櫂(かい)を1本、両手で握り、サーフボードのような板に乗り、水面を歩くくらいのスピードで移動する人影。この夏、週末になると大岡川から周辺の港湾エリアに出現したこの乗り物は、SUP(スタンドアップパドルサーフィン)という。もともとは、ハワイが発祥といわれるウォータースポーツだ。
サーフィンのような疾走感はないが、水辺を散策するようなスローな移動感と水辺のスポーツにしては落下が少ないという安定感に、ファンが増えつつある。特に運河の多い横浜の沿岸部は波も少なく、SUPを楽しむ絶好のスポットだ。
この新感覚の乗り物の初心者講習会を開き、町歩き感覚で運河をクルーズする横浜体感ツアーを毎週末のように開催しているのが、「水辺荘」(横浜市中区日ノ出町2)だ。
SUPに乗り込み、水面から見上げる街の様子は、見慣れたいつもの風景とは違って見える。運河を抜けた先に見える、大迫力のみなとみらいのビル群や赤レンガ倉庫などの伝統的な横浜の街並みには圧倒される。さらに、海側から見た港湾施設や生活に密着した運河沿いの集落の様子など、「陸からは見えない横浜の別の顔」を見ることができるとあって、リピーターが増えつつある。
そもそも横浜の中心部は開港以来、港湾関連施設として開発されたが、産業港湾としての整備が中心だったため、市民が気軽に水面近くまで降りられる場所は少ない。
レジャー用の船から上陸できる場所や市民が利用できる桟橋などは皆無に近く、川沿いには古びた護岸階段がいくつか見られるが、フェンスで遮られ日常使用からは程遠い。
川・海・護岸・陸地は、それぞれに国・神奈川県・横浜市・民間事業者など、管理者が異なる。使用申請などが複雑なことも水辺の市民利用を阻んでいる。
たとえば、大岡川河口部の弁天橋そばにある遊歩道「ボードウォーク」(中区本町6)は神奈川県が管理。川に降りられる階段には柵があり鍵がかかっている。
使用許可を取るには、そこから離れた横浜川崎治水事務所(西区岡野2)で申請することが必要で、しかも鍵の受け渡しは平日限定。休日の活動が多い市民グループが気軽に利用できる環境ではない。
2012年9月、「水辺荘」は実際に地域の河川や海とのかかわりを深める活動を通じて、市民の水辺利用を身近にしていこうとスタートした。水辺から見る街の風景が新たな横浜の魅力創出になると位置づけ、水辺利用の可能性を広く紹介し、水辺からまちづくりにアプローチしていきたいという狙いだ。
きっかけは2011年2月から3月にかけてNPO法人「BankART1929」(中区海岸通3)が開催した勉強会「これからどうなるヨコハマ研究会」。
同研究会の中で、水辺の市民利用を研究テーマに掲げたグループ「コレヨコ水辺班」のメンバーが、横浜の水辺活用の歴史や現状を調査し、水辺の市民利用を進めるにはどう働きかけていけばよいのかを考えた。
実際のところ、河川に入ろうとすると、水面へ降りられる場所はもちろん、ライフジャケットやカヤックなど、様々な場所や道具が必要だ。着替える場所やトイレも欠かせない。
陸地から水辺へ連続利用できる環境、水辺に関心を持つ人が集い、気軽に水辺に出ていくことのできる拠点施設があれば、もっと水辺に市民の関心が向くのではないか。
メンバー有志で、研究会が終わった後も話し合いを重ね、拠点の開設に向け動き出すことになった。
そして、当時、NPO法人「黄金町エリアマネジメントセンター」(中区日ノ出町2)が募集していた親水施設「川の駅 大岡川桜桟橋」近くの物件のレジデンスプログラムに応募。審査の後、入居が決定した。
また、「運河を利用したアクティビティなどを実行することで、港湾都市横浜のブランド再構築につながる」点が評価され、横浜市芸術文化振興財団が実施するアート支援事業「アーツコミッションヨコハマ」の「都市文化創造支援助成」が決まったことも活動を後押しした。
水辺荘のコアメンバーは会社員、横浜市の職員、建築家など、現在10人。活動拠点「水辺荘」は、1階が艇庫、2階が更衣室。レンタル用のSUPは8艇あり、水辺荘が企画するツアーに申し込めば誰でも利用することができる。
この一年、SUPや10人乗りの大型カヌー・Eボートなどをメーンに、体験イベントや運河リサーチクルーズ、勉強会などをほぼ毎週末行った。
そうして、水辺から見る横浜運河の景観的価値や水面利用の可能性などを探る一方で、水上アクティビティ体験にとどまらない様々な活動にも乗り出していった。
陸上から水辺魅力アップを図っていこうと、今年4月には地図作りを行う街おこしグループ「トリエン団」と、「横浜水辺マップ」を共同制作した。
それぞれが水辺の楽しみ方の想像力を広げてほしいと、マップは白地図になっている。
