株式会社ディストル・ミュージックエンターテインメント(以下TME)は、今年創業4年目を迎えた中区相生町の音楽事務所だ。こだわっているのは徹底した地域密着型の音楽発信で、特に生明さんの地元・戸塚区を中心にテーマソング制作や活性化イベントを行ってきた。3月21日には「とつか音楽の街づくり事業」の第一弾イベントとして「とつかストリートライブ」が開催され、生明さんは運営委員を務めた。イベントには、戸塚区内外から17組のアーティストが参加し、駅前広場などで演奏を披露した。昨年5月に開催したkaho* さんのワンマンライブでは「さくらプラザホール」を満員にするなど、kaho* さんを始めとするTMEのミュージシャンらの活動は、戸塚を音楽で盛り上げるシンボルになりつつある。
自身もサキソフォン奏者としてアーティスト活動をしてきた生明さんは、全国の路上をまわる中で、地域振興と音楽の可能性に気づいたという。
「東京と地方では、地域の方の地元への愛着が全く違います。路上ライブをやっていて、最初は『なんだろう?』と思っても、地元出身のアーティストが地域の歌を歌っていれば応援したくなる。これまでいろんなアーティストの活動を見てきましたが、例えば横浜を中心に活動していると言いながらも、みんな都内や他県にも行って活動場所を分散してしまうんです。ローカルビジネスはどれだけ地域にコミットするかが大切です。アーティストが一点集中で音楽を奏でていれば、きっと街の人は応えてくれるんじゃないかと思ったんです」と話す。
kaho* さんが手がけた戸塚のテーマソング集は既に2枚のアルバムになって発売され、楽曲数は20曲を超える。バリエーションもさまざまで、パン屋や接骨院といった個人商店から、区役所・警察署と連携した「振り込め詐欺」へ注意を促す「防犯の歌」、戸塚のゆるキャラ、ウナシーの体操歌まで収録されている。生明さんも、当初から想像していた以上に地域との交流の輪が広がり、街への効果が生まれていると話す。
「最初に考えていたのは、お店の曲を作ってそれを店内で流せば雰囲気もよくなるし、街も明るくなるんじゃないか…という程度のことでした。同じ音楽でも、有線の曲をただ流すのと、店舗の曲を流すのでは効果が違うはずです。テーマソングが増えるうちに、kaho* が区内のいろんなイベントに呼ばれるようになり、具体的に『あの曲を歌って』と言われるようになりました。戸塚の曲だからこそ楽しくて、需要があるんですね。そうしているうちに、区役所や警察署とも連携させていただけることになって、皆さんが街の中で音楽を耳にする機会自体が増えたと思います。」
生明さんに促され、戸塚の街を歩きながら地元商店会の方々の話を聞きに行った。
戸塚駅東口の「純喫茶モネ」(横浜市戸塚区戸塚町10 ラピス12F)は先代から約40年続く老舗喫茶店。生の珈琲豆を仕入れ店内で焙煎(ばいせん)している。店主の片山さんは、戸塚駅東口ラピス商店会の理事を務め、駅前イベントの企画をしたりと、戸塚の玄関口で地域住民の交流を活気づけている。kaho* さんが制作した同店のテーマソング「まあるい笑顔」では、片山さんの親しみやすい笑顔と人柄はもちろん、お店から新たな交流の輪が広がっていく様子が描かれている。
生明「kaho* が戸塚に密着するようになって、片山さんが感じる影響はどんなことがありますか?」
片山「kaho* さんのファンが戸塚の街にくっついちゃってるね。一回も会ったこともないようなファンの方がお店に来て、僕にかける第一声が“大ちゃん”なんだよ。ファンの中ではもう“大ちゃん”で通ってて、僕の話題が会話の中にあるんだね。テレビの向こうのタモリさんに親近感が湧いて、道端で見かけたら話しかけちゃうのと一緒。そういう現象がうちの店に限らず戸塚のあちこちで起きているというのがすごく面白い。生明くんもそこまでは見えてなかったんじゃないかな。」
生明「何か特別な意味がないと、自分の住んでいる街以外に愛着を持つことはないですよね。外部の方が戸塚の街に愛着を持つきっかけを、音楽を手段に作れているのであればそれが私から街への一番の恩返しです。片山さんを始め、戸塚の方々には本当にお世話になっています。経営者をしていると、いわゆる上司や先輩という立場の人がいないので、人間的な部分を指導してくれるのは戸塚の街の方々です。」
