「ボン・ソワール!(こんばんは)」中田市長のフランス語の挨拶から幕を開けた今年のフランス映画祭横浜2004。軽快に、手短ながらも最後に「皆さんラッキーな顔ぶれが見られますよ」と意味深な言葉を残して壇上を去る中田市長。挨拶は、ベルナール・ド・モンフェラン駐日フランス大使、マルガレート・メネゴーズユニフランス会長、今年代表団団長のエマニュエル・ベアールさんへと続いていく。ベアールさんは「日本の観客は常にフランス映画を愛してくれている。重要なのは『常に』ということ。本当にありがとう」と感謝の意を述べる。最後、「女優として女性として母親として彼を抱きしめたい…」と言って舞台中央へと招いたのは、先月カンヌで史上最年少の男優賞を受賞した14歳の柳楽優弥さんだった。会場は感嘆の声でどよめき立ち、柳楽さんの「みんなで努力した映画が賞をとれて良かった。審査員のおかげ……」というコメントにはドッと笑いが沸き起こる。映画評論家・おすぎさんの「映画は私たちを豊かにしてくれる。横浜映画祭を楽しんで」という挨拶を最後に、全上映作品の監督、俳優らの名前がユニフランス会長とベアールさんによってすべて読み上げられ、ひな壇を華やかな映画人が彩った。
今年のフランス映画祭では、日本未公開の長編18本と、短編7本が公開される。新進映画批評家で、横浜日仏学院のシネクラブでフランス映画の講師を務める大寺眞輔さんが最も注目している作品は『いつか会える』と『ワイルド・サイド』の2作品。『いつか会える』はカンヌ映画祭「ある視点」部門出品作品でもあり、シンプルな男女の仲を描いた作品。「『愛人ラ・マン』で有名なマルグリット・デュラスからの信頼も厚いブノワ・ジャコが、50年代のアメリカのクライム・ムービー(犯罪映画)を念頭に置いて製作したもの」とは大寺さん談。『ワイルド・サイド』は、次代映画作家のなかでも「必見の才能」と期待されるセバスチャン・リフシッツ監督による、社会から疎外された3人の若者の絆を描いた作品。フランスではすでに4月に公開されており、優れた映像センスに定評のあるアニエス・ゴダールによる撮影も手伝って、高い評価を得ているという。
今年、新たに観客が参加できる制度として、「フランス映画祭横浜観客賞」が誕生する。クロージング作品の「ナタリー…(仮題)」を除く期間中の上映作品のなかで、(1)ストーリーが良い、(2)キャストの演技が素晴らしい、(3)映像の完成度が高かった、(4)劇場でもう一度観たい、以上4点のすべての基準を満たす1作品に観客が投票するというものだ。受賞作品は6月20日のクロージングセレモニーで発表され、同祭のスポンサーを務める企業のひとつ、バカラ・パシフィック社提供のトロフィーが受賞作品の監督に授与される。プレゼンターは「ショート ショートフィルムフェスティバル」の実行委員長も務め、若手映像作家の活動を支援する、俳優の別所哲也さんが務める。
横浜日仏学院 Dravidian Drugstore (大寺眞輔さんWEBsite)16日、同映画祭の記者会見が駐日フランス大使公邸で行われた。同祭代表団団長で、つい先月カンヌ国際映画祭の審査員を終えたばかりのエマニュエル・ベアールさんはこの日、シンプルなドット柄のワンピースに黒のカーディガン姿で現れた。まず、カンヌ映画祭のコンペティション部門に出品された押井守監督の『イノセンス』や是枝裕和監督の『誰も知らない』、またカンヌ映画祭史上最年少の最優秀男優賞を受賞した14歳の柳楽優弥さんなどの話題に触れるなど、日本の映画を称えた上で、今回の映画祭に出品される作品について「これから配給が決まる作品もある。関係者の反応を生で感じられる場として、多様なものを選んで持ってきた」と語った。凛として話すその姿勢には、女優の立場だけではない、団長としての意識の高さが感じられた。
また、ベルナール・ド・モンフェラン駐日フランス大使と、マルガレート・メネゴーズユニフランス会長は、日仏がこれまで映画を通じて友好的な関係を築いてきたことへの喜びと、フランス映画祭関係者への感謝の言葉を述べ「フランス映画にとって日本は第2の市場であり、同映画祭は日本(アジア)の興行として貴重な機会でもある。今後は、日仏で協力し映画の共同製作を実現させていきたい」との意向を示した。双方がメリットのあるかたちでの協力関係を結ぶことができれば、この日仏共同製作は、興行の面でも文化の面でも、非常に意義深いものとなるはずだ。
第12回フランス映画祭横浜2004劇場で常にアメリカの娯楽作品が並ぶ日本において、現在のフランス映画に対する理解は一般的に見て決して高いとは言えないだろう。大寺さんはフランス映画が持つ特有の魅力を「フランスでは、政府が国策として映画製作をサポートし、伝統的に文化としての映画を愛する風潮がある。興行としての価値以上に文化的に意味のある作品が多い」と説明する。1940年から50年代のアメリカでは、ジョン・フォードやハワード・ホークスらを中心としたアメリカ映画の黄金期だったが、彼らの功績を積極的に評価し、その精神を受け継ぎつつフランス映画界を刷新したのがヌーヴェル・ヴァーグと呼ばれる映画作家たちだった。代表的な監督として、ジャン=リュック・ゴダールやフランソワ・トリュフォーなどが挙げられるが、いずれも映画に対する深い愛情に裏打ちされた作品を撮っており、それが現在のフランス映画における新たな基盤となっている。
