横浜駅西口より7~8分、新横浜通りに面した岡野交差点近くに、常に行列が絶えないラーメン屋がある。横浜を中心に全国300店を擁する“家系総本山”の「吉村家」がそれである。
家系総本山吉村家~横浜豚骨醤油ラーメンの店「吉村家」は今から36年前、磯子区のJR新杉田駅前に開業して以来、豚骨と鶏がらを使った豚骨醤油のスープ、ストレートな太麺、大きめの海苔、チャーシュー、ホウレンソウ、刻みネギがトッピングで乗るといったオリジナル性の高いスタイルで、たちまち繁盛店となった。そして、同店で働いた経験者や同店の味にシンパシーを感じる者たちが、「○○家」という名前を付けて独立開業するようになり、さらにそうした店で修業した者などが独立するようになって、いわゆる「吉村家」を源流とする、「家系ラーメン」と呼ばれる店舗群が形成されていったのだ。
ただし「吉村家」では、この店で修業し一定基準を満たした6店のみを直系と認めているのみで、他店の動きには干渉しない態度を貫いている。店主の吉村実社長によれば、大々的にチェーン展開して総本山の座を揺るがすようなことをすれば、そのチェーンの本店の隣に弟子の店を出店するといった厳しい措置も取るが、普通に店を出している限りは「家系ラーメン」のブランドを広げてくれているものとして、ありがたく受け取っているという。
現在の横浜駅西口に移転してきたのは1999年。横浜の中心部に店を構えることによって、横浜のラーメンの王者として世間的にも認められるようになり、「家系ラーメン」がブランド化して全国区へと成長する絶大な効果があったと、吉村社長は移転の成功を喜んでいる。「やはり神奈川で商売を始めた以上、横浜駅前で勝負するのは長年の夢でした。杉田町の頃は店も狭く家賃が8万円だったのに対して、今の家賃は100万円と10倍以上ですが、移転したのは正解だったと思っています。この店の物件を探すのに5年かかり、夢がなかなか叶わなくて苦しかったですが、私が身障者の福祉団体に1000万円を寄付しているのを大家さんが知って、コンビニか何かに貸すつもりだったのを貸してくださったんです」と吉村社長。
利益を社会還元してきたことを評価されたことで、めぐりめぐって結局は自分に返ってくるのだと実感したそうだ。現店舗のカウンターのテーブルは漆塗りで、これだけでも2000万円を投資した。わかる人にはわかるぜいたくがさりげなく施してあるのが、ひとつの魅力になっている。
「吉村家」の年商は単独で4~5億円、直系も合わせたグループで約18億円に上り、ラーメン店1店舗あたりの売り上げが、「吉村家」が全国で大阪の「神座」に次ぐ2位、そして3~6位まで直系の系列店が並ぶといった、驚異的な販売力を誇っている。一般にラーメン屋は1日に300杯売れば繁盛店とされるが、「吉村家」の基準では600杯でまあまあ、800~1000杯は当たり前、1200~1500杯で超繁盛店と位置づけている。横浜の総本家は実際に、超繁盛店のレベルをクリアーしている。
ラーメンレストラン「どうとんぼり神座(かむくら)」株式会社理想実業それだけの支持を受けている秘訣はどこにあるのだろうか。吉村社長は、脱サラしてラーメン屋を始めた動機を「生活のために、学歴のない人間が成り上がる手段として、選んだ職業だった」と語る。トラックの運転手として全国を走る中、各地のラーメンを食べ歩き、東京の醤油味と九州の豚骨のちょうど中間にあるような、「いいとこ取り」のラーメンができないかと発案し、スープも麺も全てオリジナルでつくり出したのが、豚骨醤油味のラーメンだったという。
開業資金は会社の退職金80万円にプラスして、友人からの借金をかき集めた。勝算はあった。当時、関東は早朝から営業する店はなかったが、喜多方のラーメン屋が6時頃開業するのにならって、朝5時に営業を始めたのだ。当時の日本は景気も良く、深夜、朝方まで働く人も多かった。そのアイデアが的中し、しかも夜一杯飲んでから食べるラーメンのイメージを打ち破ったのがテレビ受けした。テレビの仕掛けたラーメンブームのきっかけにもなって、「吉村家」の名はたちまち広く知られるようになった。
