京浜急行電鉄(以下京急電鉄)は、3月14日、6駅の駅名を変更した。大師線の産業道路駅、本線の花月園前駅と仲木戸駅、逗子線の新逗子駅、空港線の羽田空港国内線ターミナル駅、羽田空港国際線ターミナル駅が新駅名となった。
駅名変更のきっかけとなったのは、産業道路駅の地下化。2019(平成31)年3月に小島新田駅~東門前駅の間が地下化し、産業道路駅は川崎市初の地下駅となった。
電車が産業道路(東京大師横浜線)の上を走らなくなった(川崎市ホームページより)
この工事は川崎市の「大師線連続立体交差事業」によるもので、1994(平成6)年当初、大師線の京急川崎駅から小島新田駅までほぼ全線を地下化し、15カ所ある踏切のうち14カ所を除却する計画だった。東門前駅から川崎大師駅は現在も事業を継続中だが、京急川崎駅~川崎大師駅については2017(平成29)年に事業の再評価が行われ、中止となっている。
平面図(同上)
京急電鉄の開業は1899年(明治32年)1月21日、川崎大師(平間寺)の縁日の日。関東初の電車を六郷橋から大師へ走らせた。2018(平成30)年9月、同社は創立120周年記念事業として、沿線地域の活性化を目的に、沿線に住む小中学生から駅名変更案を募集した。
駅名変更を必ずする駅は、地下化して産業道路と交わらなくなった産業道路駅。そのほかの京急線全駅でも「わがまち駅名募集」として駅名変更案を募集。その際、他社線との乗換え最寄り駅等については、応募は可能だが、実際の駅名変更は予定しない駅とされた。
羽田空港駅はどちらも「わがまち駅名募集」企画としては変更を予定しない駅
応募総数は1119件 。2019年1月、京急電鉄は沿線の小中学生から寄せられた意見を参考に、町名、地域シンボルや利便性等を総合的に判断して2020年3月に4駅の駅名を変更 することを決めた。
「わがまち駅名募集」の結果、4駅の駅名変更が決定
これとはまったく別のもう一つの動きがあった。
羽田空港では第1第2ターミナルで国内線、国際線ターミナルで国際線の離発着をしていたが、3月から第2旅客ターミナルビルの一部でも国際線対応を開始することになった。それに伴い、ターミナル名が変更。同時に、京急電鉄と東京モノレールの空港駅駅名も変更することになった。
日本空港ビルデングと、東京国際空港ターミナルの2月26日発行ニュースリリースより
4駅と2駅は全く別々の事情で、偶然、同時期に駅名を変えることになり、6駅ともが同日に変更という結果が生まれた。
ここからは横浜市内の2駅(京急東神奈川駅、花月総持寺駅)を中心に、6駅全ての変化をたどりたい。
※看板はイメージ(以下同種の画像は同)
「仲木戸駅」を出る最後の列車は、3月14日0時24分発下り各駅停車金沢文庫行き。駅名変更前の数日間は、対象駅停車前に駅名変更することについてアナウンスする車掌が多かったが、最後の車掌は「次は仲木戸」と告げただけだった。駅の外には終電後も70人ほどの人が残っていた。「仲木戸」駅は漢字では「中木戸」だった時期もあるとも言われるが、音としては開業から115年間ずっと「なかきど」、その駅名が変わる瞬間を見守った。
1階改札そばの駅名看板が最初に新駅名に付け替えられた
3階改札
仲木戸の看板が外された瞬間には「ありがとう」「仲木戸は青春の駅」など、駅への思いを叫んだ人もいた。
役目を終えて階段を下りる
新駅名が設置されると「うれしい」という声も聞かれた。
壁には花が描かれた駅名シートが新設、5月10日までの期間限定。この高所作業が最後までかかっていた
下りホームの駅名標を取り換え。窓にはすでに新しくなった上りホームの駅名標が映る
ほとんどの人は3階改札の駅名が変わったのを見終えると立ち去って行った。残った人に話を聞くと、地元在住で、駅名変更については複雑な思いがあるという。「歴史的な駅名を大切にしてほしかったが、『京急東神奈川』への駅名変更を機に『JR東神奈川』駅との終電接続が接続するようになるなど、より連携をとってくれれば」と期待を口にした。
全ての駅名変更作業を終えたのは2時18分
歴史をさかのぼると、仲木戸駅は1905年開業、横濱鉄道(現JR横浜線)の東神奈川駅は1907年開業と、京急側が先発だ。しかし1910年、横浜線に貨物線を敷設する際、京急の線路と交差する事態となった。「鉄道」同士の交差であれば後発の鉄道が回避措置をとるが、当時京急は「軌道(路面電車)」だったため、軌道側に回避義務があった。京急駅付近は高架化され、貨物線をその下に通した。こうして仲木戸駅は「京急で最初の高架駅」となった。
