「街全体をステージに」―横濱ジャズプロムナードは、横浜市開港記念会館や関内ホールなどの会場のほか、ジャズクラブを含め、市内およそ40ヵ所、2,000名ものミュージシャンが演奏する国内最大のジャズ・フェスティバル。国内だけでなく、海外からも優れたミュージシャンたちを招へいし、国際色豊かなのは国際都市・横浜ならでは。横浜を象徴する観光スポットに点在する会場にジャズミュージシャンが集まり、2日間にわたって街全体がジャズ一色に染まるという多拠点同時連動型のフェスティバルだ。主催する横濱JAZZプロムナード実行委員会を構成するのは、YOKOHAMA本牧ジャズ祭実行委員会、旭ジャズまつり実行委員会、Summer Jazz実行委員会、港南ジャズフェスティバル実行委員会、横浜商工会議所、横浜青年会議所、横浜観光コンベンション・ビューロー、横浜市国際交流協会(YOKE)、横浜JAZZ協会、横浜市芸術文化振興財団の10団体。
横濱JAZZ PROMENADE 2004横浜は日本のジャズ発祥の地といわれている。1925年(大正14)、伊勢佐木町の芝居小屋「喜楽座」で奇術師の松旭斉天勝一座がアメリカからの帰朝公演のなかでジャズを演奏したという記録がある。こののち、ダンス・ホールや、ダンス・ガールを置いた「チャブ屋」(横浜独自の風俗店)がジャズの浸透に重要な役割を担ってきたようだ。そして、終戦後、ラジオからは洪水のようにアメリカの音楽が流れ出し、日本にジャズが急速に広まっていった。およそ9万4千人ものアメリカ兵がいた横浜は、常に最先端のジャズを発信する日本のジャズ発展の温床だった。
「初めてジャズを耳にしたのは小学1年生のころだ。小学校の帰り道にあった若葉町の米軍飛行場から流れていた音楽がジャズだった」と語るのは、「横浜JAZZ協会」会長で「BAR BAR BAR」という関内にあるライブレストランのオーナーでもある鶴岡博氏。戦後の横浜は進駐軍の施設も多く、米兵相手のナイトクラブが何十も存在していた。「当時、横浜のナイトクラブは、進駐軍兵士や商社マン達で毎晩賑わっていた。兵役で日本に来ていたアメリカ人ミュージシャンが舞台でジャズを演奏することもあった」と話す鶴岡氏。その頃は、横浜駅前には日本人の“バンドマン・マーケット”ができ、楽器を抱えた多くのバンドマンが演奏の仕事を求めて集まってきた。そういったバンドマンのなかから、日本のジャズ史に名を残す一流のジャズメンたちが育っていった。ところが、東京オリンピックの前頃から景気が東京へとシフト。進駐軍兵士も姿を消しナイトクラブやピアノバーも減っていった。
Jazz Live Restaurant BAR BAR BAR YOKOHAMA「以前あった横浜の音楽的な文化が失われていく。横浜にジャズでつながるネットワークを作る必要があった」そう語る鶴岡氏は、横浜スタジアムの社長も務める経済人。鶴岡氏は横浜のジャズ好きやライブハウスのオーナーなどに声をかけ、1991年に「横浜JAZZ協会」を立ち上げた。同協会は横浜のジャズ文化発展の促進を目的とするする組織で事務局は神奈川新聞の企画開発局文化事業部の中にあり、現在約200人の会員がいる任意団体。
同時期に、横浜市は「横浜市文化振興財団」を設立。同財団では横浜市独自の芸術文化を推進するようなイベントを旗揚げしたいと考えていた。一方、「演奏・育成・展示」を3本の柱として活動を開始した「横浜ジャズ協会」では、これまでに無い、同時多発形のジャズフェスティバルを開催する構想があったため、「横浜市文化振興財団」と共同で実行委員会組織を立ち上げることになったとのことだ。こうして'93年に「横濱 JAZZ PROMENADE」の第一回目が開催された。(「(財)横浜市文化振興財団」は2002年4月に「(財)横浜市美術振興財団」と統合し「(財)横浜市芸術文化振興財団」となった。)
横浜JAZZ協会 横浜市芸術文化振興財団ジャズプロムナードでは、毎年海外から優れたミュージシャンを迎えている。今年は、話題のヨーロッパのジャズシーンから、7つのオランダのジャズグループを招く。横濱JAZZ PROMENADE実行委員会チーフ・プロデューサーで「横浜JAZZ協会」の設立メンバーのひとりでもある柴田浩一氏は、「今回は、日本でもまだあまり知られていない“秘蔵”グループを厳選。」「横浜が初となる試みとして、オランダでも一緒に演奏したことがないミュージシャン同士のセッションも企画している。オランダのJAZZに期待してほしい」と語る。
