインディーズ情報などを提供するWEBサイト『ヨコハマ・ミュージックネットワーク』を始動させ、ネット上でも横浜に特化した音楽メディアを作り上げていくという。「動き始めた“ヨコハマ・シーン”をしっかりと伝えられるようにしたい。音楽シーンはミュージシャンだけの問題じゃないんです。アマチュアからメディアまで、誰かが欠けてもダメなんですよ」。
YokohamaHOOOD!!』の決勝が「横浜BLITZ」で開催されたことは、出演者やオーディエンスに大きな魅力となっていた。横浜BLITZはTBSが運営する国内最高峰のライブハウスだ。TBSの横浜BLITZ事業を担当するのが大津敏博さん。大津さんは言う。「私たちは民間企業ですので当然採算を考えます。しかし、重要なのはどんなライブ、イベントをやらせて頂くかなのです。“横浜BLITZ”というブランドに期待して下さる方々がたくさんいらっしゃいますから」。
横浜BLITZ通常、国内最高峰の設備を誇る“横浜BLITZ”では、メジャー・アーティストのライブが開催されている。『YokohamaHOOOD!!』の開催の前は、矢沢永吉や奥田民生らといった蒼々たるライン・ナップであった。「私たちは、メジャー・アーティストの方々に素晴らしいステージを披露して頂くのはもちろんの事、ライブシーンでの夢や憧れを実現する場として利用して頂く事が出来ればと常々考えていました。今回はそのパートナーがNPO法人アークシップとアマチュア・ミュージシャンの方々だったわけです」。
『YokohamaHOOOD!!』は800人近くを集客し、参加ミュージシャンの演奏のクオリティーや熱意は想像を超えるものだったと大津さんは言う。「横浜BLITZが、横浜のミュージックシーンのサンクチュアリの様になってくれればと思っています。それは企業が社会や文化に対して貢献できることの一つだと信じています」。
この「YokohamaHOOOD!!」を主催したのがNPO法人ARCSHIP(アークシップ)だ。代表の長谷川篤司(はせがわ・あつし)さんは現在32歳。自身も“バンドマン”だった長谷川さんは、勤務していた楽器店で社会人のバンドマンたちと出会う。彼らは平日は仕事を持ち、休日に音楽活動を行っていた。「僕自身も経験しているんですが、バンドをやって年を重ねると息詰まるんですよね。プロになりたいっていう想いもあるし、生活しなければいけないという現実もある。そんな中で、社会人バンドの人たちは実に楽しそうだった。純粋に音楽を楽しんでいたんですよ」。
NPO法人ARCSHIPしかし、社会人バンドがかかえる問題があった。それは演奏場所である。通常、バンドはレンタルスタジオなどで練習し、ライブをやるときはライブハウスを借りるのが一般的だ。しかし、当然費用がかかるし、ライブハウスの数は限られている。バンド中心の生活をしているプロ志向の若者の数も多いので、土日だけの利用が中心になる社会人バンドは場所を確保しづらい。「じゃあ社会人バンドを集めて、ライブハウスを貸し切ってしまえばいいじゃないか」。こうして社会人バンドのためのライブイベント「おとバン~大人バンド倶楽部~」を2001年7月にスタート。また、この頃ストリートミュージシャンのブームがあり、数多くのアーティストがストリートやライブハウスで音楽活動を行っていた。そこで、プロ指向もアマ指向も関係ないコンテスト「ストリート・ミュージシャン・フェスティバル横浜」も始めた。3回目からイベント名を「YokohamaHOOOD!!」に改名、アーティストに大きなステージ、多数の観客の前での演奏の機会を作り続けている。
長谷川さんが考えていたことはもう一つ。「やはり人前で演奏することの意味は大きいんですよ。それも観客が多ければ多いほど。音楽をやることの意味や責任を考える貴重な経験になりますから」。まさにそうした経験、“きっかけ”作りの場を提供することを目的として2002年12月にNPO法人ARCSHIP(アークシップ)が設立された。当時は、NPO活動の意義や市民参加が強く叫ばれていた時期に重なる。長谷川さんは様々な方からのアドバイスを受けながら、NPO法人として活動を開始した。「すべてが“手作りで手探り”。イベントでは僕が進行台本を書いて、司会もやっていました(笑)」。
