三浦 佐藤さんは神奈川新聞で、「自転車記者が行く」という連載を続けています。ぼくはその連載を新聞記事らしからぬ面白い記事だと思って読んでいて、今回、連載をまとめて「突撃!よこはま村の100人」という本として出版させていただくことになりました。清野さんのことは佐藤さんから教えていただいたんですが、赤羽の街の日常を書いたこの漫画が、面白いのなんの。赤羽では、マッサージ店や診療所の待合室にも置いてあるほどのヒットになっています。
横浜で突撃取材をする佐藤さんと、赤羽で突撃取材をする清野さん。お2人に共通したものを感じてお呼びしました。
佐藤 「自転車記者が行く」がはじまったのは2年前の今頃です。上司から「最近新聞記事が面白くないな」と言われていて、ぼく自身もそう感じていました。「もう少し、横浜の普通の人や情景を書ける記事があってもいいんじゃないか」という話をして、「それなら歩いて回るのが一番いい。でも、歩きは大変だから自転車に乗って取材ってのはどうだ。おまえ行ってこい!」となった。「とにかく街を書け。歩いていれば事件にも遭遇するだろ」と言われて始めた連載です。ぼくが選ばれたのは、体力と、ある程度の経験があるというだけの話で、もともと積極的に手をあげてはじめたわけでもないんです。
最初の頃は手探りでやっていて、自分の視点も取材相手との距離も定まりませんでしたが、続けていくうちに、こういうのが面白いかなとつかめるようになってきました。
三浦 本でも、新聞がつまらないという話について触れられています。『椎名誠さんが週刊誌で「新聞がつまらない」と書いていた。どの部署もこじんまりしたヒエラルキーがあり、そこからはみ出せない。横並びの記事が多く、社説はどれも偉そうで、面白くない。かつては「社会の真実を追究する突撃隊」と思っていた記者が、今はえらくさびしい職業に思えるという。』と書かれています。佐藤さんはこの文の後、「痛い」と書いていますね。
佐藤 図星でした。それまでスポーツ記者を6年間やっていましたが、スポーツ記事は自分の主観が入れられるので、コラムに近い部分がある。それ以外の記事は定型があって、「この時期にはこれを出す」「こういうことがあったらこの人に聞きに行く」とか、いろいろ決まり事があるんです。それを消化するだけのサラリーマン記者がいい記者と言われる。ぼくは頭もよくないし、真面目でもないので、そんなことをやっていても全然面白くない。だから上司の命令で始めた連載だけど、こっちの方が面白くなってきました。「自分で企画し自分で取材して書く」というのが、記者の本領じゃないかと思ったんです。
三浦 連載は大好評ですね。
佐藤 本来、「新聞は客観的に、自分を入れないで書け」と言われるんですが、「自転車記者」はガンガンぼくの主観を入れています。でも、完全な1人称でもなくて、いわば1.5人称です。手前味噌ですが、こういう1.5人称のスタンスが評判がよくて、社では記者の主観で書いていくコラム的な記事がこのあとぽつぽつと出来ました。「自転車記者のつぶやき」も、ネタが見つからなかったときに空白が出来ると困るから、ぼくの判断で勝手に入れています。「取材を断られてへこんだ」「雨がふってきたのでサボった」なんて、普通だったら許されない記事ですけどね。
三浦 次に、清野とおるさんに『東京都北区赤羽』に至るまでを伺います。
清野 「東京都北区赤羽」の8巻でも少し書きましたが、漫画家としてデビューした18歳の頃は、自分の頭でゼロから想像したギャグ漫画を書いていました。最初は好調だったんですが、20代前半で連載を打ち切られてしまった。それで板橋区にある実家に居づらくなり、赤羽に引っ越しました。そのときはノンフィクション漫画を書こうなんてまったく思っていなくて、次の漫画のネタを考えていました。だけど、いくら持ち込んでもうまくいかなくて、時々オリジン弁当でバイトもしてました。月収0円が3カ月続いたこともある。ほんと、狂いますよ。貯金もなくなるし。
赤羽のことを漫画にしようと思ったのは、ぼくの頭の中で作り出すフィクションより、この街の人たちの話のほうが何倍も面白いことに気がついたからです。だけど、無名の漫画家が、無名の人々を書いたところで、「誰が関心を持つんだ」と持ち込み先で説教されました。もう漫画家をやめちゃおうとも思ったのですが、赤羽で体験した面白いことを消化せずに終わるのは、すごくくやしくて。それで、ブログで好きなように書いていたら、ちらほら仕事をいただけるようになって、Bbmfマガジンという当時設立されたばかりの出版社で連載が始まりました。新しい出版社って怖い物知らずですよ。メジャーな出版社だったらダメってことでもやっちゃう。だから、無名のこの漫画が連載できた。タイミングがよかったんですね。
普通、ノンフィクションは、3の出来事を脚色で10にするんですが、この漫画に関しては10の出来事を3にして書いています。10をそのまま書いても読者に信じてもらえないだろうということが多すぎるからです。
三浦 この漫画には歌うホームレスのペイティさんという個性的な女性が何度も登場します。彼女に会ったのはいつ頃ですか?
