フォトフラッシュ

2月22日は「横浜松竹映画劇場」が閉館した日

1973年2月22日、横浜市中区長者町にあった「横浜松竹映画劇場(旧横浜オデヲン座)が閉館した。横浜オデヲン座は、1911年に日本初の洋画専門館として1911年12月25日に開業。創立者はドイツ人貿易商のリヒァルド・ウェルデルマン。日本で初めて新作映画を公開する「封切り」という言葉も、この劇場が発祥とされる。劇場があった賑町(現在の横浜市中区長者町)は芝居小屋が並ぶ街で、横浜電気館や喜楽座といった映画館が点在し、横浜の映画文化を支えていた。1923年の関東大震災で劇場は倒壊したが、1924年にクラリネット奏者の六崎市之介が再建し、サイレント映画に管弦楽団の生演奏を加えるなど工夫を凝らした上映で人気を博した。1936年には鉄筋コンクリート造の4階建てに改築され、定員1,245人の大劇場となった。戦時中は洋画の上映が規制され、松竹の管理下に入り「横浜東亜映画劇場」と改称。戦後は進駐軍に接収され「オクタゴンシアター」として運営されたが、1955年に接収が解除され、松竹映画の封切館「横浜松竹映画劇場」として再び営業を開始した。その後、1968年に一部を「横浜ロキシー映画劇場」とし、1970年には元の所有者である六崎と松竹の間で建物の買い戻し交渉が進められた。しかし、最終的には六崎側が敷地を購入し、1973年2月22日をもって劇場は閉館。再開発により、横浜オデヲン座は歴史に幕を下ろした。映画文化の発展とともに歩んできた劇場の閉館は、多くの映画ファンにとって時代の変化を象徴する出来事となった。 (画像:社団法人日本映画連合会旧蔵映画公社 - 東京国立近代美術館フィルムセンター Public domain, via Wikimedia Commons),

  • 3

  •  

  • はてなブックマークに追加

ヨコハマ経済新聞VOTE

2025年の横浜DeNAベイスターズ、あなたのリーグ順位予想は?

エリア一覧
北海道・東北
関東
東京23区
東京・多摩
中部
近畿
中国・四国
九州
海外
セレクト
動画ニュース