「イベントというと、プロを呼ぼうという発想になることが多いのですが、僕たちの目的は、プロであろうとアマチュアであろうと純粋に音楽を楽しんで、豊かな気持になるということだったんです」。音楽を通した人間的、文化的豊かさ。長谷川さんには持論がある。「演奏をするプレイヤー、場所を提供するオーガナイザー、演奏を聴くオーディエンス。この3つが揃って文化的な豊かさが生まれていく。それは“街”を豊かにすることにもなると思うんです」。日常的な音楽シーンの確立が人を、そして街を豊かにする。ARCSHIPの射程は、バンドマンから街へと広がっていった。
新世代アートNPOが提案する大人になっても「好きなことを続ける」道ストリート・アート。文字通り、街頭(ストリート)で表現される芸術のことだ。広義のストリート・アートには、伝統的な大道芸からヒップホップのグラフィティーまでも含めることができるかもしれない。長谷川さんが目を向けたのはストリート・ミュージシャン。「ニューヨークの地下鉄で楽器を演奏している人がいますよね。バイオリン奏者まで(笑)。公園にもジャズ・ミュージシャンがいたり。あんな街の豊かな雰囲気に惹かれますね」。前出の福原さんも指摘したように、横浜でもストリート・ミュージシャンは増えている。今やトップクラスのメジャーアーティストとなった“ゆず”も伊勢佐木町のストリート出身。NHK紅白歌合戦には、伊勢佐木商店街からの演奏という形で出演したことは広く知られている。
ハマ発ストリート・ミュージック新時代に突入キーワードは「街」と「物語」しかし、ストリートとは基本的に「道路」。道路使用の法的な問題から、通行者や周辺住人との兼ね合いなど、問題は少なくない。「YokohamaHOOOD!!」の初代チャンピオン、シンガー・ソングライターの山根哲彦さんはストリートでの演奏の難しさについて語る。「怒鳴られたり、怖いお兄さんにお金をせびられたりすることもあります。あとは、警察の方からは道路の公共性という視点から注意をもらうことが多いですね」。また、ARCSHIPの長谷川さんはストリート・ミュージシャンに対する世間の評価も気掛かりだった。「いつまで音楽やってるんだとか、路上で若者がチャラチャラして……といった価値観がありますよね。ストリート・ミュージシャンの問題は、クリエイティブなことや街のあり方を市民がどう考えるかという、私たちのライフ・スタイルの問題ともリンクすると考えているんです」。
ストリートで表現したいというミュージシャンが多いなら、制約を乗り越えてそんな機会を提供できないか。ミュージシャンがストリートで表現し、そのことで人と街が豊かになる。それを可能にする“出会い”の場所が作れないか。「横浜音楽空間」のチャレンジだった。
2005年11月に2日間に渡って実施された「横浜音楽空間」は、グランモール公園等のみなとみらい地区と、イセザキモールをはじめとした伊勢佐木町の2地区で開催。計20組相当のミュージシャンたちが公共の場所で演奏を行った。出演した山根さんは語る。「僕は伊勢佐木町だったのですが、許可を得ているという安心感もあるし、人通りの多い伊勢佐木町ですから、聴いてくれる人も多い。ストリートの良さを充分に体感できました。がんばっているねと地元商店街のおばあちゃんからパンをもらったアーティストもいるんですよ」。実際、出演したアーティストは口を揃えてこの試みを絶賛しているという。
とはいえ、公共の場である道路での音楽演奏だ。当然、無制約で行えたものではない。ARCSHIPを中心として、実現には周到な準備が重ねられた。「音楽は“好き嫌い”がありますから音量が大きいと“騒音”になります。だから、音楽のジャンルについては必然的にアコースティックな音楽を中心にし、街にはゴミを残さないようにボランティアスタッフで拾いました。「アーティストの表現欲求」と「道路の公共性」を両立させたかったんです」。
