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観光都市ヨコハマの歴史とともに歩んできた
横浜をセールスする「横浜観光親善大使」

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■18歳以上の横浜市民なら誰でもOK

平成18年度観光大使の3人(写真左から岡田さん、鈴木さん、李さん) 「横浜観光親善大使」をご存知だろうか。自身の特技や経験を活かして、観光宣伝や横浜市の行事などに参加し横浜のイメージアップに努める人達で、2003年から毎年募集が行われている。18歳以上の横浜市民であれば男女を問わず誰でも応募でき(高校生は除く)、現在2007年度の横浜観光親善大使を募集中だ。来年度の観光親善大使の活動内容としては一日郵便局長、横浜観光キャンペーンの司会進行、ザよこはまパレードへの参加などが予定されているが、「何だかミス○○みたいだな」と思われる向きもあるかもしれない。それもそのはずで、実は横浜観光親善大使とは2002年まで50代続いた「ミス横浜」の流れを汲むもの。観光親善大使の横浜市民への知名度はまだそれほど高くはないかもしれないが、ミス横浜となれば馴染み深いに違いない。

横浜の魅力をPRする「横浜観光親善大使」を募集 横浜観光親善大使の「横浜新発見!」

平成18年度観光大使の李慶姫さん もちろん、変わったのは単に名称だけではない。選ばれるのも若い女性だけではなく、過去には男性の観光親善大使も存在した。選考に当たっては、横浜の市政や観光に関する知識を問う筆記試験や2度にわたる面接試験など、観光親善大使への適性が吟味される。現在活動中の3人の2006年度の観光親善大使は102名の応募者から選出されたというから、結構な競争率だ。現役大使の李慶姫さんは、観光親善大使への応募の動機をこう語る。「応募したのは『何だか楽しそう!』という直感からでした。友達と飲んでいた時に、酔った勢いで応募したというのもあるのですが(笑)」。

  日頃は歯科医として勤務する李さんだが、勢いで応募しただけに選考が進むにつれ準備不足を痛感したのだとか。「特技がある人は個人面接で披露するのですが、楽器などを用意している人もいて、私にはそんな『小道具』がなかったのでちょっとビビリましたね(笑)」。ちなみに彼女が披露した「特技」は、2年間の留学経験で学んだ韓国語。横浜を初めて訪れた外国人をガイドするという設定で、街の歴史や施設を韓国語で説明したのだという。筆記試験の出来には全く自信がなかったというが、韓国語でのアピールが奏功したのかめでたく合格。

■横浜市の観光振興の一端を担う存在

  ミス横浜がその前身だけに華やかな側面ばかりを想像しがちだが、横浜市の観光振興の一端を担うことが求められる観光親善大使は、その活動内容もなかなかハード。「任期前には研修もあるんですよ」とは李さん。研修では礼儀作法やボイストレーニング、スピーチの仕方まで教え込まれるという。また、様々なイベントで横浜をPRする観光親善大使は、その際の原稿を自前で書くことがほとんど。「就任した頃は句読点の位置も覚えるくらい完璧に用意していったのですが、それを話す時間が直前に短縮されることがよくあるんです(笑)。結構、アドリブ力も問われたりもしますね」。

ミス横浜時代の末廣さん(左)、末廣さんの娘さんも第47代ミス横浜(右から2人目が久美子さん) 翻って、ミス横浜はどうか。第16代ミス横浜(68年)で、現在はデザイン書道家として活躍する末廣博子さんは「私の時代はマイクを持って人前で話すという場面はほとんどありませんでしたね」と、当時を述懐する。一方で末廣さんの時代は、選考会でウォーキングの姿勢を審査されることがあったそう。イメージキャラクター的な色合いが強いミス横浜に比べ、観光親善大使は観光という分野に特化している分、よりコミュニケーション能力が問われるということだろうか。実は末廣さん、妹さんが第25代、さらには娘さんも第47代のミス横浜だったという。ミス横浜の活動の魅力についてこう語る。「普段は会えないような各界の著名人の方々と接する機会が多かったので興味深いお話が伺えるし、『結婚して女の子が生まれたら絶対にミス横浜にしよう!』と思っていたほどですから(笑)」。

