ニュースパーク(日本新聞博物館=横浜市中区日本大通)で現在、企画展「ペンを止めるな! 神奈川新聞130年の歩み」が開かれている。
明治から令和までの元日紙面を一挙展示し、1985(昭和60)年ごろの同紙編集局を再現したコーナーも設置。横浜生まれの宇宙飛行士、野口聡一さんに関する企画展も同時開催している。
横浜は、1870(明治3)年に日本初の日本語の日刊新聞「横浜毎日新聞」が発刊された地。「神奈川新聞」の歴史は1890(明治23)年2月1日、前身紙の一つ「横浜貿易新聞」が発刊されたことに始まる。企画展は130周年の2020年に開催予定だったがコロナ禍のため延期され、今年10月に開幕した。
「横浜貿易新聞」は改題や合併をしながら新聞発行を継続。1923(大正12)年9月1日の関東大震災では社屋が倒壊した。その後、新聞統制政策により、1942(昭和17)年、県内にあった新聞が「神奈川新聞」一紙に統合された。1945(昭和20)年5月29日の横浜大空襲で本社が焼失し、朝日新聞での印刷を経て、同年11月に自力復刊した。
企画展では、130年間の元日紙面のほか、横浜開港50年祭記念号(「横浜貿易新報」1909年7月1日、神奈川県立図書館蔵)、関東大震災の臨時号(同1923年9月13日、横浜市立中央図書館蔵)の実際の紙面も展示。「坂本弁護士一家事件 2遺体発見」の号外(1995年9月6日)も展示している。
新聞制作を「ものづくり」の観点から考えてほしいと、人の手による作業が中心だった1985年ごろの編集局を再現。取材・出稿(原稿作成)部門の記者の席には、警察などへの直通電話や記事作成用の「ワープロ」(ワードプロセッサ)、ファクスのほか、吸い殻がびっしりの灰皿も置いた。見出しやレイアウトを考える整理記者の席には、レイアウト案を描くための新聞紙大の紙(割付用紙)や行数を確認するための専用の定規(倍尺=ばいじゃく)も並べる。少女漫画風の記者のパネルと共に、「原稿より健康」「ホウレンソウ」などの言葉や整理記者の使う専門用語の吹き出しも展示している。
同時開催の「神奈川新聞とJAXA宇宙飛行士 野口聡一さん」では、野口さんが宇宙に持っていったものや、着用した複数の種類の宇宙服を展示。ロマンスカーを見つめる小さいころの野口さんの写真もある。宇宙ステーションで撮ったような写真が撮れるパネルも用意。
「編集局再現」を担当した神奈川新聞社・経営戦略本部長の小野たまみさんは「記事を書く手段は原稿用紙からワープロ、パソコンへと変わったが、取材して原稿を書くことは変わっていない。整理記者は、ああでもない、こうでもないと周囲とやり取りしながら、見出しを考え、レイアウトを紙に書いていた。いくらデジタル化しても、新聞がチームで作られていることを思い出してほしい」と話す。
開館時間は10時~16時30分(入館は16時まで)。月曜休館。入館料は。大人=400円、大学生=300円、高校生=200円、中学生以下無料。12月26日まで。