そんな想いと取組が実り、「横浜音楽空間」は苦情ゼロで閉幕する。伊勢佐木町の商店街からは、またやってみてはどうかという話も出ているほどだ。商店街“イセザキモール”からはアーティストが演奏するための絨毯やテントが提供されるなど、街の側からも「音楽空間」へのサポートがあった。長谷川さんは語る。「伊勢佐木町は“伊勢ブラ”の伝統もあって、街自体がイベント的な魅力を持っている空間ですよね。だからアーティストの演奏が、特別なものではなくて、街の中に溶け込んでいました。いつも何かが起こっている街、“街が生きている”という感覚が今でも息づいていたんですよ」。
横浜音楽空間「横浜音楽空間」は横浜音楽空間実行委員会によって主宰された。これはARCSHIP、財団法人横浜市芸術文化振興財団、そして横浜市から構成されている。ARCSHIPの長谷川さんは、「警察への道路使用許可申請については、横浜市の協力が大きかった」と語る。横浜市がミュージシャンの表現活動をサポートするARCSHIPの活動に理解を示し、行政側の問題として積極的に取り組んだのである。
横浜市芸術文化振興財団文化・芸術の振興によって街の活性化を図るという政策を採用する横浜市は、いわゆる「創造都市」行政の先駆的な自治体と評価されている。「横浜音楽空間」事業を統括した部署が、「横浜市文化芸術都市創造事業本部」。ここで文化政策課担当係長を務めるのが鬼木和浩(おにき・かずひろ)さん。鬼木さんは「横浜音楽空間」の狙いは、“街の活性化”だったと語る。「観光的な観客動員の向上に伴う経済効果の期待はもちろんあります。でも、それだけじゃない。何より大切なのは文化なんです。ミュージシャンが街にいることによって、街全体の印象が変わりますよね。観光客には、“横浜って面白いな”という心理的な印象が生まれるし、横浜には音楽表現の受け皿があるという理由で、ミュージシャンも集まる。街自体の音楽表現へのインセンティブが上がるはずです」。音楽によって街が文化的に“活性化”すること。「横浜音楽空間」に込められた想いは、アークシップのそれとも重なってた。
横浜市文化芸術都市創造事業本部行政がストリート・ミュージシャンを支援する。単純に見えるこのプロジェクトは多くの問題を孕んでいた。従来より、行政はストリート・ミュージシャンを規制する立場にあったからだ。「横浜音楽空間」の実施は、迷惑行為としてミュージシャンを取り締まる側から、支援する側への方向転換を意味していたのである。鬼木さんは語る。「もちろん、迷惑行為は行政としてきちんと対応しなくてはいけません。同時に文化政策としてこの企画を実施するためには、ミュージシャンと行政の両者の立場を理解してコーディネートしてくれる立場が必要だった。それがNPO法人のARCSHIPだったんですね」。
プロジェクトの実現に向け、まずは文化政策課として実態調査を始めた。なんと鬼木さん自らが街頭に出向き、ストリート・ミュージシャンに聞き取り調査を行ったのだ。桜木町では演奏するバンドの前に立ち、演奏が終わると駆け寄ってストリート演奏の意味を尋ねた。2人で演奏するミュージシャンに客が1人というような状況もたまに目撃する。「それでもアーティストは演奏する喜びを感じていたんですよ。ライブハウスにはない、直接のコミュニケーションがあるというんですね」。フリー・ライブから生まれるコミュニケーションに、経済効果に現れてこない“街の力”を感じたという鬼木さん。一番印象的だったのは、横浜出身の人気アーティストN.U.が言った“僕たちは街に歌わせてもらっているんです”という言葉だった。
「横浜音楽空間」の実施にあたり、NPO法人ARCSHIPを中心とした調整が始まる。文化政策課で交渉に当たったのは鈴木理恵(すずき・りえ)さんだ。アーティスト、警察、商店街の人々など、関係者との調整は簡単なものではなかったという。「例えば、みなとみらい地区の公園というのは、演奏自体が禁止されているわけではないのですが、公園でくつろぐ人たちに不快な思いをさせるような騒音は“迷惑行為”になるんです。伊勢佐木町であれば、通行を妨げて買い物の邪魔になれば“迷惑”ですしね。そして、ゆったりとした雰囲気がふさわしい高額商品を売るお店の前で、騒がしい音楽が流れれば、お店にも迷惑でしょう?」。鈴木さんは、できること、できないことを地道に話し合っていった。「横浜市としては、文化芸術の振興によって街が活性化することが狙いですから、街の中に溶け込む音楽表現のあり方を模索したんです」。