末廣博子アートギャラリー

ミス横浜時代の今橋さん(右から2人目) 「VIPの方々と接する仕事ですから、ミス横浜を経験すると物怖じしなくなるものです。就任時は初々しかったのが、退任するときはすっかり図太くなっている(笑)」と、末廣さんは笑う。各界のVIPと出会うことができるというのは、ある意味この種の仕事の「役得」とも言えるが、第48代のミス横浜(2000年)で舞台を中心に女優として活躍中の今橋由紀さんはこう話す。「有名人と会ったときなどは羨ましがられるというか、周囲の反響がありますけどね。私の場合は、サッカー日本代表のトルシエ監督(当時)とお会いしたときが最も大きかったかな」。しかも、そのときはオマケが付いていた。ワールドカップ日韓大会の開催500日前に開催されたイベント「トルシエ監督トークショー」で花束を同監督に贈ったところ、頬にキスされた。その写真がスポーツ新聞の最終面にデカデカと掲載されたのだという。女優としては宣伝効果大だったに違いない。

今橋由紀ホームページ

■意外に歴史の浅い「観光都市」

  ところで、50代も続いた「ミス横浜」が「横浜観光親善大使」へと改められた背景には、男女共同参画行動計画や男女同権の立場からのミスコンへの反発といった風潮もあったが、何よりも横浜市が観光を主要産業の柱として捉えていることがある。日本全国から多くの人達が訪れている印象が強い横浜だが、意外なことに「観光都市」として行政が意識するようになったのは、ここ最近のことだという。

第5代ミス横浜  ミス横浜の選考が初めて行われた1950~60年代の横浜は観光都市というよりも、東京とは違った個性を持つユニークな街に過ぎなかった。そのユニークさとは、異国情緒溢れる港町であることや米軍基地経由で本牧から発信されるアメリカ産の音楽やファッションなどの流行・風俗であったことは言うまでもない。つまり、当時の横浜は日本でどこよりも早く外国文化が輸入される「流行の最先端の街」だった。東京から芸能人や文化人が遊びにはるばる訪れる街ではあったが、決して観光地ではなかったのだ。もっとも、当時は観光資源と呼べるものもマリンタワーや氷川丸ぐらいしかなかったから、致し方ないことかもしれない。この頃の横浜の観光と言えば、豪華客船で外国人が訪れるというイメージが強いが、前出の末廣さんもミス横浜在任時には外国人との交流が多かったと当時を振り返る。

ミス横浜時代の末廣さん  そんな中、70~80年代になると元町商店街が全国的に注目を浴びるようになる。山手の私立女子高やフェリス女子大に通う女子学生のファッション、「ミハマ」「フクゾー」「キタムラ」といった元町ブランドが「横浜トラディショナル=ハマトラ」として全国的なブームとなり人気を集めた。また元町商店街が66年以降、全国の百貨店と販売提携した「元町セール」などを展開してきたことも、元町ブランドが「全国区」となる動きに拍車をかけた。この元町セールは、元町商店街の代名詞とも言える現在の「チャーミングセール」の布石となったものだ。「デートスポットの定番」という横浜のイメージが定着したのもこの頃。

ヨコハマ経済新聞特集記事「ファッションからグルメにまで広がる。世代を越え継承される『元町文化』の今」

■転機は中田市長の就任

第39代ミス横浜。バブル崩壊とともにの横浜の観光客数は低迷  また、今や横浜を代表する観光スポットである中華街が現在のような観光地として整備されたのが86年。街づくりを主導する「横浜中華街発展会」を中心に中国の旧正月である春節祭が祝われるようになったことによって、日本にいながら中国情緒が体験できる現在の中華街のイメージが日本人に定着するようになった。さらにバブルとともに横浜を訪れる人が急増し、「横浜のホテルはクリスマスの予約が春先には埋まってしまう」という過熱ぶりが話題となったのも記憶に新しいところ。だがバブル崩壊に伴い、90年には観光客数が激減する。「マイカル本牧」や「ランドマークタワー」などの登場によって以後は徐々に盛り返してきたものの、2003年3月に横浜市のプロモーション推進本部(当時)がインターネットで実施した「横浜の観光に関する基礎調査」で「ある事実」が明らかになる。なんと、横浜を訪れる人達の95.6%が日帰り客で占められているという結果が出たのだ。中華街などで食事をしたら宿泊をせずに帰ってしまう、といった実態が浮き彫りになった。

ヨコハマ経済新聞特集記事「伝統と開放が融合する絶妙なバランス。最先端を行く横浜中華街の街づくり」

第50代を最後にミス横浜はその役割を終えた  こうした流れを変える契機となったのが、2002年に現在の中田宏市長が就任したことである。「非成長・非拡大」という時代認識のもと行政側にも経営感覚が求められるとして、ハードからソフトへ行政の方向転換を進めたのである。いわゆるハコモノを充実させる従来の手法ではなく、サービス分野の充実を民間事業者や各種団体と連携して進めようということだ。2004年に発表された「横浜経済活性化に向けた中期ビジョン」では、横浜の集客力について概ね以下のような見解が示されている。港や中華街など国内外からの客を呼び込める観光資源があり、またパシフィコ横浜などのコンベンション施設では国際的な会議や学会などが催されることから出張などで訪れる人も多い――。つまり、数多くある横浜の観光資源を再構築すれば、多くの宿泊客を呼び込めるということだ。

