大さん橋国際客船ターミナルのつけねから赤レンガ倉庫方面へ、弓なりに伸びている防波堤。この防波堤を上から見ると象の鼻に似ていることから、通称「象の鼻と呼ぶ。 その防波堤で囲まれる水面に面した一帯を「象の鼻地区」といい、横浜の港はここ象の鼻地区から始まった。
1854年3月31日、ペリー提督が2度目の来日で初めて横浜に上陸した場所がこの象の鼻地区であり、1859年日米修好通商条約により横浜が開港場の1つに指定されて以降、象の鼻地区は、横浜で最初の本格的な波止場となる。その後象の鼻には多くの外国人が訪れ、諸外国との貿易の中心地、文化交易の舞台として発展を遂げてきた。
横浜港は開港当時、先端に常夜灯を設置した東波止場(イギリス波止場)と、税関の前身である運上所を設置した西波止場(税関波止場)という、2本の突堤を造設。1866年の明治大火で運上所の本庁舎などが焼失した後、港で荷物を降ろす際に波を避けるため、1867年に東波止場を弓なりに延長、その形が象の鼻に似ていることから「象の鼻」と呼ばれるようになった。
その後1889年には、イギリス人技師パーマーの計画により、現在の大さん橋の原型である鉄桟橋が象の鼻防波堤の背後に建設。西波止場側には新港ふ頭が造られ、近代横浜港の築造が進められた。この時期から、横浜港の主導部は波止場から鉄桟橋と新港ふ頭に交代。象の鼻地区は、物揚場や船だまりとしての役割に落ち着き始める。その後、1923年9月1日関東大震災の被害を受けた象の鼻防波堤は、旧来の位置を継承しながらやや直線的な形に復旧され、物揚場や船だまりとしての役割を維持し現在に至ってきたのである。
横浜市は、開港150周年を記念する象徴的な事業として、「象の鼻地区」の再整備を計画。平成17年度に実施した市民意見募集の結果を踏まえ、基本理念を、横浜の歴史と未来をつなぐ象徴的空間「時の港」に決定。平成18年度には公募型プロポーザル方式により再整備の設計者を募集し、51者の応募の中から審査の後、有限会社小泉アトリエの小泉雅生さんを設計者に選定した。
小泉雅生さんは、建築家やデザイナー、まちづくり団体などが入居するクリエーター拠点「本町ビル シゴカイ」に事務所を構える建築家。設計にあたり、FRPグレーチングでできたスクリーンを象の鼻防波堤と広場を含む一帯を囲むように並べ、大きな光のサークルを表現。曲線を生かしたデザインは「丸」をイメージし、「丸」は「原点」を示しているという。
「象の鼻地区は横浜の原点。土地の持つ独特な曲線形状とイメージが重なり、それを光のサークルでつなげて表現しました」(小泉さん)というように、既存の構築物の間を縫うようにスクリーンを配置。透過性・透光性をもったスクリーンは、夜になると鮮やかにライトアップされ、光のサークルが土地に浮かび上がる。緩やかに高さを変化させたスクリーンにより、分断されていた防波堤と広場は見事につながり、「みなと横浜の原点」を可視化する大きな風景が作り出されたのである。
小泉さんは「広場ということを意識して設計しました。広場は、街を歩いていると自然とそこに出て、人と出会い、文化や芸術とふれあう場所。24時間開かれていて、理念的にも物理的にも開放的な空間です。象の鼻地区は極めて横浜らしい場所で、とてもポテンシャルのある土地だと思います」と話す。
象の鼻パークができたことで、みなとみらい地区から山下公園方面までの道がつながり、景観はもちろんアクセスも抜群によくなったのがわかる。また、芝生のオープンスペース「開港の丘」とともに各所に木々を配置。周辺環境にやさしい路面舗装を実現し、居心地の良い空間を作り出している。
24時間落ち着いて歩ける開放的な広場として、象の鼻パークからは横浜の景色を360度見渡すことができるようになった。原点を象徴する大きなサークルが象の鼻を包み込むように現れ、自然と人がそこへ集うことで、象の鼻は横浜港の新たな中心地として甦ったのである。
横浜市、「象の鼻地区」再整備事業の提案者を決定 (ヨコハマ経済新聞)
美しくデザインされ生まれ変わった象の鼻で、横浜の歴史をしっかりと残し継承しているものがある。それは、パークの整備工事中に発見された遺構だ。
象の鼻地区に建っていた東西上屋倉庫を整備工事で取り壊した際、倉庫跡地の地中約80センチに、明治20年代後半に整備された鉄軌道と転車台を発見。これは、横浜税関の上屋や倉庫の背後を通って大桟橋方面に敷かれていた線路の一部で、コンテナで荷役作業を行うために設けられたものであるとされる。倉庫の下に埋もれていたことから、鉄軌道と転車台の保存状態はよく、横浜市港湾局では議論の末、この遺構を象の鼻パーク内に保存することを決定。パーク内「開港波止場」の足下に、強化ガラスを張って埋められ上から眺めることができるものがそれである。
横浜市港湾局技術担当部長の北村圭一さんは「遺構が見つかった時は、写真で記録を撮るだけにしようかという話もあがりましたが、現物はストーリーを語るのでとても大切なものです。横浜が都市デザインする上で、古きよきものを残しながら新しいものと調和していくことは1番重要なことだと考えました」と話すように、整備の当初は予定になかったが、見つかった遺構をパークの設計に生かし展覧できるように保存した。
