4/10の本特集ではジャズやロック、ソウルといった横浜ならではの音楽、「いつもの横浜の音楽」を流すミュージックバーを紹介したが、もちろんそうしたジャンル以外の様々な音楽が横浜の街じゅうに流れている。ハウス、ラテン、レゲエ、ブルース、オールディーズ……。今回は、そうしたジャンルの音楽を売り物にするミュージックバーやクラブを紹介する。
歴史的に国際色豊かな横浜には、かつてほどではないといえ今なお多くの外国人が居住している。中でも「ちょんの間」華やかりし頃の黄金町界隈は、アジアや南米などからやって来た売春婦と彼女たちを求めて界隈を徘徊する男たちで大変な賑わいだった。そんな黄金町にあるのが「OASIS LATINO(オアシス・ラティーノ)」。同店ではサルサやマンボ、チャチャチャ、ルンバ、サンバといったラテンミュージックが楽しめるだけでなく、ダンスレッスンも行われている。
OASIS LATINO ヨコハマ経済新聞エリア特集「街で奏でられる『いつもの横浜の音楽』 耳を澄ませば歴史やストーリーが聞こえてくる」
自身もダンスインストラクターとして活動する店長のセサルさんが「いろんな人にラテンミュージックやダンスを楽しんで欲しい」と話すように、ダンスレッスンの受講者も年齢は大学生から熟年まで、国籍も日本や中国、ブラジル、チリとその層は幅広い。講師を務めるのはカルロス・ガルシアさんとYUUKO (ゆうこ)さん。カルロスさんは自身のダンスチームを率いて活動を行っているほか、さまざまなチームをプロデュースしている。昨年には、ラスベガスで開催された「ワールドサルサチャンピオンシップ」に日本代表として初出場を果たした。世界を舞台に活躍するカルロスさんのダンスレッスンが受けられるのは、横浜でもココだけだ。
海岸通りや馬車道界隈など、大正時代から昭和初期に建てられた歴史的建造物が数多く残る街並みは、横浜ならではの景観と言えるだろう。伊勢佐木町の「Bar MOVE(バー・ムーブ)」があるHDイセザキビルも、そんな歴史的建造物のひとつ。そして、そんな風情あるバーから流れてくる音楽はルーツミュージック。ルーツミュージックとは、ジャズやブルース、カリビアンといった黒人音楽を中心に、1940年代のジャイブ音楽やビッグバンド、ラテンミュージックなど、現在のポピュラーミュージックの基礎となった音楽を指す。とはいえ、「いい音楽は何でもアリ」とマスターの国分敬之さんが話すように、「MOVE」ではR&Bや70年代のアメリカンロックなどもかかるので、構えず気軽に楽しみたい。
そんな「MOVE」を代表するイベントが、毎月第二金曜日に開催される「HEY MR.MELODY」。今年で5周年、61回目を迎える。主催者のMr. Melodyさんはこう語る。「横浜を選んだ理由として、もちろん地元なので近いのもあるのですが、都内ではどうしても箱代やノルマなどリスクが大きいということもあったし、横浜なら自分たちの好きなことがやれそうだと思ったんです。最初はお客さんがなかなか集まらなかったりと、いろいろと苦労しましたが、最近では毎回来てくれているお客さんもいますしね。『MOVE』で始めてよかったと思っています」。国分さんも「やりたい音があったら、ぜひウチでイベントやって下さい」と話す。続けて「バカ騒ぎして欲しいってわけじゃないけど(笑)、バカな奴らが最近は減ったよね。みんな遊び方が下手になったのかな」と笑う。
その音のクォリティを聞きつけ、東京のみならず遠く海外イギリスからもDJたちが馳せ参じるクラブバーが日ノ出町にある。「sound community DUB(サウンドコミュニティ・ダブ)」がそれだ。「DUB」はハウスやテクノなどのダンスミュージックをかける店だが、同店自慢のスピーカーは既製品ではなく、オーナーの木村秀男さんが代表を務める「カモメサウンドシステム」(サウンドシステム=音響機器、主にスピーカーを自作するコミュニティ)が建築音響の設計と施工などで有名な田口製作所の協力を受けて製作したオリジナル。
「DUB」のオーナー兼DJとして活動する木村さんだが、もともとはプロサーファー志望だった。「沖縄へサーフィン修行に行った時に出会った地元の有名DJに、『サーフィンは年齢の限界があるけど、DJは一生モンだぞ』って言われたのがキッカケ。『DUB』は親父が経営していたスナックを受け継いだもの。店名が『スナックJJ』だったんだけど、もちろんスナックをやる気は全然なくて『やるからには好きにやらせてくれ』って言って、バーにしてオープン当初からハウスミュージックを流していたんだよ。お客さんは全然来なかったけど(笑)」。
