「中華街の夜は早い」とは、よく言われる言葉である。確かに、午後10時近くともなると、街に軒を連ねる中華料理店の多くは店じまいの準備を始める。だが、中華街は「これからの時間」が楽しいのだ。中華街が位置する山下町界隈は、実に約40軒ものバーがひしめくエリアでもある。「食事をする場所」というイメージが強い中華街だが、「バーの街」という違った一面も持っている。いや、日本のバーの歴史を紐解けば、「バーの街」という言葉こそが中華街には相応しいのかもしれない。
横浜中華街 公式ホームページそもそも、日本におけるバー発祥の地が山下町なのである。1860年、横浜市中区山下町70番地(現在のレストラン「かをり」本店所在地)に、わが国初の洋式ホテル「ヨコハマ・ホテル」が建てられた。そのホテルに併設されたプールバーこそが、日本のバーの始まりだとされている。「バンブー」「ミリオンダラー」「チェリーブロッサム」といったカクテルは、いずれも横浜オリジナル。そして、現在も中華街のバーにはそうした歴史と伝統が息づいている。だが、横浜がバー発祥の地であることは、意外なほど知られていない。こうした現状を打破しようと開設されたのが、「横浜BARマップ」というホームページである。
フレンチレストラン横浜「かをり」「横浜BARマップ」は横浜のバーの認知度を高め気軽に利用してもらおうと、横浜のバー経営者やバーテンダーの有志たちが運営する「横浜バーネットワーク」によって2003年に開設された。その発起人の一人である中華街のバー「GREAT WALL」(グレートウォール)のオーナー陳学升さんは、こう話す。「『中華街イコール中華料理』というイメージが強すぎて、ずっと気になっていたんですよ。中華街には全国各地から多くの観光客が訪れますが、その目的の多くは中華料理店での食事であって、中華街にバーが集っていることなんて知られていない。中華街には料理以外の別の楽しみ方があることをもっと知ってもらいたいですね」。
ホームページでは横浜のさまざまなバーが紹介されているが、これらは全て横浜で活躍するバー関係者が推薦する、いわばプロのお墨付きのバーばかり。「横浜バーネットワーク」は決して「○○○協会」といったような確固たる組織ではない。あくまでも、横浜のバーを盛り上げるために何かがしたい、という有志たちの緩やかな連携だ。
ホームページで横浜のバーを紹介するほか、チャリティキャンペーンも主な活動の一つ。これはキャンペーンに参加するバーである特定のカクテルを飲んだら、その売上の一部を寄付するというバーならではのキャンペーンで、言ってみれば「カクテル基金」のようなもの。ホームページ開設以来続けられており、今回で3回目を迎える。「酒飲みっていうとワルのイメージがあるんで、そのイメージを払拭できれば」と陳さんは笑うが、その根底には横浜のコミュニティーとよりよく共存していきたいという、陳さんら「横浜バーネットワーク」面々の思いがある。
横浜BARマップ中華街の地久門そばにある陳さんのバー「グレートウォール」は、ダークオーク調のカウンターが渋い大人の雰囲気を醸し出すオーセンティック(正統的)なバー。選び抜かれた上質なものだけでしつらえられた内装は、バー発祥の地・横浜ならでは。ジャズのBGMを聴きながら、経験豊富なバーテンダーが搾りたてのフルーツを使って作るカクテルが楽しめる。中華街生まれの陳さんは自宅ビルの建て替えを機に、商社マンを辞して19年前にこのバーを開いた。
約40軒ものバーが集る中華街――。他の地域では見られない独特の魅力とは何だろうか。「140年以上続くバーの歴史の重みでしょうね」と、陳さんは言う。そうした歴史や伝統はさまざまな点に垣間見られる。例えば、横浜のほとんどのバーでは、チャージを取ることはない。「昔の横浜のバーは外国人相手だったから、『キャッシュ・オン・デリバリー』(1杯飲むごとに料金を支払うシステム)という外国の習慣がそのまま採り入れられていた。チャージを取らないというシステムは、その名残りなんですよ」。
