3月31日に惜しまれつつ閉店した、シァル桜木町(横浜市中区桜木町1)の人気そば店「川村屋」が、9月1日に再オープンを果たした。
6代目・笠原さん(左)と7代目・加々本さん(右)
川村屋は、1900(明治33)年4月1日に桜木町駅(当時の名称は横浜駅)構内に開業した、123年の歴史を持つ老舗そば店だ。開業にあたっては、伊藤博文を介して営業許可を得たと伝えられている。
川村屋の最初の一歩
その後、1965(昭和40)年にレストラン営業承認、1969(昭和44)年にめん類立食、牛乳パンの営業許可を入手。
川村屋は、順風満帆に老舗として歴史を重ねてきたように思われることもあるが、実は多くの苦難を乗り越えてきた。1989(平成元)年、同年開催された「横浜博覧会」とMM21計画による「桜木町駅」移転のため、めん類立食、牛乳パンの営業許可がいったん取り消された。
1969~1989年の川村屋
店内に貼られた当時の店舗写真
翌年の1990(平成2)年、旧桜木町駅が、現在の桜木町駅に移転。川村屋は当時「横浜駅への移転」も打診されたが、「川村屋は桜木町と一心同体」と断固として譲らなかった。同年4月から、現在「観光案内所」がある場所に、レストランの営業許可を使って、レストラン・そば立食・牛乳パンを1店舗にして営業を継続することに。
1990~2014年の川村屋
現在の場所でのそば店としての営業は、2014年(平成26)年1月から。同年7月に全店開業を予定されていたCIAL桜木町の中で、「長い休みをとりたくない」といち早く川村屋単独での先行スタートをきった。
現在のCIAL桜木町の川村屋(外観)
現在のCIAL桜木町の川村屋(改札側)
1988(昭和63)年に入社し、35年間、店を支えてきた6代目の笠原成元(かさはらしげもと)さんと、妻の玲子さん。スタッフ一丸で懸命に店を切り盛りしてきたが、今年の3月31日に一時閉店に踏み切ったのは、全員が70歳を超えたスタッフの高齢化や、年末年始の5日間しか休めずに働き続けて、自分の時間が持てなかったことからだった。
店舗の契約期間は10年。来年の7月まで続けることができたが、今年9月には自身も70歳を迎える。「人生は健康年齢が何歳ぐらいまでだろうか」と脳裏をよぎった。
3月末の閉店後に張り出された案内文
実は、高校時代に一年間オーストラリアで過ごしたという笠原さん。現地での同窓会に出ることもままならず、4年前にようやく出席したときは、「『12月30日から1月3日しか休めない』と伝えると、イギリスやカナダなど世界中の友人たちが私のスケジュールに合わせて年末の12月30日にシドニーに集まってくれた」と打ち明けた。
川村屋は英語メニューも用意
まだ体が健康なうちに店を辞めることで、「時間的にもいろいろ自由に動きたい」と考えての閉店の決断だった。
ただ、先代らが大事に続けてきた店の歴史を終わらせてしまうことには、申し訳ない気持ちと寂しさはやはり残っていた。閉店時にも、「誰か継承したいと申し出があれば・・・」とも話していた。
そんななか、2月に閉店の知らせを出してから、3月31日の閉店日までの間、早朝から閉店時間まで客足が途絶えず、たくさんの人が懐かしんだり、笠原さんに感謝やお別れのあいさつをしている姿を見て、笠原さんの次女である加々本愛子(かがもとあいこ)さんは、「この店を継ぎたい」と笠原さんに申し出た。
しかし、当時の笠原さんは断った。
次女の加々本愛子さん
「気持ちは嬉しかったが、自分が年末年始以外全く休みなく人生を過ごしてきたし、出店していくなかで移転や継続延長申請の大変さなど経営の難しさもたくさん味わい、子育て中でもある娘にこんな苦労はさせたくないという気持ちが強かった」と、当時の苦悩を振り返る。
父の気遣いを真剣な眼差しで聞いている
加々本さんは当時、IT企業に勤めながら育児をしていたが、「夫もサポートしてくれるので夫婦で店と育児を両立させていきたい」と家族で話し合いを重ね、7代目として店を継ぐことが決まる。笠原さんも当面はサポートしていくことになった。