また、同映画祭のように、上映作品のすべてにゲストが来る映画祭というのは、国際映画祭として非常に珍しい。舞台挨拶のほか、上映後のQ& Aやサイン会が行われ、日ごろスクリーンでしか見られない映画人たちと触れあうことができることは、同映画祭の大きな魅力の一つだろう。「じかに映画人に触れることで、映画のもっている情熱や熱気が肌で感じられるはず。文学や建築などほかの芸術と同じ文化の体験として、また映画へのひとつの入り口として、フランス映画祭を楽しんでほしい」と大寺さんは語る。また、近年は配給がついて日本での劇場公開が予定されている作品も増えてきたが、なかには今後、日本で劇場公開されることがない作品もある。映画祭はそのような作品を観られる貴重な機会でもある。
今年で12回めを迎えるフランス映画祭は横浜市の恒例イベントとして定着、これまで上映された作品数は200本を超える。そもそも横浜でフランス映画祭が開催されるに至った経緯とは何か。はじまりは1991年に遡る。フランス映画のプロモーションを展開する仏政府の外郭団体「ユニフランス・フィルム・インターナショナル」が日本でフランスの文化を普及させることを目的に、映画祭開催の地として横浜市に白羽の矢を立てた。約1年間の検討期間を経て、ユニフランスとフランス映画祭横浜実行委員会、フランス映画祭横浜受入委員会の主催により93年、1回めが開催されることになる。横浜市が姉妹都市提携を結ぶ都市のひとつにフランスのリヨン市が挙げられるが、リヨンといえば、映像技術を発明したリュミエール兄弟の活動拠点だったことから映画発祥の地として有名だ。また、1959年に姉妹都市提携を結ぶ遥か以前に、関内にあった芝居小屋「港座」でリュミエール兄弟の作品が上映されており、横浜とフランスの映画を通じた交流は意外にも古い。
ユニフランス世界中で映画祭と名のつくものが、現在600以上も開催されているということはご存知だろうか。映画祭は観客が映画を楽しむ機会のみならず、映画関係者にとっては重要な見本市でもある。同映画祭はアジア最大のフランス映画の祭典であることから、国内に限らずアジア各国の映画関係者からも高い注目を浴びている。例年、東南アジアや中国を中心に50~60人あまりのバイヤーが、新しい才能や埋もれた作品をキャッチするため来日している。フランス映画祭は、日本だけでなくアジア全体に対して、フランス映画がアピールされているのだ。では、同祭は誰がどのように運営しているのか。冒頭で述べた主催のフランス映画祭実行委員会は、おもに日本の映画関係各社で構成されており、ユニフランスとともに上映作品の選定などを行い、中心となる企画、運営を担っている。一方、フランス映画祭受入委員会とは、財団法人横浜市芸術文化振興財団、財団法人横浜観光コンベンションビューロー、社団法人横浜ファッション協会などの複数の団体からなり、具体的には、フランス映画祭ポスター展や市民上映会、大学での特別講演や歓迎パーティといった複数の関連イベントを企画、運営することで同祭を側面的にサポートしている。
駐日フランス大使公邸で行われた記者発表会で、同映画祭受入委員会会長の斉藤龍さんは「横浜市は新たな都市戦略として創造性による都市の活性化をはかっており、映像文化事業には力を入れていく。毎年行われるこのフランス映画祭をその中核に据え、応援していきたい」という、中田宏横浜市長の同映画祭への意欲を読み上げた。横浜市にとって同映画祭は、芸術性の高いフランスの映画作品を公開することで市民の文化性向上に貢献し、かつフランスをはじめとする国内外の映画関係者や観客が横浜に滞在することで経済効果が期待できるイベントでもある。
古くは明治時代より映画興行が、大正時代には元町に撮影所も存在した横浜市では、今新たな映像文化への取り組みが進められている。映像関連イベントとしてはフランス映画祭のほかに「ヨコハマ映画祭」や「横濱学生映画祭」、「デジスタ・アウォード」などがあり、2000年には「横浜フィルムコミッション」が設立、今秋にはみなとみらい地区に新たなシネコンもオープンする。最近では東京芸大の映像研究の大学院開設も決まり、映画製作、鑑賞、学びの場としての機能集積が、着実に形になりつつある。横浜市ではこの夏から、学識経験者や業界人との議論の場を設けていき、年内には意見をまとめて来年以降の事業に反映させていく方針だ。フランス映画祭を通じて日仏共同の映画製作、あるいは横浜からフランスへと映像を発信していくなどの展開が実現すれば、横浜市は映像文化都市として、さらなる一歩を踏み出すことができるはずだ。
横浜フィルムコミッション