DJだけあって、「音」に対するこだわりはあった。そのこだわりが高じて、「カモメサウンドシステム」を設立した。カモメサウンドシステムは3年前より「Another Ground」というパーティイベントを福富町のクラブ「ex.Bodega」で主催しているが、4月15日に行われた同イベントでは5WAYスピーカー(スーパーハイ、ハイ、ミッド、ミッドロウ、ロウという各出力音域に対応した5つのスピーカー)を披露。また海外進出も視野に入れており、この3月には海外のDJの招聘業務などを行う「カモメサウンドワークス」を設立し、活躍の場をさらに広げようとしている。
ちなみに、「カモメサウンドシステム」の名称は日ノ出町にあった名画座「かもめ座」に由来する。1952年オープンのかもめ座はそのレトロな風情でハマっ子たちの人気を集めていたが、折からのシネコンブームに押され2002年に廃館した。もちろんハマっ子の木村さんにとっても、かもめ座は幼い頃から馴染みの深い映画館だった。「映画館の音響だからさぞかし素晴らしいものだと思って、廃館の際にスピーカーを譲り受けたんだけど、実際は普通のCDコンポに使われているような代物だった(笑)。だから、名前だけ引き継がせてもらったわけ」と、木村さんは笑う。
「石川町でヒップホップ系のクラブをやってる人とか、レゲエのイベントやってる人とか、イベントの形を模索しにここに来たりしてさ。そういう人たちの話を聞いてるうちに、レゲエやヒップホップみたいな音楽もウチに自然と取り込まれていく。だから、ここの音は本当の意味で横浜で育った横浜の音だよ」。
横浜は日本におけるバーの発祥地だけに、横浜市内には500軒以上ものバーが存在するという。そんな横浜のバーに魅了され通いつめたあげく、マスターが脱サラしてオープンしたのが関内のミュージックバー「HAPPY BLUES(ハッピー・ブルース)」。ビジネス街である桜通りに面したビルの2階でひっそりと営業している佇まいは、まさに「隠れ家的」なミュージックバー。扉を開けると、渋いブルースナンバーが流れてくる。
店内で流れる音楽はシカゴブルース中心だが、60~80年代のソウルミュージックやフュージョンなど約1,000タイトル。「音をきちんと聴いてもらいたい」という思いから、JBL-S3800をメインとしたオーディオシステムには特にこだわったという。また、サラリーマン時代のバー通いの経験から、ここだけは譲れなかったというバーカウンターは天然の一枚木。「このバーカウンターは、やり過ぎちゃいましたね(笑)。これじゃなきゃダメだ、と思ったんですが、実際に施工してもらって初めて作業するには狭いことに気がつきました。もう慣れちゃいましたが(笑)」とマスター。もちろん音楽だけでなく、お酒もアメリカンウィスキーが豊富に取り揃えられており、さらに横浜にちなんだ特製カクテルも用意している。
大人の隠れ家的なバーと言えば、住吉町にある「BAR KC(バー・ケーシー)」もそのひとつ。看板はなく、銀色の重厚な扉には十字を模した木製の取っ手――よほど注意しないと見落としてしまいそうだ。カウンター8席しかない小ぢんまりとした店内に鎮座するオーディオシステムは、60年代の名品アルテック社製のプロ用スタジオモニター。そこからは、ケニー・バレルやグラント・グリーン、アルバート・キング、フレディー・キングといった往年のブルースの名曲が流れてくる。
ちなみにこの「KC」、メニューが一切ない。「押しつけがましいのが好きではないので。お客様とのコミュニケーションを大事にしているので、お客様と会話をしながら求めているお酒を考えます。当然、酒や音楽にはこだわっていますが、バーという空間はあくまでも会話を楽しむべきだと考えています」と、マスターの土本京史さんは話す。
最近はレゲエやヒップホップに押されているとはいえ、戦後間もない頃に横浜で大流行したジャズは今でもこの街を代表する音楽だ。といっても、ジャズとは決して古臭い音楽ではない。古い世代だけでなく、若い世代もこの音楽に積極的に関わっている。先ごろ閉店した「ちぐさ」と並ぶ老舗ジャズ喫茶「down beat」では、若いアルバイトが店を切り盛りしている。