清野 2005年です。赤羽駅構内で、明らかに雰囲気の違うホームレスの女性が、まわりにたくさんの人がいるにもかかわらず、一直線にぼくのほうへやってきたんです。ぼくも今でこそ、そういう方々に自分から話しかけたりしますけど、当時は嫌でした。ちょっと怖いじゃないですか。だけど、向こうから「そこのあなた!」と手を捕まれて「お金が足りなくて改札出られないから、30円ください」と言われたんです。しょうがないのでお金をあげたら、気持ち悪いカセットテープをくれて。
テープには、不気味な自作の歌が吹き込まれていたんですが、それを聞いてすごい衝撃を受けました。ペイティさんは街のものを利用して打楽器を作り、それで演奏しながら歌うんですよ。
三浦 ゴミの入ったゴミ袋を叩きつけたりしていますよね。あれはどこに叩きつけて音を出しているんですかね?
清野 それがわからないから面白いんですよ!これはどこでやってるんだろうと想像するんです。バックにカラスの声や街の雑踏、音楽が聞こえたりするので、聞きながら「あそこかな」と想像する。街とともに歌う、すごいアーティストです。
三浦 ぼくも1999年まで仕事で赤羽に通っていたんですけど、ペイティさんらしき人は見たことがない。
清野 ペイティさんは一部の人にしか見えないんじゃないかなんて最近は思っています。知人が友達と赤羽駅を歩いていたら、ペイティさんがぶつぶつ言いながら歩いていたそうなんです。2人ともぼくの漫画を読んでいたので、知人が「ペイティさんだ」と言ったら、目の前にいるのに友達は「どこ?」と、目に入っていない。「そこ!」と強く言ったら「わっ! ほんとだ」と気がついたそうなんですが。
ぼくもそういうことを感じる時があります。駅前の人通りの多いところで、あんなに目立つ人と話しているのにまわりの人が一切こっちを見ない。そこだけ次元が変わって、ペイティさんの世界に連れて行かれたような気になることがあるんです。
三浦 赤羽はそういう人が多いのかなあ。UFOおじさんの話もそうですよね。
清野 荒川土手で一時期UFO目撃情報が多発していました。ぼくは騒動の最初の頃に、UFOを見つけたので、その正体を追っていたんです。そしたら夜の荒川土手で1人のおじさんが、イルミネーションをつけた凧をあげていた。その凧がどこからどう見てもUFOにしか見えない。
三浦 相当高く上がってたんですよね?
清野 最初は300メートルくらいだったんですけど、おじさんが「糸さえあれば1キロ飛ばせるよ」って自慢げに言うから、「さすがにそれは無理じゃないすか」と言ったら、2カ月後にほんとうに1キロの高さまであげちゃった。それだけ飛ばすと赤羽中から丸見えで、街は大パニック。警察まで出動する事態になっちゃいました。
三浦 あのイルミネーションはどうやって取り付けてるんでしょうね?
