1991年夏、みなとみらい地区・パシフィコ横浜のオープン記念の一環で開かれた「WOMAD(ウォーマッド)横浜」。
1997年に始まった「フジロックフェスティバル」に先んじて開催された「WOMAD横浜」の歴史を知ってほしい。そんな願いを、「WOMAD横浜」の企画立案者のひとりであり、元横浜市職員で当時パシフィコ横浜に出向していた大衆文化評論家・指田文夫さんがその内実を描いた本を2022年12月に出版した。
「WOMAD横浜・歴史に消えたビッグ・フェスティバル」(Pヴァイン刊)。その出版を記念して、開催地であるパシフィコ横浜(横浜市西区みなとみらい1)で、当時の貴重な写真、映像、トーク、パフォーマンスとともに出版記念イベントが4月29日(土・祝)に開催される。
photo 菅原光博
午後~夜にかけて、屋内外の複数のステージで同時進行するコンサートは当時まだ日本では珍しかった。「WOMAD」(World of Music, Arts and Dance)は、欧米の音楽だけではなく非西欧の音楽も等価にとらえ、楽しもうと1982年にイギリスで始まってから世界各地で開催されてきた。そこから、ユッスー・ンドールやヌスラット・ファテ・アリ・ハーンはじめ、 “ワールドミュージック”の数多くのスターを輩出したが、アジアではまだ開催されていなかった。
音楽ジャーナリストのトーマス・ブルーマンとミュージシャンのピーター・ゲイブリエルが中心となって開催された「WOMAD」。日本では1989年に開催された「横浜博覧会」の跡地(現・臨港パーク)で初開催された。
photo 菅原光博
1991年には3日間でのべ2万人以上を動員、翌92年には中村とうよう氏らWOMAD日本委員会の強い要望でアジア色も強め、国際交流基金と提携してインドネシアのダンドゥットの王様ロマ・イラマやマレーシアのロックスター ザイナル・アビディンなども招聘、大きな盛り上がりをみせた。
パシフィコ横浜と臨港パークに世界中のワールドミュージックのスターたちが集まり、三日三晩の熱いライブが展開された。
ただ、市の財政支援も厳しくなり、96年の第6回で終えることになる。
サンディーさんにとって、「WOMAD横浜」とはどういったものなのだったのかを訊ねた。
「当時、ヨーロッパやアメリカの地球の反対側である日本で、素朴なエネルギーが渦となった時代」だという。
80年代からサンディー&サンセッツでワールドツアーを行ったサンディーさんは、数万人クラスの会場も多かったという。「トーキングヘッズと一緒にツアーした時、オーストラリアでは5万人の会場で歌ったわ。日本でもこんなフェスに出られたらいいな」と思っていたら、この時期、あらゆるフェスから呼ばれるようになったという。それでも「WOMAD横浜」は特別。
日本のミュージシャンだけでなく、これまでインドネシアで共演していたダンドゥットの王様ロマ・イラマら、アジア、世界のミュージシャンとの出演は「親戚ばかりだった」という。いろいろな国の音楽のエネルギーに満ちた「WOMAD横浜」からは、はかりしれないエネルギーをもらったと。
1992年、サンディーさんは「WOMAD92横浜」のトリをつとめる。そしてその後、総出演によるガラコンサートでは、ジミー・クリフの名曲「You Can Get It If You Really Want」をそれぞれが歌った。
アフリカのパパ・ウェンバ、S.E. ロジー、アジアのヌスラット・ファテ・アリ・ハーン、ロマ・イラマ、ザイナル・アビディン、U. シュリーニヴァース、ヨーロッパのディ・ダナン、シーラ・チャンドラ、日本のボ・ガンボス、ビブラストーン、河内家菊水丸など…世界のキラ星たち。サンディーさんがそれぞれの出演者にマイクを回して歌ってもらった。
photo 菅原光博
伝説の「事件」も起こった。ディ・ダナンのフィドルの演奏を待ちきれないように、イスラム神秘教のカッワリーの帝王 ヌスラット・ファテ・アリ・ハーンが凄まじいボーカルをかぶせ、最後は立ち上がり(普段は絨毯にあぐらをかいて歌うスタイル)マイクを持って仁王立ちで悠然と歌う圧巻の歌唱。騒然とした場内は、今も伝説的に伝えられるフィナーレだ。
サンディーさんは、「天と地が打ち震えてつながっている。平和ってこうなんだ」と実感した瞬間だという。
「WOMAD横浜」というこの星の流れに参加して、“世界のパスポート”をもらった。その感覚が忘れられないという。
「世界にいいエネルギーが満ちるようシフトしてほしい」
「音楽は世界を変えられると思う」
そんな想いも込めて、現在、「ウニキ・クム・フラ」(フラ・カルチャーを伝導する最高位)として彼女が太鼓で詠唱し、古典フラのダンサーが踊りを披露する。
横浜市職員で当時パシフィコ横浜に出向していた指田文夫さんが出版した「WOMAD横浜・歴史に消えたビッグ・フェスティバル」は、1991年から1996年にかけて、横浜博覧会跡地(現・臨港パーク)ほかで開催された国際的文化イベント「WOMAD 横浜」の内実を語った書籍。
photo 菅原光博
現在の音楽フェスの原型となったフェスティバル「WOMAD 横浜」の始まり、そしてなぜ消えたのか。その後の音楽フェスの原型となったフェスティバルが遺したものについて語られている。未発表の写真として、都はるみ、坂本龍一、スザンヌ・ヴェガ、ヌスラット・ファテ・アリ・ハーン、パパ・ウェンバ、ユッスー・ンドゥール、デティ・クルニア、照屋林助、りんけんバンドなども掲載している。
4月29日にパシフィコ横浜で開催される出版記念イベントでは、当時のWOMADの様子をいきいきと活写した菅原光博さんの写真やtvk(テレビ神奈川)の協力を得て、1992年にテレビ放映されたライブ映像を特別に上映するほか、本の責任編集者である音楽評論家・藤田正さんを迎えてトークを行う。
また。91、92年の出演者で、日本の「ワールドミュージック」の先駆的歌手 サンディーさんも当時を振り返るとともに、歌い、古典フラのダンサーとパフォーマンスも行う。
◎発刊にあたり寄せられたメッセージ
▽ピーター・バラカン(ブロードキャスター)
たくさんの困難を乗り越えて、世界の音楽を紹介してくれたのが「ウォーマッド横浜」だった。
▽藤田正(音楽評論家、プロデューサー)
現在、日本で隆盛をきわめる「フェス」の、その実質的な原点が「ウォーマッド横浜」だった。だがあれだけの巨大イベントも、今は語られることはない。そのナゼ、隠された秘密を、企画立案者だった横浜市の担当者が紐解いてみせた書籍。日本の地方行政のあり方にも踏み込んだ、相当にユニークな日本芸能史・そのエピック。
指田文夫著『WOMAD横浜 歴史に消えたビッグ・フェスティバル』出版記念イベント配信
【参考】関内で 「WOMAD横浜 歴史に消えたビッグ・フェスティバル」出版記念トーク
斎藤朋 + ヨコハマ経済新聞編集部