開店後、繁盛店となってからも研究を重ね、ある時は背脂を多く使ったり、ある時は鶏がらの分量が多かったりと、少しずつ顧客がわからないように変化させて、時代に合った味を提供しているのが、飽きられない理由であり、トップランナーの宿命だとは、吉村社長の弁である。だから、創業した頃の味と、今の味は全く違っているはずだ。たとえば25年前に焼いた燻製のチャーシューを開発したり、ラーメン屋で初めて無添加醤油を使用したり、テーブルに置いてあるお好みで入れるラーメン酢、刻み生姜、北海道の行者にんにくといったものも、全てオリジナルで考案したりと、常に次世代のラーメンを模索する姿勢を貫いている。「吉村家」の味の再現を目指したカップラーメンが数多く発売されてきたのも、そうした絶え間ない研究が高い評価を受けている証である。
毎年、一度は料理研究家を呼んでグループのメンバーを集めて勉強会を開くが、2006年は韓国宮廷料理を学んだ。現在の味に関する大きなテーマは、魚介系のスープをいかに融合していくかにあり、試作を繰り返しているそうだ。
ラーメン1杯は590円で提供されるが、豚骨は生のガラを使うなど、本来ならこの値段では材料費に見合わない。しかし、1日1トンの豚骨や鶏700羽と大量に使い、野菜も毎朝青果市場に出かけて現金でまとめ買いをするのでコストを低減でき、市場で余剰になっているミカン、リンゴ、カキ、バナナなどの果物を超激安で仕入れて、顧客にデザートとしてタダで提供するので、喜ばれるという。
「吉村家」から直系として独立する場合は、しっかりした経営者を育てていくために、のれん分けやフランチャイズではなく、従業員から100万~3億円のファンドを募って、10年の修業期間を目安に投資するという形態を取る。吉村社長いわく「今のところ、回収率は100%です。私のことを“ラーメン界のビル・ゲイツ”とか言う人もいると聞きますが、半分は誇張ではあるが、半分は当たっている」とのことである。また、資金的に足りない場合は金を貸す場合もある。最短では6ヶ月から独立できるが、修業期間が短い場合はベテラン社員を派遣するなど人的な応援はするが、金銭的な援助はなく、あくまで自己責任で開業を目指してもらうという。
ラーメン世界のトップランナーとして走り続け、今も毎日、早朝4時に店に入って、スープづくりや仕入れに勤しむ吉村社長であるが、そろそろ2人の息子さんに店を託す日が近づいていると感じているそうだ。あと10年頑張れば、後世に残っていける老舗になれると考えている。
一方で昨年8月24日にオープンした「横浜ベイクォーター」5階に出店した、鹿児島豚骨ラーメンの店「我流風(ガルフ)」は、昼はラーメン屋、夜は薩摩の郷土料理を楽しめて、締めにラーメンが食せる居酒屋として営業している、新しいスタイルの店だ。「我流風」は鹿児島市内に9店、福岡県に2店、宮崎県に2店、高知県に2店、東京都下立川市の「立川ラーメンスクエア」内に1店、神奈川県内には「横浜ベイクォーター」と大船「ルミネ」に計2店、全部あわせて18店舗を展開するあぶり焼チャーシュー入りのラーメンを売りとしたガルフフードサービスジャパンが経営するチェーンで、鹿児島では屈指の人気を持つ店である。
ガルフフードサービスジャパン関東には3店舗あるのだが、九州とは別の事業部で別途計画を立てて出店を行っているとのことだ。大規模な商業施設に入居するのは、横浜の店の1ヶ月前にオープンした大船店が初めてで、薩摩料理のスタイルを初めて採用した。商業施設内のテナントだけに、ファミリーあるいは夫婦、カップルで楽しんでもらえるようにという狙いと、夜の単価アップをはかったものである。
「横浜ベイクォーター」店の場合は、「横浜そごう」から流れてくる顧客が多く、特に平日のランチは女性が大勢を占めることから、大船の和風の内装とは異なり、カフェ風のおしゃれなつくりとなっている。しかし、夜は黒豚のしゃぶしゃぶをメインに打ち出していることもあり、サラリーマンを中心とした男性客が6割と、女性の4割を逆転する。グループで予約を取って来る人も多い。また、週末はファミリーやカップルが顧客層の中心になっている。