片山「戸塚に古臭くて人間味のある人がいたのはラッキーだよね。生明くんは強運の持ち主だよ。戸塚に限らず、商店街の人たちは新しい人を迎え入れるのをどうしても拒む傾向があるけど、君が来たのはちょうど戸塚の街が外側へ目を向けようとしている時期だった。」
生明「街の皆さんには叱られることもありますが、3年前に私が地域密着活動を始めてから、すごく成長させてもらっています。」
片山「音楽で街づくりをすると言っても、ただ音楽を演奏して帰るだけじゃ調子が良すぎる。生明くんは東口商店会の会議にも出席して、資料を作って説明して、イベントも運営して…、一緒に汗をかく仲間だからみんなが引っ張りあげてくれる。それが最近分かってきたよね。生明くんは戸塚にいる時間が一番多いはず。それに、ただ単にいい音楽があるだけで街がガラッと変わるなんてことはあり得ないんだよ。街はチームだからね。音楽が個人に届くだけでは街は変わらない。まずは人と人の結びつきが前提にあって、それがチームになって、そこに音楽という要素が加わるから初めて効果が生まれる。いい音楽を演奏できたって、その人が嫌な人だったら絶対街ではうまくいかないからね。」
生明「片山さんが大事にするのはチームという言葉。まずは縦も横も人が一体化していかないと物事は前に進まないという考え方です。だからこそ、このお店からいろんなことが始まるのだと思います。片山さんを始め、戸塚でやろうとしていることに対して、戸塚の人が踏み込んできてくれるのはすごくありがたいです。若い私は勉強不足で、それを理解するまでに少し時間がかかりましたが…。(苦笑)」
片山「いつか授業料を払いに来るんだよ!(笑)」
まあるい笑顔(純喫茶モネ ):戸塚 テーマソングプロジェクト
音楽を手段にした地域振興はもちろん街と協働しなければ意味がない。TMEは所在地が中区相生町でありながら、戸塚東口商店会の一員でもある。初めてテーマソングが生まれたのは、同商店会のパン屋「ぷち・らぱん」だ。同店は、国産小麦粉や天日塩を使用している素材にこだわったパン屋さん。店主の青木陽さんに話を聞いた。
生明「戸塚には、街をよくするために何かできないか常に考え、面白いことをしようという活力を持っている人がすごく多いと思います。青木さんは特にそのタイプ。初めてテーマソングプロジェクトのプレゼンをした時も『うちでやってみれば?』とすぐに手を上げていただきました。」
青木「僕は何でも『やりたいことがあるならやってみればいいじゃん』っていうスタンスだからね。自分が面白いからやっているだけだよ。テーマソングにしても、最初は商店会のみんなはあまりノリ気じゃなかった。それで僕は生明くんがいない時にみんなを怒ったことがあるんだよ。『自分の店の歌があるなんていう商店は他にはない。なんでこういうチャンスにお前ら手を挙げないんだ』って。」
生明「東口商店会の会合に参加させていただいて、緊張に手を震わせながらプレゼンをしたのを覚えています。テーマソングプロジェクトをやってみて、何か効果を感じることはありますか?」
青木「kaho* ちゃんの活動が直接売上に還元されているかというと、まだそれほど大きくないとは思う。だけど、テーマソングを作ってもらったお店は明らかに以前と変わった。例えば横田商店さんや包装市場さん。お店に新しくkaho* ちゃんのブースを作って、コラボ商品を置くようになった。代わり映えのない売り場を変えようと、自分たちで気づいて実行したことがすごい。これは大きな変化だよ。自分たちにとってはなんでもない配達用の車も、kaho* ちゃんが座って写真を撮るだけで味わい深くなったりする。そういう小さな変化を起こせることに気がついて、自分達で考えながら工夫するようになることに大きな意味があるよね。」
生明「私達が考えていたのは、テーマソングを作ることでお店のイメージがアップするというところまで。それより先のことはお店の方が、例えばkaho* をモチーフにした商品や販売ブースを作ってくれたり…といったことを自発的にしてくださいました。それをまたkaho* がライブやBlogで紹介して…という流れを作れたのは大きな成果だと思います。」
青木「商店街の通りにしても、店先にポスターの一つも貼ってないんじゃ誰も見向きもしない。駅へ向かうだけの寂しい通りになってしまう。でもそこに若い女の子のポスターが貼ってあったらそれだけで目を引くし、サインが書いてあればさらに「なんだろう」って思うよね。見渡すとあちこちの店に同じポスターが貼ってあって、もっと興味が湧く。最終的には商品を買ってもらったり、お店の人と話をしたりということに繋がる。歩いている人がちょっとでもお店の方へ目を向けるきっかけを作ることが大事。」