そして、演奏はアコースティックで行うことや、ボランティアスタッフで通行の“動線”を確保することなどの条件が見えてくる。それは、NPO法人ARCSHIPやアーティスト、警察を含めた行政、地元商店街など、関係者の全てで共有されたものであった。「どんなアーティストがいるのかがわからない状況の中では当然不安がありました。でも、文化芸術で街を活性化しようという意識が共有されたことも事実なんですよね」。
「もちろん、反省点は多いです」と、文化政策課の鬼木さんは語る。アコースティック以外の表現手法や、みなとみらいや伊勢佐木町以外の場所についても検討すべきことはあると文化政策課では考えている。「今回はまずは実験的に行ったことでもありますが、行政のストリート・ミュージシャンへの姿勢の転換の意味は大きかった」と、鬼木さん。「例えば、若い人には伊勢佐木町出身の“ゆず”が人気があります。そうした若年層への訴求力を当てにして、旧来の“町おこし”的な視点で考えると“ゆず記念館”を建てようということになるかもしれない(笑)。でも、“創造都市”における音楽文化はそういうものではないんです」。行政が提供するのはあくまで、ミュージシャンの表現のための環境や機会であり、主役はミュージシャン自身なのだ。「アーティストの自発性によって文化的な街の力を生み出す。これが“創造都市”なんですよ」。
この“自発性”という考え方は興味深い。鈴木さんは語る。「今回の横浜音楽空間の実施に当たって“ヘブンアーティスト制度”も検討しました」。アーティストに行政がライセンスを付与し、特定の場所での表現の許可を与えるヘブンアーティスト制度は東京都ではじめられた、自治体の文化行政で注目を集めた施策である。アーティストの表現内容を行政が審査をすることによって、表現のクオリティーと、ストリートの公共性を確保する試みだ。しかし、実態については、行政が指定したスペースでアーティストが活動を行わないという状況も指摘されている。鈴木さんは個人的な意見と前置きをした上で語る。「舞台を用意して、ここで表現してください、というものではないんです。行政が考えた“表現できそうな場所”を提供するのではなく、アーティストが“表現したい場所”を解放したのです」。
ヘブンアーティスト行政本位ではなくアーティストの“自発性”本位。だからこそ表現される“現在進行形のエネルギー”。「公序良俗に違反しないように、行政が真っ先に規制するのではなく、ミュージシャン側に“公的なもの”を考えてもらうということですよね」。事実、文化政策課で収集したアーティストからのアンケートでは、街との共存、街の中での表現、ということが強く意識されていたという。
鬼木さんは文化芸術都市・横浜における音楽シーンの展望を語る。「横浜音楽空間で支援したミュージシャンには若い人が多く、従来の横浜の文化政策に関心を示さなかった層にアピールすることができました。それによって横浜で表現したいというアーティストが増え、文化表現を享受する市民も増える可能性がある。その結果として“街の賑わい”や“創造性”が生まれてくる。このような循環を日常的に生み出せるかどうか、これが今後の課題です」。ミュージシャンの自発性と創意に基づく表現を可能にする横浜市の支援体制。横浜市の取り組みに今後も注目が集まるだろう。
横浜に根差したメディア、純粋に音楽を楽しむアマチュア・バンド、そして道路を読み替えるストリート・ミュージシャンたち……。インディーズ・シーンが奏でる音楽が響きあうのは、“ヨコハマの街”の胎動なのかもしれない。
小島健太郎(www.kojimo.com) + ヨコハマ経済新聞編集部