清野 あのおじさんは技術者なんじゃないかな。普通の人にはできないくらいきちんと取り付けてます。でも、その辺りの細かいことは教えてくれないんです。最近は有名になってテレビでも紹介されてますが、テレビ局はおじさんの正体はつかんでない。携帯番号もぼくを通さないとわからないんです。ついこの間もバラエティ番組から、連絡先を教えてくれという電話が来ました。テレビ局ってすごく上から目線で、紹介して当たり前みたいな態度なんですよ。UFOおじさんは正体があやふやだから面白いとぼくは思っているので、教えずに「自分たちでがんばってください」と答えました。結局その番組はおじさんを見つけられなかったみたいです。
佐藤 この前お会いしたとき、赤羽はテレビと相性が悪いという話をしてましたね。テレビ局に上から来られると「ばかやろう、おまえらに偉そうに紹介してもらわなくたって俺らは赤羽だい!」と反発するのかも。清野さんみたいに溶け込んでいれば向こうも心を開いてくれるんでしょうが。
清野 テレビが来ると本当にもめるんですよ。いずれ漫画に描きたいなという人たちと年月をかけて距離を縮めてきたのに、テレビ局が入ったせいで「もうおまえには描かせない」なんて言われたりする。本当にデリケートなので、描くまで細心の注意を払っていたのに、一瞬で信頼関係が崩れちゃう。
三浦 他人を描くのというのは難しいことですよね。
清野 ネタには困りませんし、見たものを自分なりに消化して描く作業は楽ですけど、実在している人々なので描き終えて「はい、さよなら」というわけにはいかない。それは佐藤さんも同じでしょ?
佐藤 ぼくは清野さんほど一人の相手に深く入り込んで何度も取材するわけではないですけどね。
清野 取材相手に気に入られて、電話の嵐とかになりません?
佐藤 いや、それはないです(笑)
三浦 最初の頃は取材相手を漫画に載せるときに、文書で許可をもらっていたそうですね。でも今は口頭でOKをもらって、そのまま書いてしまう。そういうやり方だと、訴えられて裁判になった時に負けるかもしれない。でも、「赤羽の方に訴えられるなら、もういい」と書いてあって、それはすばらしいなと思いました。
清野 ぼくは訴えられても本望というぐらい赤羽の方々を愛してます。赤羽の皆さんあっての、ぼくですから。それに告訴ってちょっと面白そうじゃないですか。話題にもなるし。それで1本描けそうだし(笑)
三浦 この漫画は、いろいろな面白い人に取材していますが、それだけではなくて、ドキッとするようなところもあるんですよ。5巻に収録されている「赤羽イルカ騒動」という話では、「この見慣れた河にイルカが泳いでいたなんて」と清野さんが橋のところでたたずんでいる場面がある。そこで蝉がミーンミーンカナカナと鳴いている。「夏の夕刻の河。壊れたラジオのような蝉時雨。すべてを包み込む真っ赤な夕焼け」というモノローグがあります。清野さんがずーっとうずくまっている場面が描かれて「頭がどうかなってしまいそうだ」と吹き出しにある。地の文には「度の過ぎたノスタルジーは狂気になる」と書いてあって、これはほんとうにその通りだなと思いました。
清野 よくないですよ、ノスタルジーは。おぼれちゃうと危なくて。
三浦 浸り始めたときはいいんですけど、浸りすぎると危なくなる。清野さんの人生観が時々出てきて、それがグッときます。
清野 何せ多感なんです。
佐藤 多感かあ(笑)
清野 多感は大切です。
三浦 佐藤さんにも共通する部分ですね。取材にちゃんと自分の視点が入っている。
三浦 「突撃! よこはま村の100人」には、取材を続けざまに2回断られたという話がありますね。
佐藤 初めて取材に出た日に2回連続で断られました。横浜寿町の日雇いの方やホームレスの方がたくさんいらっしゃるような場所に足を向けた時です。あのあたりは面白そうなお店がたくさんある。でも、日陰で生きてる方々を相手にしているお店なので、「どもー! こんちわー!」なんてノリで行くと、怪訝な目で見られます。連載もまだ始まっていませんでしたから、企画の趣旨をうまく伝えらず、「ウチはいいよ」と断られてしまった。最初に、古いけど面白そうなパン屋があったので、パンを買って「おいしいですね-。懐かしいな-」なんて調子のいいことを言ったんですが、相手にされない。「お店はいつ頃からはじめられたんですか?」と話しかけても「けっこう昔だね」なんて答えしか返ってこない。しょうがないので、もう1件似たような雰囲気の立ち飲み屋に行ったんですが、同じような対応をされてしまった。「おれに連載なんてできるんだろうか」と自信を喪失して帰ってきました。
三浦 もうすぐ連載3年目になりますが、取材は慣れましたか?