青木「音楽は若者や年寄りといった世代に関係なく共通の会話が成り立つから、いろんな変化のきっかけになりやすいと思う。商店街は多様な業種があって、例えばパン屋と金物屋がコラボしたいと言っても難しい。でも、歌だったらその垣根を飛び越えて繋がっていける。」
生明「世代や地理的な制約を超えて、いろんな人が感動や興奮を共有できるのが音楽の強みですよね。今年3月に第一回が開催された『とつかストリートライブ』についてはどのような期待がありますか?」
青木「戸塚駅前に集中しているイベントだから、現状では商店街までのシャワー効果が少ないと思う。だけど、続けていればいろんなアイデアが出てくるはずだから、今後の変化には期待ができる。例えば、ストリートってなにも駅前だけじゃないよね。海外のストリートミュージシャンみたいに、街角で演奏している人がいてもいい。無名のアーティストが街角から演奏を始めて、自信がついたら駅前にデビューするみたいな流れがあっても面白いね。」
青木「生明くんやkaho* ちゃんがテーマソングを始めてまだたった3年。今はまだ下地を作っている段階だよね。TME以外のアーティストが戸塚に興味を持ち始めているから、これからもっと新しい変化が生まれそうなのが楽しみ。この前も勝田くん(勝田接骨院)から急に電話がかかってきて、彼がスポンサーをしているB-CORSAIRS(横浜のプロバスケットボールチーム)とバスケットで戸塚を盛り上げられないかって話になったんだよ。そうしたらちょうど『とつかストリートライブ』に出演したEyes’さんがB-CORSAIRSのテーマソングを歌っていたりして。また面白いことが始まろうとしている。『音楽の街とつか』の魅力づくりを進める「とつか音楽の街づくり事業」での区役所との連携も始まって、これから先もっと変化していくだろうね。」
街の人々の積極性と音楽が交わり、街に変化を起こす息吹となっている。戸塚の街に密着た活動を始めた生明さんには確かな手応えがある。
「3年前と今では街の人の音楽に対する意識が全く違うと感じます。以前は音楽というだけで色モノ扱いされていましたが、最近では地域課題の解決手段として音楽を使ってみようという発想をしていただけるようになりました。これは演者であるアーティストの存在が身近にあることが大きいのだと思います。」
また、「とつかストリートライブ」は今後、運営委員会による認定制を導入する予定だという。これまでアーティストを呼びたくても方法が分からなかったイベント運営者のための窓口となり、アーティストを斡旋する。街に潜在的に存在するイベントがより活性化される。
音楽が手段として身近になることに大きな意味があると生明さんは語気を強める。「音楽が生み出す価値は非常に抽象的で、衣食住には直接関係がありません。そのため地域では必要とされていないケースも多いです。しかし私は、目に見えるものではないからこそ、音楽には価値があると考えています。東日本大震災でもまずはインフラを整えるということが優先的に行われましたが、最低限の衣食住が整えば、あるいはそれらが整う前であっても、心の支えとなってくれる“何か”が欲しいという声があちこちで聞かれました。音楽は演奏している側だけではなく、聴く側もそれを作る一員です。手拍子をしたり、一緒に歌ったりすることで一体感が生まれ、より大きな新しい音楽が生まれる。これはとても大切な感覚だと思います。」
これまで音楽が街と調和する土台づくりをしてきたTME。「とつか音楽の街づくり事業」がスタートすることでTMEが担う社会的な役割はどう変わるのか。
「音楽をもっと身近で楽しんでもらうためには、街の人の参加意識を高めていくことが大切です。そのためには、イベントの企画自体を包括的に提案できるようにならなければいけないと考えています。また『とつかストリートライブ』も音楽を垂れ流す無法地帯になっては意味がありません。聴く相手のことを考えられるようなアーティストを区民としても歓迎したい。当社としても、そういうアーティストを成長させていけるような仕組み・環境づくりをしていきたいです。」
宮本 匡崇 + ヨコハマ経済新聞編集部