GREAT WALLまた、連綿と続くバーの伝統を受け継いでいるという自負が、中華街の各バーの団結を強めている。中華街というエリアに決して少なくない数のバーがひしめく中、そこには「商売敵」という発想はない。「中華街のバー関係者はほとんどが顔見知りで、本当に仲がいい。こんな地域は他にはないかも」と話すのは、バー「MELLOW CLUB」(メロウクラブ)マスターの中田裕之さん。
「メロウクラブ」は、山下公園にほど近い隠れ家的なバー。カウンターの奥には140種以上を超えるアルコール類がズラリと並び、アンティークなインテリアによる上品で落ち着いた雰囲気はゆったりと飲みたい人にはうってつけ。同店のオススメは特製のモスコミュール。ショウガを漬けた特製のウォッカをベースに、真鍮製のマグカップという本来のスタイルで供されるこのカクテル、ぜひ一度は試してみたい。
「一つのエリアにこれだけバーが密集していると、徒歩でいろんなバーをはしごできる。これも中華街のバーならではの楽しみ方ですね。常連の方はほとんどのバーに顔を出されますから、同業者の間で客の取り合いなんてことはあり得ません(笑)。そんなところも、中華街のバー同士が仲のいい理由の一つなのでは」とは中田さん。
中華街のバーは時代の流れの中で、外国人船員向けのバーから、その面影を残しつつ日本人向けのスナックやパブなどに形を変えながら発展してきた。ここで中華街のバーの歴史を振り返ってみたい。
中華街で30年以上の歴史を誇る老舗バー「Windjammer」(ウインドジャマー)オーナーのジミーさんは、往時の中華街のバーの興隆を知る一人だ。「朝鮮戦争当時の中華街には、138軒ものバーがあった。そのほとんどが、米軍関係者や横浜に立ち寄る世界各国の船員などの外国人相手に営業をしていました」。1950年代から現在まで、中華街のバーを見続けてきたジミーさんはこう語る。
バーといっても当時は現在のそれとは形態が異なり、来店客の傍らでホステスの女性がサービスするグランドキャバレーやサパークラブのようなものだったという。「当時、女性が付かない現在のようなバーは『コペンハーゲン』ぐらいしかなかったね。格調高くて立派なバーだったけど、一昨年に閉店してしまった。残念ね」。
ジミーさんによれば、酒と女を求めて外国人が殺到した当時の中華街の夜は、現在では考えられないほどの活況を呈していたという。中華街の裏通りには多くのバーがひしめき合い、「ハッピーアベニュー」と呼ばれていた。また、たださえ血の気が多い軍人や船員が集り、酒と女が絡むだけに血なまぐさい暴力沙汰も絶えなかったという。「あまりのケンカの多さに、昔の中華街は『ブラッドタウン』(血なまぐさい街)と呼ばれていたね(笑)。今の中華街は安全な街だけど、当時は物騒な街として知られていて、一般の日本人は本通りを歩くことはあっても裏通りには足を踏み入れなかったよ」。
外国人バー、船員バーとして興隆を極めた中華街のバーの様相が変わり始めたのは、1970年代に入ってから。まずアメリカのベトナムからの軍事的撤退に伴い、横浜駐留の米軍兵の数が目に見えて減少し始めた。また、横浜港に入港する船舶もコンテナ船が主流となり、朝入港して夜出港するといった具合に外国人船員が横浜に滞在する期間が劇的に短くなった。こうした外国人客の減少に、中華街のバーも日本人相手に鞍替えすることになる。「当時、外国人経営者は20人いたけれど、ほとんどが廃業したり経営権を日本人に譲渡したりして母国へ帰国したね。今でも当時の船員バーの雰囲気を残しているのは、ノルウェー人船員だった旦那さんの死後、今のママでもある奥さんが経営を引き継いだ『ニューノルゲ』ぐらい。1975年ぐらいには、ほとんどのバーが日本人相手のスナックやパブに変わった」と、ジミーさんは当時を振り返る。