佐藤 カンは養われました。この人は取材を受けてくれそうとか、この人は面白い話を持っていそうとか。最近はあらかじめ取材を受けてくれそうな人に目星をつけてから話を聞いているので、断られることは減ってきました。ぼくの説明もうまくなってきましたしね。最初から「ぜひ書かせてください!」という感じだと相手も引いてしまいますが、何気なく話を始めていって、途中で「ちょっと書かせていただいていいですか」と聞いてみる。そういうタイミングがうまくつかめるようになってきました。
あとは、新聞に載るというのはほとんどの人にとって一生に一度あるかないかの経験なので、できる限りその人のことがうまく伝わるように書きたいとは思っています。でも、字数も自分の文章力にも限界があるし、うまくいかないことも多いですね。
三浦 街歩きがテーマのバラエティ番組「ちい散歩」の地井武男さんになりたいと書かれていますね。
清野 そのくだりはすごく共感しました。
佐藤 あの人の壁の崩し方があれば取材がすごく楽だと思います。あれだけ有名なのに、帽子をかぶって街に入ると溶け込んでしまうんです。オーラをすっと消せる力があって、だから初めての相手も自分のことを話してくれる。
清野 タメ口と敬語とボディータッチが絶妙なんですよ。心理学でもやっているんじゃないかと思うくらい。
佐藤 たとえば、初めて取材でお会いするときは、相手のお名前がわからないことがあります。そういうときに、地井さんは、必ず「お父さん」「お母さん」と呼んでいるんです。これを真似してからは、いろんな取材がうまくいくようになりました。小さなことなんですけど、1歩目がうまくいくとそれからすっと踏み込めるようになるというのを、地井さんは自然に実践していたんです。
神奈川新聞社「自転車記者」の連載記事が書籍に-公開トークも(ヨコハマ経済新聞)
三浦 今日はこの本に登場される方々が何名かいらしています。かつきはりきゅう治療院の禾木秀利さん、佐藤さんの取材時の様子をお話いただけますか。
禾木 新聞記者らしからぬフランクな方というのが第一印象で、最初は患者さんかと思いました。そのためか、本音で話ができました。ぼくらは普段あまり業界外の人たちと話す機会がないので、マスコミの人にどんな風に書いていただけるのかなという興味もありました。友達に見せると、うまくお前のことを書いていると言われました。
三浦 ベイサイドジャズレコードの佐々木浩美さん、いかがでしたか?