京急電鉄駅歴史
駅名変更に伴い、1階改札横には駅の歴史を記す看板が立てられた。旧「仲木戸」の駅名が江戸時代の東海道に設けられた木戸に由来したことや古地図などがまとめられている。
「京急東神奈川」への駅名変更では、乗り換え可能な駅として認知されるよう、「京急」を冠したうえで同駅名とし、乗り間違いを防ぎつつ利便性を高めることを目指す。
3月11日に撮影したbeforeと、ほぼ同じ地点を3月14日に撮影して比べてみた。
before
after 雪降る「京急東神奈川駅」初日
before
after 雪の中、足を止めてカメラを構える人も多かった
before
after
1914年、東洋一の遊園地と称された花月園の開業に合わせ「花月園前」駅として開業した100年以上の歴史を持つ駅。駅名変更では、駅から徒歩7分の場所にあり、曹洞宗大本山として全国に知られている「總持寺」を駅名に入れ、地域活性化に繋げる。13日夜は、終電前から10人以上が集まっていた。
花月園前駅の看板が下ろされる
「花月総持寺駅」に変わった
新駅名標、設置前の披露サービス
新駅名標を設置
駅開業時にあった「花月園」は1946年に閉園したが、絵はがきなどの写真や当時の資料で様子を知ることができる。
園の様子 上空からの景色 絵はがき(※横浜太郎さん蔵 以下※は同)
園内の様子 絵はがき(※)
花月園だより この裏面には「花月園ご遊覧は京濱湘南電鉄で」と書かれている(※)
当時は花月園前駅と総持寺との合同企画もあったようだ。
總持寺にお参りすると花月園の入場料が割引になった(※)
花月園が閉園した後、1950年からは2010年までの60年間は、花月園競輪場として賑わった。
取り壊しが始まる直前の2015年11月に一般公開された花月園競輪場
この日はトラックも開放された
現在はこの場所に公園や住宅などを建設中で、新たな街づくりが計画されている。
花月總持寺園付近、今後の「鶴見花月園公園」の計画について説明するポスター。
ここでも、3月11日に撮影したbeforeと、ほぼ同じ地点を3月14日に撮影した。
外観before
外観after
ホーム駅名標before
ホーム駅名標after
駅名標の花の装飾は5月10日までの期間限定。アナウンサーとして活躍後、オリジナルフラワーブランド「gui」を運営する京急沿線出身のフラワーアーティスト「前田有紀」さんが手掛けた。花月総持寺駅では改札外の、かつて出札窓口だった場所の前にフォトスポットが設置された。
改札外
改札内側
出札窓口は、競輪場だった時代はレースのある日に多くの来場者に切符を販売するために開けていた窓口の名残。窓口上の壁には、駅の歴史の説明が加わった。
京急電鉄駅歴史
変わらなかったものもある。駅名は変更したが駅前の橋の名称とバス停名称は以前のまま。
花月園前人道橋
バス停は「東福寺前」
東福寺は京急花月總持寺駅から徒歩3分ほど。鶴見区で最も古い寺で1087年に建立、花月園よりはるかに長い歴史を持つ。花月園は東福寺の敷地を借り受けてできたとも聞く。寺に問い合わせると、代替わりしており詳しいことまではわからないが、開園時には関わりがあったという回答だった。競馬場になって以降は関わりがないとのことで、京急の駅名変更については「東福寺駅にしたらいいといってくださる方もおられました」とエピソードを話してくれた。
隣駅でも変化がある。今回の駅名に名を冠した「総持寺」、正式名称曹洞宗大本山總持寺は、京急花月総持寺駅と京急鶴見駅の中間にある。京急鶴見駅の側は駅名に変更はないが、駅の看板には「大本山總持寺」という「副駅名標」が付いた。
中央下に「大本山總持寺」
曹洞宗大本山總持寺
2駅にわたって名前が表示されるようになった總持寺。駅名変更への思いを、副監院の山口正章さんに聞いた。「総持寺駅というと大阪のJR総持寺を浮かべられることが多かったが、いよいよ曹洞宗の本山ということで駅名に総持寺が入りうれしい。京急の総持寺駅がなくなって久しいが、歴史的な名という意味でも復活できた」という。京急総持寺駅は、總持寺から石川県能登から鶴見に移転した1911年に開業し、1944年に廃止になっていた。