シァル桜木町に伝えたところ、家族が継ぐことを歓迎され、またずっと店を支えてきたスタッフの約半数が復職し、店のこだわりである天然だしのつゆを作り続けることができる体制も整えた。
秘伝の天然だしのつゆが復活
ずっと受け継がれてきたメニューと味は変えずに再開。新メニューも考えていないとのことだが、原価計算をし、店を続けられるようにと、価格だけは少々見直した。
昨今の原材料や光熱費高騰により、全体的に約50円上げたが、かけそばだけは20円の値上げに留めた。笠原さんは「できるだけ多くの人に召し上がってほしいので」と言う。
価格表からもお客さんへの思いが窺える
店頭にはしばらくスタッフ募集を告知していたが、「定員を補充できたので張り紙は剥がしている今でも、ありがたいことに応募の連絡がきている」と、2人とも反響に驚いていた。
開店準備期間に張り出されていた案内文
2人の20代や、飲食店経験の豊富な人などさまざまな新しいスタッフを加えて、いよいよ開店初日を迎えた。
オープンは朝7時30分、一番乗りの武田功大さん(82)は、朝5時に弘明寺の自宅から駆けつけ、6時台に店先に並んだ。7時10分ごろに数人の列ができ、7時30分のオープン時には約20人の行列。改札を行き来する人も、足を止めて様子を窺ったり、写真を撮ったりしていた。
7時ですでに大行列
店内では慌ただしく準備が進み、人気の天ぷらが並べられていく。
ベテランスタッフがテキパキと準備をしながら指導
笠原さんは何度も各担当に「大丈夫?開店してもいい?」と確認を取り、「じゃあ、開店します!」の号令で、いよいよ開店。
笠原さんの「開店します!」の声で一気に空気が変わった
あっという間に店内は満席となり、注文カウンターも入口まで連なる大行列。
ふたを開けてみれば満員御礼の大盛況
一番乗りの武田さんは「私にとって歴史的な日」と嬉しそうにそばを手に取り、食後の感想には「懐かしい味を楽しんだ。明治時代から続く歴史に想いを馳せながら堪能」と、喜んでいた。注文したのはてんぷらそばだった。
半年ぶりの味に笑みがこぼれる
2番目に並んでいた管野さんにも感想を聞いた。「ずっと通っていて、閉店のあいさつまで見届けたので、こんなに早く再開してくれて嬉しい」と笑顔を見せた。
管野さんはとり肉そばにいか天をトッピング
店を受け継ぐにあたり、何が一番大変だったかを加々本さんに尋ねると、「経営のノウハウや味を受け継ぐことなども大変だが、何よりもようやくプライベートを優先することができると店を手放した父がまた営業を手伝うことになり、一旦離れたスタッフの半数の方々が、また家族で再開するならぜひと戻ってきてくれたことに対する責任を強く感じている。自分の力や受け継ぎたいという気持ちだけでは実現できなかったので、周りのみなさんへの感謝の方が大きい」と、噛み締めるように話した。
スタッフ一丸となって準備をしてきた成果が
食事を終えた来店客からは「娘さんが継がれたというのが嬉しいし、味も変わらない」という声も聞こえた。
急ピッチで人気のいなりを仕込んでいる
しばらくの間は、6代目の笠原さん夫婦と、7代目の加々本さん夫婦で手を取り合って店を続けていく。スタッフも含めて、まさに家族で紡ぐ味をこれからもたくさんの人が楽しみに通い続けるのだろう。
イチ押しはとり肉そば
編集後記
123年という歴史の重みを降ろす勇気も、受け継ぐ勇気も、どれだけ大変なことか計り知れない。しかし、それを上回るほどの周囲のサポートが背中を押して、この日を迎えた。
しばらくの間は、笠原さん夫婦がサポートを続けるという。スタッフも含めて、まさに家族で紡ぐ味をこれからもたくさんの人が楽しみに通い続けるだろう。
川村屋
営業時間/平日=7時30分~20時15分(日曜・祝日=8時30分)
定休日/12月30日~1月3日
高島ミノル+ヨコハマ経済新聞
初日の様子を5分の動画で
6代目の思いをじっくり動画で