1960年代後半に軍属としてベトナムへ赴いていたジミーさんが、横浜へ戻って来たのは1972年のこと。同年にオープンさせたのが、「ウインドジャマー」である。19世紀の帆船をイメージしノルウェー人の大工が実物をあしらって造ったキャビン風の内装が印象的なこのバーは、テレビドラマのロケ地にも選ばれたこともあるのでお馴染みの方も多いだろう。また、毎晩開催されるジャズライブも同店の売り物の一つだ。
西門通りをはさんで「ウインドジャマー」の向かいにあるのが、ギリシアスタイルのレストランバー「ATHENS」(アテネ)。ここでしか飲むことができないギリシア産リキュールのほか、「ムサカ」や「ヒコイワシのフライ」などのギリシア料理も人気だ。また開店以来、バーテンダーなどスタッフ全員が女性であることも、同店の大きな特徴。
「中華街のアットホームな居心地の良さに、ついつい10年も働いちゃってます」と笑うのは、バーテンダーの設楽知美さん。将来は自分の店を持ちたいという。そんな彼女が紹介してくれたのが、中華街のバーでも名物オーナーとして知られるギリシア人のジョージさんだ。「まあ、中華街のバーのオーナーのみなさんは、いずれも濃いキャラの名物オヤジばかりですけどね(笑)」。
船乗りだったジョージさんが、中華街に「アテネ」を開いたのは約20年前のこと。それまでは曙町で船員バーを経営していた。ちなみに1960年代ぐらいまでは、中華街はアメリカ系や北欧系のバー、曙町はギリシア系のバーといった具合に、外国人バーも地域によって棲み分けがされていたという。「今でこそ少なくなったけれど、私が日本へ来た当時は横浜には外国人がたくさんいて、インターナショナルな雰囲気に溢れていました。インターナショナルな港町という横浜をすっかり気に入って、船員を辞めて横浜でバーを経営することにしたのです」。
中華街のバーは大きく三つのジャンルに分けられる。一つは、バーの王道である「オーセンティックバー」。前出の「グレートウォール」や「メロウクラブ」はこの範疇に入るだろう。二つ目は「アテネ」のように、お酒とともに料理が売り物の「レストランバー」。そして、三つ目はお酒と音楽がメインの「ミュージックバー」。ジャズライブを毎晩行っている「ウインドジャマー」は、ミュージックバーの代表格だ。
玄武門入り口そばにある「FLASH BACK CAFE」(フラッシュバックカフェ)は、中華街のバーでは異彩を放つアメリカンスタイルのミュージックバー。店長の小鹿邦明さんは「16年前にオープンした当時は、こうしたアメリカンスタイルのバーはほとんどなかったと聞いていますから、ウチが先駆けと言ってもいいでしょうね」と話す。
FLASH BACK CAFEオーナーの趣味だという海外ミュージシャンのサイン入りポートレートやライブチケット、貴重なゴールドディスクやポスターなど音楽関連グッズがディスプレイされた店内は、1980年代の人気音楽番組「ベストヒットUSA」的なテイストが横溢。1970~80年代の洋楽ヒットが160曲収録されているジュークボックスや、90インチ大型スクリーンに映し出されるミュージックビデオやスポーツ中継などで、店内は毎晩のように盛り上がっている。また、アメリカでバーテンダー経験のあるオーナー直伝の本場仕込みのドリンクやフードも人気だ。
横浜のバーの歴史や伝統には、企業も注目している。アサヒビールが横浜で展開中の「横浜BARムーブメント」がそれだ。
アサヒビール「横浜BARムーブメント」はカクテルの楽しみ方の提案などにより、横浜のバーへの集客の促進や「横浜」=「カクテル」のイメージをPRするという試み。これは横浜の集客力を高める事業として、横浜観光プロモーションフォーラムによって認定されている。その事業の一環として、今回は横浜の歳時記に合わせた12種類のカクテルを「横浜Birthday Cocktail」としてセレクト、企画に賛同する横浜市内の87軒のバーで提供し、参加店舗を掲載した「バーマップ」も作成した。