「副駅名標」も小中学生からの「わがまち駅名募集」の結果で、駅名は変更しないが、誘客促進につながると考えられた駅と、駅名変更した駅の旧駅名称とが、全部で10駅に掲出された。
「副駅名標」の一覧
横浜市内では「日ノ出町駅」の副駅名標に「野毛山動物園」
新しい駅名の「大師橋駅」は、川崎と大田区を結ぶ架け橋であり周辺のシンボル「大師橋」からネーミング。3月13日の最終電車が通過後、駅名変更の作業が行われた。
各駅で無料配布されている6駅をめぐるガイドブックには、大師橋の写真付きの解説が掲載
旧駅看板が下ろされる(撮影=川崎経済新聞)
新駅看板の設置(撮影=川崎経済新聞)
駅名標も新たに(撮影=川崎経済新聞)
地下化された駅だが、線路跡は、産業道路上や駅の隔壁の奥など、まだ随所に残る。
路上の線路跡
白い隔壁の奥に残る地上の線路跡
地下化前の「産業道路駅」 2015年1月撮影(提供=京急電鉄)
産業道路の整備にともない1939年に竣工された「大師橋」が、地下化した「産業道路駅」の次の名前となってゆく。
羽田空港からの直行電車の終端駅のため、行き先として駅名が表示される駅。13日夜は、終電の行先標「新逗子」をカメラに収めようと名残を惜しむ市民や鉄道ファンら約20人が集まった。その後も、駅名看板の架け替えを最後まで撮影するために、3時近くまで残る人もいた。
「新逗子駅」南口、12日撮影
「新逗子駅」北口駅、12日撮影
「新逗子駅」駅ホーム、12日撮影
行先標「新逗子」のラストランを撮影する鉄道ファンら、14日未明(撮影=逗子葉山経済新聞)
役割を終えた駅名標、14日未明(撮影=逗子葉山経済新聞)
北口駅名看板の架け替え作業、14日未明(撮影=逗子葉山経済新聞)
南口駅名看板の架け替え作業、14日未明(撮影=逗子葉山経済新聞)
バス停も標識が変わった、14日未明(撮影=逗子葉山経済新聞)
新逗子駅は、1985年に京浜逗子駅と逗子海岸駅とが合併して誕生した駅だが、逗子海岸駅が1931年に開業した時の駅名称は「湘南逗子葉山口」駅だった。1942年の「湘南逗子葉山口」駅廃止以来、78年ぶりに、駅名への「葉山」復活となった。
国際線ターミナル駅は、日本への入り口の名称変更ということもあり、終電後、報道向けに構内作業が公開された。
桜模様のあしらわれた駅名標に架け替え
ターミナル名が変更し、誘導看板の文字も新たになった。
3月10日撮影
3月14日撮影
上り側のホームに向かう途中には花のフォトスポットが設置
向かって左は、以前からあったが、トリックアートのようになっており、京急列車の屋根上に乗っているかのような写真を撮ることができる。
京急乗車前に、京急に乗って記念撮影
京急空港線の羽田空港第1・第2ターミナル駅(旧羽田空港国内線ターミナル)と逗子・葉山駅(旧新逗子)とは、エアポート急行の両側の終端駅となる。同じ行き先の列車を同じ駅で撮影した写真だが、駅名変更前後で比較するとまるで違う場所のようだ。
3月10日撮影、駅名変更前
3月14日撮影、京急1000形電車同士での新旧比較ならまだ似ているが
3月14日撮影、浅草線車両との比較となると、別の風景のよう
新たな6駅が始動した14日は、3月には珍しく雪のちらつく一日だった。各駅では駅名変更を知らずに驚く声や、新たな駅名看板にカメラを向ける人の姿が見られた。記事内で触れた京急の駅名変更のガイドブックには「駅名変更した6駅をめぐるスタンプラリー」がついていて、全6駅をめぐると先着3000人にオリジナルミニタオルがもらえるキャンペーンが実施されている。初日の午後には早くも全駅制覇したファンの姿が複数あった。
何本かの列車に乗車したが、到着駅を知らせる車内アナウンスで、旧駅名を含む副駅名標が読み上げられることはなかった。しばらくは乗車時に注意が必要かもしれない。もし「仲木戸の次の駅で降りる」と思っていたとしたら、列車が仲木戸駅に停まることは、もう二度とないのだから。
ヨコハマ経済新聞京急6駅駅名変更取材班
取材:紀あさ、齊藤真菜、大宮雅智、小泉学(動画)
文責:紀あさ
協力:川崎経済新聞(→記事リンク)、逗子葉山経済新聞(→記事リンク)
花月園資料提供:横浜太郎さんhttp://yokohamataro.web.fc2.com/
参考資料:「京急の駅 今昔・昭和の面影」(佐藤良介著 JTBパプリッシング)、川崎市ホームページ、日本空港ビルデングおよび東京国際空港ターミナル発行ニュースリリース、京浜急行電鉄プレスリリース