横浜経済活性化に向けた中期ビジョン(pdf) 横浜市統計ポータルサイト「観光」 横浜市 報道発表資料「横浜の観光は港・グルメ・夜景!」

  現在、横浜市が展開する観光振興策は、「民間事業者との連携」が最大の特徴だと言える。横浜の観光・コンベンション振興に携わる企業や各種団体、市民事業者が相互に連携しながら横浜の集客力を高めるために、2005年9月には「横浜観光プロモーションフォーラム」が設立された。同フォーラムでは「横浜への来訪者を増やす事業」を広く募集し、認定された事業には同フォーラム会員企業や横浜市、その外郭団体である横浜観光コンベンション・ビューローがバックアップを行っている。設立以来、多くの事業が認定を受けており、代表的なものとしては横浜リゾートウェディング「Yokohama Style」や「横浜開港150周年 ウィスキー&カクテルキャンペーン」といった事業がある。2003年にみなとみらい線が開通するといった追い風もあってか、これらの事業は一定の成果を上げている。

横浜観光コンベンション・ビューロー 横浜観光プロモーションフォーラム 横浜リゾートウェディング「Yokohama Style」 横浜開港150周年 ウィスキー&カクテルキャンペーン

■「開港150周年」が最終目標ではない

  昨年、横浜市では34年ぶりとなる大幅な局再編成を行った。以前の「経済局」「横浜プロモーション推進事業本部」「文化芸術都市創造事業本部」という3つのセクションが「経済観光局」および「開港150周年・創造都市事業本部」に再編成された形だが、「観光」という文字が局名にあるということは市当局の観光振興への並々ならぬ意欲が窺える。「ミス横浜」が「横浜観光親善大使」に変わったように、オール横浜として観光振興に向かっていくという機運が高まってきているということだ。

局再編成で「経済観光局」と「開港150周年・創造都市事業本部」

今橋さんが出演する最新舞台「ヨコハマ キネマホテル」  さて、前出の末廣さんや今橋さん、李さんのミス横浜や横浜観光親善大使での経験は彼女達に何を残したのだろうか。末廣さんの場合は、ミス横浜を経験したことでその後の人生の進路が決定づけられた。デザイン書道家としての彼女の作風は、ミス在任時代に外国人との交流によるもの。外国人が「日本文化は好きなのに漢字を読めないため書を逆さまにして飾ってしまう」ことが多いと知り、古典を写す臨書ではなく彼女独自の「SHo(書)アート」と呼ばれる作風を生み出すキッカケとなったという。それが国内外での評判を呼び、94年には作品『波』が国立横浜国際会議場マリンロビーの常設作品として採用された。一方、今橋さんは「ミス横浜として普通の人では会えない人と会えたり、行けない場所に行けたりしたことが、何よりも得がたい経験でしたね。また、キング・クイーン・ジャックの『横浜三塔』をはじめ、従来からある横浜の魅力を再発見できる1年でもありました。今も観光客に道を聞かれると、見どころなど熱心に案内しちゃうんですよ(笑)」と語る。

「できることなら、観光親善大使として開港150周年に関わりたい」と語る李さん  現役大使の李さんは、2009年の開港150周年に想いをはせる。横浜市の観光行政は2008年のサミット誘致、そして2009年の開港150周年に向けて突き進んでいるが、彼女も全国から注目されていることをヒシヒシと感じるという。「できることなら、2009年度の横浜観光親善大使になれればなあって思いますよ。大使の活動の中で自分のアイデアを活かすという意味では、今後の2年間にこそチャンスがあるかもしれませんね。これから観光親善大使に就任される方は、きっと充実した活動ができると思いますよ」。

  ミス横浜や横浜観光親善大使を経験した者は、退任後も「あれでよく務まったと言われないよう、上手に歳を取らなければ」との自覚を胸に過ごしていくものだという。彼女たちが得た経験は決して一過性のものではなく、その後の人生にまで付いて回る。そして、それは横浜市の観光行政についても同じことが言える。開港150周年を盛り上げることが最終目的ではなく、これまでの取り組みを2009年以降にどうつなげていくのか――。横浜市の観光行政がこれから問われるのは、まさにその部分であると言える。

辻内圭 + ヨコハマ経済新聞編集部

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