「大学のジャズ研に所属する学生がボランティアのように働いてくれたりしています。その学生が辞めると、今度はその後輩が来て同じように働いてくれたりと、途切れずに続いていくんですよ」と話すのはオーナーの田中さん。同店で選曲を担当しているアルバイトの前坂香都さんも、ジャズの勉強のために海外留学を目指しているという。このように若いジャズアーティストを支える役割も担っているのが、「down beat」の特徴のひとつでもある。老舗ながら、その伝統は確実に若い世代に受け継がれている。前坂さんのようなアルバイトスタッフや、同店でコーヒー1杯だけで閉店まで粘る若者が何年か後に横浜のジャズシーンを支えているということもあるかもしれない。
50~60年代のオールディーズのライブをいつも聴くことができるのが「HARMONIZE YOKOHAMA(ハーモナイズ・ヨコハマ)」。「寺内タケシとブルージーンズ」のメインボーカルとしても活躍していた根来ジョージさんを筆頭に地元で活躍するアーティストたち。
HARMONIZE YOKOHAMA 寺内タケシオフィシャルホームページ
そんなライブを楽しみに集まるのは、30代後半のサラリーマンやOLが中心。店長の須山諭店さんは「仕事帰りに寄って、ココでライブを聴いて明日も頑張ろうという気分になってもらえたら嬉しいですね」と話す。ちなみに同店はライブの生演奏も含めて貸し切りが可能なので、お気に入りのアーティストを独り占め、なんて贅沢な楽しみ方や自分のバンドのお披露目パーティーをここで、なんて使い方もできる。
滝ともはるというシンガーソングライターを憶えているだろうか。1980年にアリス解散直後の堀内孝雄とのデュエット曲「南回帰線」でデビュー、ビールのテレビCM曲として取り上げられ大ヒットを記録した。その後、音楽から一時離れるが、現在は独自の音楽活動を続ける傍ら関内にあるバー「Paradise Café(パラダイスカフェ)」のオーナーでもある。
81年に音楽業界からいったん身を引いた滝さんだったが、88年にシンガーソングライターとしての活動を横浜で再開する。横浜のさまざまなバーなどでライブ活動を行ってきており、「横浜は第二の音楽のふるさと」と話すように横浜への思い入れは深い。現在、自身が経営する「Paradise Cafe」の店名も、かつてライブを行った住吉町の同名のバー(現在は閉店)を偲んでつけられたものだ。
「40歳半ばを過ぎて、ずっと歌い続けられる場所が欲しいって思ったんですよ。それで自分のお店を持つことになったんですね」と、「Paradise Cafe」開店の経緯を話す。音楽活動と並行してバーを経営するのには、デビュー曲で大ヒットを飛ばし一躍脚光を浴びた当時の反省でもあるという。「私は大分県の出身なのですが、当時は地元を大切にしていなかったな、という思いがあります。地元の人たちは私が売れていても売れていなくても、そんなことに関係なく支えてくれます。以前は、そうした地元の人たちの応援を大事にしていなかった。そうした反省の意味も込めて、音楽活動を再開した場所であり、不遇の時代を支えてくれた横浜という街に少しでも恩返しができたらと思って、こうしてバーを経営しながら今は自身の活動の他、新人アーティストたちを育てています」。
そんな滝さんは自主レーベルを立ち上げ、自身の作品をリリースするとともに、何人かの新人アーティストもデビューさせている。つい先日、昨年デビューした菊池威という新人のプロモーションビデオが完成したばかりだという。「1曲1曲を大切にしていきたいと考えています。コツコツと努力を積み上げればこそ、スポットライトが当たった時に踏ん張れる力を持つことができると思うんです。まずは横浜で一番になることを目指して欲しい。地に足をつけた活動をして欲しいと新人には話をしています」。
音楽が似合う街、ヨコハマ――。様々な人たちが様々な思いで、様々な音楽に関わっている。「横浜に3日住めばハマっ子」という言葉があるが、音楽もジャズやロック、ソウルだけでなく、今回紹介したラテンやブルース、オールディーズ、ハウスミュージックだって、この街で流れれば「いつもの横浜の音楽」だ。そんな街に流れる音楽に耳を傾けてみよう。
笠原誠 + ヨコハマ経済新聞編集部