横浜観光プロモーションフォーラム 横浜BIRTHDAY COCKTAILアサヒビール横浜支社の安藤洋一・営業担当副部長は「横浜のバーが盛り上がってカクテルの人気が高まれば、アサヒビールが『スーパードライ』だけではなく洋酒やワインも幅広く扱っているというアピールにもなりますし、当社にとってもメリットの大きい事業。それに私自身もハマっ子なので、この事業にはひと方ならぬ思い入れがありますよ」と話す。
また、この事業はJR東日本と連携することによって「バーマップ」が首都圏の約200駅で配布されたり、「Yahoo!トラベル」のウェブサイト内の横浜特集で「横浜Birthday Cocktail」が取り上げられるなど、思わぬ波及効果を及ぼしている。こうした動きに「『横浜BARムーブメント』も当社だけではその広がりに限界がありますが、さまざまな企業と連携することによってより大きな効果が得られます」と、安藤副部長も喜びを隠さない。
Yahoo!トラベル―横浜特集横浜のバーを取り巻く環境に好転の兆しが見える中、横浜を代表する中華街のバーの現状はどうなのだろうか。関係者たちによれば、「まだまだ元気がない」というのが実際のところだという。
1970年代以降、中華街のバーが最も活況を呈したのは、言うまでもなく1980年代半ばから後半にかけてのバブルの時代。「あの頃は開店30分で席が全部埋まるほどだったよ。それに比べれば、今は当時の盛り上がりの30%ぐらいね」(「ウインドジャマー」ジミーさん)。「グレートウォール」の陳さんも「バーで酒を飲むのに店の前で並んで待っていましたからね。今じゃ考えられない」と、往時を懐かしむ。
バブル以降、中華街のバーが失速し始めたのは景気後退をはじめとする様々な要因があるが、何よりも大きいのは若年層の酒にまつわるライフスタイルの変化だろう。「今の若者は以前ほど酒を飲まないし、飲むにしてもバーよりも割安の居酒屋を利用する」(「メロウクラブ」中田さん)。「フラッシュバックカフェ」の小鹿さんも「バーで酒を飲むことは『男のステイタス』みたいなところがありましたが、そういう発想は今の若いコにはないでしょうね」と話す。
「バーで飲む目的だとか、バーの楽しみ方みたいなことがある世代から通じなくなっているんです」と話すのは、「グレートウォール」の陳さん。「バーで飲む最大の楽しみは、未知の人との出会いやバーテンダーとの会話なんです。酒の知識なんて必要ない」。だから、バーを楽しむにはテーブル席でなくカウンター席に座って、バーテンダーとの会話を楽しんで欲しいという。そして、バーとは決して敷居の高いものではなく、もっと気軽なものだとも。ちなみに陳さんのバーでは、これまでに店で知り合った16組のカップルが結婚しているのだとか。
「ネット時代と言われる現在だからこそ、『横浜BARマップ』のようなネットによる情報発信は有効だと思うんです。バーの魅力を僕らがただ語っても説得力がないですからね」(「フラッシュバックカフェ」小鹿さん)。
その辺りは陳さんも十分承知しており、若年層や観光客だけでなく都内で働き食事やレジャーを都内で済ます「横浜都民」のバー利用も増やしていきたいという狙いもあるようだ。そして、最終的にはバー同士の連携だけでなく、中華街の料理店やホテル、元町のショップなどとも連携して相乗効果を図っていきたいという。「中華街と元町を一つのレジャーランドに見立てたらどうか、と考えるんです。それぞれが相互に、横浜へ訪れる人たちに観光情報を提供し合う。一つのエリアで宿泊ができて、ショッピングや食事、お酒を楽しめるような地域なんて、そうそうないですからね。狭いエリアで客を取り合うのではなく、お互いが連携すればきっと集客効果が上がるはず」と、陳さんは期待を寄せる。
歴史と伝統を今なお残す中華街のバー。年々、横浜らしさが街から失われていく中、ひょっとしたら中華街のバーは横浜らしさを残す「最後の空間」なのかもしれない。そんなバーのメッカで「横浜らしさ」を体感してみるのも一興なのでは。
牧隆文 + ヨコハマ経済新聞編集部