佐々木 私も最初はお客様かと思いました。自転車をお店の前に停められて、さっと降りてこられて。車が通るときに邪魔になるので、「こちらに停めてください」と言おうかなと思っていると、さっと佐藤さんが入ってこられて、すぐに話が始まって。でも、神奈川新聞の記者さんと聞いたので、安心してお話しさせていただきました。
佐藤 ぼくと清野さんの違いはそこなんです。清野さんは自分の身分を最後まで明かさず、仲良くなってから「実はこういうもので」と言って描かせてかせてもらうんですが、ぼくは最初に身分を明かしてしまう。身元のわからない人間が根掘り葉掘り聞くと、警戒されるので、最初に名刺を出します。結局、新聞社の名刺の力に甘えてるわけで、まだまだだと思います。
清野 ぼく、佐藤さんがうらやましいです。取材相手の皆さんが、常識的なすばらしい方ばかりじゃないですか。
佐藤 でも、清野さんは赤羽で愛されてますよね。「東京都北区赤羽」は、赤羽の書店では、年間売上が「ONE PIECE」を超えたとか。
清野 そんなに売れてるのは一軒だけですよ(笑)でも、赤羽の方に喜んでいただけるのはうれしいです。赤羽なんてと最初はちょっとバカにしてましたけど、赤羽の方ってほんとうに許容力が高くて、何を描いても笑って許してくれるんですよ。だから、最近は街のために何かしなくちゃと思い始めて、いい話も入れるようになりました。
佐々木 佐藤さんが東北の被災地へ取材された際の文章を読んでとても感動しました。
佐藤 報道部の記者として、震災後に岩手県の釜石市に行ってきました。神奈川新聞は人が少ないですから、広く浅く取材してもしかたがないので、釜石でこの人と決めた人に深く取材をしようと決めていました。
この本にも書きましたけど、日常がぶった切られているのが一番つらい。あの方々は海沿いに住んでいて津波の被害に遭ったのですが、それは横浜に住む自分にも降りかかる可能性のあることです。だけど、テレビを見たり新聞を読んだりしているだけではその痛みは他人事でしかない。釜石に行って、初めてその痛みが自分のものになった気がしました。
取材した方の1人は、奥さんを亡くされていました。夫婦で2人暮らしをされていたのですが、遺体安置所で遺体を見ても、奥さんと気がつけなかった。顔がぐちゃぐちゃだったんです。そのことで自分をすごく責めていて、話しながらぼろぼろ泣くんです。こういうことって被災地にいない人には、なかなか想像できませんよね。ぼくはそれを、この目で見てきて、しかも書く立場にいるから、自分が見てきた痛みを読者に想像させるつもりで書きました。そのためにはディテールが必要だと思ったので、奥さんが普段何を着ていたか、いびきはかくのかということまで聞いてきました。ぼくが書けることは限られているけど、書くことで読んでくれた方が想像してくれたらと。
なくしてもおかしくないものだから、何でもない日常がこんなに愛おしいんだろうという感覚があります。この連載もそれが伝わるように書いているつもりだし、これからもそうしていきたいですね。
佐藤将人(さとう・まさひと)
神奈川新聞報道部記者。1980年生まれ。神奈川県厚木市出身。サッカー選手を夢見た少年時代を経て、スポーツに関われる仕事のひとつとして新聞記者を選び、2004年に神奈川新聞入社。6年間のスポーツ記者経験を経て、2010年に報道部に異動。同年、「自転車記者が行く」の連載を開始する。
清野とおる(せいの・とおる)
漫画家。1980年生まれ。東京都板橋区出身。現在は北区赤羽在住。1998年に「少年マガジン」でデビュー。赤羽に暮らす奇妙な人々との交流を書いた「東京都北区赤羽」がヒットし、赤羽の街では非常に高い人気を誇る。少年時代の思い出やトラウマを書いた「バカ男子」がブロスコミックアワード2009年コミックエッセイ部門1位受賞。近著に、カルト的人気を誇る漫画家・漫画太郎との交流などを書いた「東京都北区赤羽以外の話」がある。
「『共感する力』は誰でも当たり前に持っていると思われているが、2人の書くものを見ていると、実はそうではないように思える」と三浦さん。新聞記者と漫画家と立場は異なりながらも、街と人の面白さを改めて教えてくれる2人のサービス精神豊かな語り口に、会場は笑いにつつまれていました。
次回6月29日20時からの「ツブヤ大学BooK学科ヨコハマ講座9限目」は、「紙にできること」。紙の歴史、紙のおもしろさ、紙の未来について等々、日々紙に関わっている「紙のスペシャリスト」鈴木貴さん(王子製紙株式会社新事業・新製品開発センターマネージャー)をお迎えしUstream中継を行います。聞き手は今回と同じく、三浦衛さんです。
池田智恵 + ヨコハマ経済新聞編集部