さらに、鉄軌道と転車台の発見後工事を進めると、現在の「開港の丘」横に、明治20年代末に整備された旧横浜税関倉庫の建物基礎を発見。そして「象の鼻防波堤」下には、関東大震災で沈下した開港初期の石積み護岸の一部を発見する。これら3つの遺構は、当時の姿をそのままに象の鼻パーク内に保存され、遺構を見ることで横浜150年の歴史を直接感じることができるようになったのである。
北村さんは「3つの遺構を残したことで、時の港としての厚みがとても増したと思います。横浜の良さは、本物を残すこと。これから10年、20年経っていくうえで、象の鼻パークは開港150周年記念の大きな形として残る場所です。小泉さんのデザインされたサークル状のパネルと、開港当時の遺構が重なり合うことで、まさに横浜の歴史と未来をつなぐ象徴的な空間になったと思います」と話す。
開港初期の遺構を残すことで、横浜港発祥の地としての歴史性は未来へと引き継がれる。象の鼻から見える開放的で大きな景色は、現在の横浜だけでなく、過去から未来への時のつながりを浮かび上がらせるものとなったのである。
「象の鼻パーク」の貨物線ターンテーブル遺構見学会-横浜市(ヨコハマ経済新聞)
象の鼻パーク内に建てられた「象の鼻テラス」は、たくさんの人が立ち寄り安らぎの場となっている。象の鼻テラスでは、「文化交易」をコンセプトに、様々なシーンで活躍するアーティストやクリエーターたちによるイベントを開催。テラス内に併設された「象の鼻カフェ」では、バラエティあふれるドリンクや食べ物を楽しむことができる。
象の鼻テラスに入るとまず目を引くのが、全長6メートルの大きな象のシンボルオブジェ「時をかける象(ペリー)」。このオブジェは、ベネチアビエンナーレ(1993年)やハノーバー万博(2000年)、横浜トリエンナーレ(2001年)などで活躍している造形アーティスト椿昇さんによるもの。象の形状は「超合金」を彷彿とし、その表面を木目調の「合板」がまとっているイメージ。超合金は鉄で発展してきた欧米文化を示しており、合板は日本伝統の木の文化を示す。150年前に上陸してきた欧米文化を日本文化がまとっているさまを暗示しているという。
象の鼻テラスの活用事業者として選定され施設活用を進めるのは、青山の複合文化施設「スパイラル」を運営するワコールアートセンター。アートディレクターの岡田勉さんは「横浜はとても磁場の強い土地。たくさんの情報やモノや文化が行き交うなかで、それを活用して発信していきたい。テラスが目指すのは、大人のための上質な施設。象のペリーをはじめ、1つ1つ上質なものにこだわっていきます。日本人の誇りや自信を取り戻すためにも、大人がくつろげる上質なモノや空間を提供することで、子供たちに引き継いでいけるものにしたい」と話す。
テラス内のカフェで使用されているイスに描かれた絵は、フィンランドの画家カティア・トゥキアイネンさんと、緑区の中山小学校の2年生55人が共同で描いたもの。北欧モダンを代表する家具ブランド「アルテック」のイスを用いて、日本とフィンランドの文化がテラス内で融合されている。また、テラスの窓際には岡田さんが選んだ世界中の雑誌が並べられ、国際性豊かな情報を発信。細部までちりばめられたアートのエッセンスが、テラスの居心地の良さを演出している。
岡田さんは「横浜はたくさんの文化を輸入してきましたが、これからは新しいモノを世界に輸出していきたい。アートのユニークな視点でまちづくりをすることで、横浜を再デビューさせ、象の鼻を基点として世界へ情報発信していきたいと考えています」と話す。
象の鼻テラスでは、今後も横浜のものづくり産業や国内外のクリエーターと恊働し、分野を超えたさまざまなイベントを企画。アートのエッセンスでまちを彩り、人と芸術文化が行き交う空間として、横浜創造界隈の中心から新たな情報を発信していく。
象の鼻カフェの「ゾウノハナソフト」「ゾウシャワー」が人気 (ヨコハマ経済新聞)
オープン直前の「象の鼻テラス」で椅子づくりワークショップ (ヨコハマ経済新聞)
150年前、日本近代化の窓口として開かれ、日本を代表する貿易都市横浜の拠点となった象の鼻。時が経つにつれて貿易拠点としての役割は徐々に薄れていったが、開港150年を迎えた今年、象の鼻は横浜の新たな「文化交易」の中心地として再スタートを切った。
生まれ変わった象の鼻からは、大桟橋、マリンタワー、日本大通、横浜3塔、赤レンガ倉庫、ランドマークタワー、ベイブリッジなど、150年かけて発展してきた横浜の街並を一挙に見渡すことができる。横浜港発祥の地としてその存在を再び示し始めた象の鼻は、150年の歩みをその場に刻み、今まで以上にたくさんの人や文化をつなぎあわせていくだろう。そこから360度眺められる横浜の風景は、今まで誰も見たことのなかった視点で、横浜の歴史と現在、そして未来を私たちに見せてくれるのではないだろうか。
古屋涼 + ヨコハマ経済新聞編集部