そのマップを使って町歩きワークショップを開催。徒歩で、船で、そして自転車でと様々なアプローチで何回にもわたり流域をリサーチし、川沿いにひらいた飲食店マップ、ピクニックマップ、乗降可能ポイント図、銭湯やコインシャワーマップなど、川を中心に街を楽しむために、さまざまな視点でのマップ制作が提案された。
9月14日にはそのリサーチ内容を持ち寄り地図にまとめるワークショップを開催。今後、成果発表のための水辺マップ展覧会も予定している。
ただ、船をこぐことだけが水辺の楽しみ方ではないと、5月には、川下りをしながら水上コンサートを行う「水辺ミュージシャンプロジェクト」を開催した。川下りをする船団を組み、ミュージシャンも観客も船の上というコンサートだ。
シンガーソングライターの政岡玄さんが演奏するボートを先頭に、観客が乗ったカヌーやEボート、SUP(スタンドアップパドル)などの船団が、大岡川桜桟橋を出発。政岡さんのギター弾き語りを楽しみながら川を下った。
桜木町に近い汽車道では、船の上からおよそ20分の演奏を披露。総勢30以上のカヌーやボートが集まり、川岸を行く人も足を止め、珍しい水上からのコンサートを楽しんでいた。
このほか、水上ヨガを開催するなど、単なる水辺のお楽しみアクティビティではなく、町歩きや音楽鑑賞など「水辺カルチャー」とも呼べる新しい水辺の楽しみ方を提示し、新しい形で横浜の水辺のファンを増やしている。
市民グループ「水辺荘」が大岡川下流域「横浜水辺マップ」を制作(ヨコハマ経済新聞)
水辺荘が拠点とする黄金町地域は、かつて違法な特殊飲食店が立ち並び、一般の人が近づきにくいエリアだった。大岡川桜桟橋は、そんな違法風俗店一斉摘発の後、町の活性化のためにと地元の強い要望のもと、2007年3月に設立された。
地域住民で組織する「大岡川 川の駅運営委員会」が鍵を管理し、利用調整を任されている近郊ではほかにない珍しい市民運営の桟橋には、町のイメージチェンジへの思いがこめられている。
水辺荘メンバーは、水辺から広がる街づくりを目指している地元の人々と積極的に交流したいと考え、地元の地域のイベント準備や企画などに参加、祭りのみこしの担ぎ手などにも積極的に加わっている。
日ノ出町青年会副会長の小林直樹さんは、「若い彼らが町のイベントに参加してくれると盛り上がります。桜桟橋は町の重要な財産で、どうやって活用していくかが地域にとっても重要なこと。水辺荘が新しい人の流れを作り、川の楽しみ方を伝えてくれたことで、地域住民はじめ多くの人が大岡川に注目するようになった。桜桟橋を拠点としたイベントが増えたことが喜ばしい」と語る。
「大岡川 川の駅運営委員会」の谷口安利さんは、「SUPの導入が衝撃的だった。彼らのおかげで川の楽しみ方が広がり、いまでは桜桟橋を積極的に使う地元グループも現れた。2012年は、イベント時など月に1~2回の桟橋利用だったが、この春からは毎日のように使用するまでになった。大岡川がこの町の新たな魅力として、注目度が高まっていることが何よりうれしい」と話している。
昼間の水辺の活動でつながった人や地元の人たちと、夜、語り合いの場を持ちたいー。
水辺荘は開設1年を記念して9月18日、初めての試み「水辺荘NIGHT」を同じ黄金町エリアの「YOYO ART BAR」(中区初音町1)で開催する。あまり知られていない横浜の水辺の魅力や課題を話し合い、お酒を飲みながら仲間を増やし、思いを共有するのが目的。
「水辺荘NIGHT」は、実験的に開催したのち、運営方法などを検討して、10月以降、定期的に行う予定だ。
ほかにも、10月にはLEDをつけて光を放つSUPが水辺を走行するイベントで「スマートイルミネーション横浜」に参加を予定。11月2日には水辺マップ展覧会とまちあるきを企画している。
水辺荘メンバーの山崎博史さんは、「拠点を構えてみて良かった。水の上に人は立てないから、陸と水の乗り換え地点、トランジットの場所としての水辺荘が存在することが重要。これまでの横浜の水辺は見るだけで入れない場所だったが、トランジットがあればアクセスできる。やってみるとたくさんの人が来てくれて、水辺ファンは確実に増えたと感じる。女性が多いのが意外だった。最初の1年は開いた。次はつないでいきたい」と語る。
「黄金町バザール2013」が開幕-アートで歩くまちの足跡(ヨコハマ経済新聞)
横浜にとって、今も昔も水辺は大切なインフラだ。それは単に水運交通の場としてだけでなく、人と人をつなぐコミュニティを形成する場でもあった。
水辺荘メンバーはこれからも積極的に水辺に出て行き、仲間を増やし、この場所でしか味わえない面白さを多くの人と共有していくために活動を続けていく。
船本由佳+ヨコハマ経済新聞編集部