オープン景気が過ぎたこともあって、顧客の入りは特に平日に関しては、9月頃の4割ほどに落ち着いているが、ほぼ計画通りの推移だという。「夜の単価は1400~1500円は取れていますが、これを何とか2000円に引き上げるのが課題です。今までは鹿児島の焼酎、さつま揚げなどを、とりあえずメニューに出してきましたが、近々メニューをリニューアルして、夜は本格的な居酒屋として営業し、ランチはラーメンショップとして認知されるように、業態を確立していきたいです」と神奈川の2店でマネージャーを務める、川畠友英氏は意欲を見せている。商業施設に出店する際のラーメン業態のスタンダードになっていけるか。今後の動向を注視したい。
ところで、横浜都心部のラーメンビジネスの特徴にはどのような傾向があるのか。「新横浜ラーメン博物館」の広報担当・中野正博氏に聞いてみた。「横浜のラーメン文化は、幕末に開港して以来の麺料理であるタンメンや横浜中華街をバックに生み出されたサンマーメンがあり、74年からは吉村家を発祥とする家系があり、それにラーメン二郎、一風堂のような横浜市外から進出してきた実力店が絡むという構図は変わりませんね。サンマーメンは県内の中華料理店で広まっていますが、専門店というものはなく、若い人はあまり食べないですね。家系は全国に300~400店ありますが、吉村家とつながりのない店も多いです。中島家、六角家、介一家、近藤家、横浜家なんかはそうです。新しくできた店、閉店する店はありますが、最近は全体に店舗数は増えても減ってもいないように思います」とのことだ。
新横浜ラーメン博物館醤油味の細麺に、モヤシを中心とした野菜と豚肉を炒めたものにとろ味を付けた具が乗る「サンマー麺」は、中華街の老舗「聘珍楼」が開発したという説と、伊勢佐木町の「玉泉亭」が発祥であるとする説がある。「サンマー」とは「三石馬(石へんに馬)」と書き、「活きの良い」といった意味を持つ。昭和初期の食糧の乏しい時代に、単価の安い新鮮なモヤシを使って安くて栄養価の高い、活きの良い料理を提供して市民を元気づけたいという趣旨で生み出されたらしい。「聘珍楼」では「サンマー麺」を特に宣伝もしていないが、実際に食すると実においしい麺料理で、990円はお得感がある。
聘珍楼オフィシャルサイト 玉泉亭(横浜のれん会ホームページ)一方の「玉泉亭」は、横浜駅の「ダイヤモンド地下街」と「ポルタ」にも支店を展開している。注文の状況を観察していると、「サンマー麺」は断然の人気というわけでもなく、タンメンやチャーシュー麺を頼む人も多いようだった。県外からの進出組で行列の絶えない店としては、「ポルタ」の博多ラーメン「一風堂」、「横浜そごう」の「ダイニングパーク横浜」にある旭川ラーメン「山頭火」、長者町の東京・三田に本店がある「ラーメン二郎」などがある。「家系」は今後、カリスマ吉村社長の引退も見える中、総本山であるこの店が老舗として真に確立できるかに、さらなる成長の条件が隠されているようだ。
博多一風堂 ようこそ「らーめん山頭火」へ新しい傾向として「一風堂」あるいは「我流風」のように、内装をカフェ風あるいはダイニング風にして、女性も入りやすいような雰囲気をつくっている店も多い。元町の厚木に本店がある塩ラーメンの店「本丸亭」、スタッフがデニムのつなぎのユニフォームでキメている横浜駅西口・鶴屋町の「浜虎」、昨年春にオープンした市営地下鉄・伊勢佐木長者町駅そばの千歳公園前にある「家系」の新店「ハマのオヤジ」といった店舗群がそれだ。
圧倒的に男性客の多いラーメン屋だが、女性あるいはファミリーも取り込める新しい業態が、横浜という中華料理が根づき、かつおしゃれな感覚の人が多い土地柄なら、生まれてくる可能性が高いのではないかと期待できる。まだ、その業態は模索している状況にあり、完全に成功した店があるとは言えないが、ブレークスルーを予感させる店主、店長の意気込みと狙いは十分伝わってきた。
長浜淳之介 + ヨコハマ経済新聞編集部