2005年12月、中区本牧に映画やドラマなどの映像撮影用オープンセットスタジオ「横浜バックロット」がオープンした。敷地面積は約5,000坪。中にはセット撮影用に昭和40年代の街並みや、長さ100メートル以上の公道を再現した交差点などの巨大なセットが建てられ、実際に映画やドラマなどでの撮影に利用されている。運営しているのは、横浜でロケーションコーディネイト業務も行っている「パシフィックハウス(横浜市中区)」だ。
Pacific House映像の撮影にはロケ撮影とセット撮影の2つがある。ロケ撮影とは、店や町並み、路上など実際の街や建物を利用して行う撮影のこと。セット撮影とは、制作側がシーンの舞台となる街や建物のセットを作り、行う撮影のこと。ロケーションコーディネイトとは、映像作品の監督や制作スタッフの撮影イメージや条件に最適なロケ撮影の場所を紹介するものだ。
パシフィックハウスは前述のロケーションコーディネイト業務のほか、作品の制作進行管理を請け負う系列会社「シネハウス」とともに、地元密着の強みを売りに横浜周辺で年間60本以上の映像作品の現場を支えてきた。SMAPの草なぎ剛さんと広末涼子さんの共演が話題となった『愛と死をみつめて』(テレビ朝日、2006年3月、2夜連続放送)などのテレビドラマのほか、海外からの映画作品や大物アーティストのミュージックビデオなども手がけてきた。横浜でのロケ撮影の実績も豊富で、大桟橋や神奈川県庁などこれまで撮影が難しかった場所での撮影も実現してきた実績があり、制作会社・地元の両方から信頼が厚い。
シネハウス横浜でロケ撮影を行うメリットを、同社社長の持田慶太さんはこう語る。「映画やドラマの撮影は、多忙な俳優やタレントのスケジュールを縫うようにして行われています。そこでネックになるのは撮影場所への移動時間です。効率よく撮影するには、近いエリアに多様な画が撮れるロケ地があることが鍵になる。横浜には、山があり海があり、港があり、古くからの雑然とした町並みも残っています。東京からアクセスが良くて、これだけロケ地として魅力的な風景がそろっている場所は他にない」。
加えて、オープンセットを建てることができる野外スタジオを本牧に持ち、大規模なセット撮影にも対応できることが同社の最大の強みだ。東京・神奈川には映像撮影スタジオが多数存在しているが、いずれも屋内スタジオであり、町並みなど巨大なセットを組む撮影には対応できない。そのため、大規模なセット撮影の場合は田舎の空き地にセットを建てて撮影するしかなく、役者やスタッフは都内から長距離を移動しなくてはならない。しかし、本牧なら都内からの移動時間が大幅に短縮できるうえ、横浜や都内でのロケ撮影にもスムーズに移行できる。
持田さんは、本牧を映画産業の集積した街にする「横浜版ハリウッド構想」を掲げている。その構想の第一歩となるのが、このオープンセットスタジオ「横浜バックロット」だ。都心に近いオープンセットスタジオを求心力に大作映画の撮影を誘致し、同場所を本格的な映画撮影所へと発展させる。大作映画『ロード・オブ・ザ・リング』の制作をニュージーランドが誘致したことで、同国の映画産業が急激に発展したように、大作映画の制作を誘致できればその波及効果は計り知れない。周辺への映像産業の集積や地域の活性化はもちろん、将来的にはシアターや俳優・技術者の養成施設など映画産業全体へと広がっていく、それが「横浜版ハリウッド構想」の狙いだ。
映像文化産業で地域活性化を図る横浜フィルムコミッションの動きオープンセットスタジオ「横浜バックロット」の土地約5,000坪は、財務省関東財務局所有の国有地。遊休地として活用されていなかった土地を同社が借り受けた。しかし、現在のところこの土地が借りられるのは2007年3月までとなっている。それ以降は横浜市の管轄となるのだが、横浜市がこの土地をどのように活用していくのかはまだ決まっていない。「横浜版ハリウッド構想」を掲げる持田さんにとって、4月以降も「横浜バックロット」を継続していくことは最大のキーポイントとなる。
地元も持田さんの取り組みに期待を寄せる。本牧の市民団体「本牧まちづくり会議」代表の高橋敏昭さんは、「文化発信基地本牧復活に向けたふさわしい事業だと思う。マイカル解体後、新たに本牧地区の核になりうるもの」と話す。同所に恒久的な撮影スタジオを設立することは、三渓園を持ち、古くから文化人らが居を構えていた本牧の歴史の流れに沿うものだと話した。
映画の制作現場のスタッフたちが地元に与える経済効果も大きい。「映像制作の現場では、多いときには1日400人近くものスタッフが必要とされます。本格的な映画撮影所が出来たときに、その数は数万人規模になるでしょう」(持田さん)。映画産業の誘致は、「本牧らしさ」を失わずに経済を活性化するものと期待されている。
また、中区にはかつて「大正活映撮影所」があった。大正9年、現在の元町公園にあった煉瓦工場跡地を利用して設立された。アサノセメント創始者、浅野総一郎氏の子息の良三氏によって設立された撮影所は、日本で初めて映画界に財界の資本が投入されて作られた画期的な事業だった。ハリウッドで修行した栗原トーマスを監督に招へいしたほか、当時新進気鋭の作家だった谷崎潤一郎を脚本顧問として迎えていた。同撮影所には映画監督の内田吐夢や井上金太郎のほか、俳優の岡田時彦、江川宇礼雄の姿などもあったという。撮影所はわずか3年の短期間で幕を引いたものの、日本における近代的な映画制作のさきがけだった。「横浜版ハリウッド構想」は、同撮影所の志を引き継ぐものとも言えるのではないだろうか。
本牧の野外スタジオの継続と「横浜版ハリウッド構想」の実現に向け、持田さんはじめ「本牧まちづくり会議」などが横浜市への働きかけを現在行っている。横浜市は、今後の成長が見込まれる映像・コンテンツ系の産業、エンターテインメント産業の活性化による新産業の創出や雇用の拡大を目指し、創造的産業の都心部への集積に力を入れている。
「古くからの文化発信基地だった本牧に撮影スタジオを」と願い奔走する人々と、「映像文化都市・ヨコハマ」を通して横浜の経済活性化や観光資源の掘り起こしを目指す行政。横浜における映像産業の発展という目的では意を同じくする両者が互いに手を取り合う方策が求められている。
佐藤直子 + ヨコハマ経済新聞編集部