また今回は、昨年11月、今年2月に相次いで亡くなったジャズプロムナードの常連の大御所・ジョージ川口と世良譲への『追悼コンサート』も企画した。川口雷二(故・ジョージ川口の息子)や猪俣猛をはじめとする4人のドラマーのドラム合戦の後、しばたはつみが付き合いが深かった世良譲を偲んで歌い上げる。柴田氏は「今年は出場者の平均年齢も下がり、世代交代の時期を迎えているようだ。『ジョージ川口&世良譲追悼コンサート』では日本のジャズ・シーンをリードしてきた大御所の2世ジャズメンたちが集結するし、ジャズフリューゲルホルン奏者『土濃塚隆一郎(とのづかりゅういちろう)』やジャズ系ジャムバンド『urb(アーブ)』、1986年生まれで全米デビューを果たしたピアニスト『松永貴志』といった次世代のジャズ界を担う若手実力派の存在も、今回のジャズプロムナードでは見逃せない」と語る。
川口雷二 土濃塚隆一郎 urb 松永貴志9月23日、「横濱ジャズプロムナード2004ジャズ・コンペティション」の本選が横浜赤レンガ倉庫1号館で開催された。このコンペはミュージシャンの発掘・育成・発信を目的とし、グランプリには賞金50万円のほか、ジャズプロムナードへの出演権などが授与される。最終選考に残った6バンドのうち「海野雅威Trio」がグランプリに輝いた。海野雅威(うんの・ただたか)氏は、東京芸術大学在学中に結成した自己のグループ以外にも鈴木良雄トリオ、大坂昌彦グループなどで活躍中の弱冠23歳のジャズピアニスト。'01年のジャズ・コンペにも出場した。「3年前はとても緊張していたが、今回は楽しく演奏できた。横浜はジャズを愛する人が多い。ジャズプロムナードは大御所のミュージシャンと直接ふれ合ったり、一緒に演奏して良い影響を受けることができる場だ」と語る。
海野雅威前述の柴田チーフ・プロデューサーは「小学6年のころからアメリカのポップスを聴いていた。その後ジャズに出会って傾倒した。ジャズは深みがあって飽きがこない音楽なんだ」と語る。柴田氏は高校生の頃から野毛にあるジャズ喫茶「ちぐさ」に通い始め、大学時代にはカウンターに入っていたこともあるという。「ちぐさ」は昭和8年創業の日本に現存する最古のジャズ喫茶。若き日の渡辺貞夫や秋吉敏子たちが通ったといわれる。主人の故・吉田衛氏はまさに“ジャズ喫茶の親父さん”だった。「扉を開けるとまず親父さんから睨まれる。水も出てこないし、話していると『喋るな』と一喝。けれど、大学生になって店を手伝わせてもらえることになって、本当に嬉しかったね。看板を作らせてもらったこともあったし、親父さんからはいろんなことを学んだよ」と当時を懐かしむように語る柴田氏。
柴田氏は「多額のギャランティーで大物を呼ぶということはしない。肝心なのはミュージシャンが『自由に表現』する場をつくることだ」と言う。「横濱 JAZZ PROMENADE」はミュージシャンにとってもギャラ云々ではなく、ジャズに対する純粋で熱い想いをぶつける舞台として出演する価値があると評価されているようだ。そんな多数のミュージシャンによってジャズプロムナードは支えられている。
さらに今年は、「横浜の子供たちにジャズにもっともっと親しんでほしい」と、当日券5,000円のところを、中高生は1,000円、小学生以下は無料にするという試みも今年初めておこなわれる。ジャズプロムナードは、昼間、屋外でもコンサートが行われ、場所によっては無料で演奏を聴くことができる。子供が生のジャズに触れるにはとてもいい現場だ。文化が地域に浸透するには、子供のときから文化的な現場に触れて感じることが必要だ。
「横濱 JAZZ PROMENADE」の総事業予算は約5,000万円。その内訳の大部分は出演料などの舞台制作費だ。横浜市からの補助金という行政からの後押しもあるが、近年では協賛金やチケット収入の占める割合が増えているという。大規模な音楽フェスティバルでは、大手の協賛企業が一社でスポンサードするいわゆる「企業冠イベント」も少なくないが、同フェスでは「みんなで街を盛り上げる」という意図に賛同する、地域のさまざまな業種の企業や商店が協賛している。
会場およそ40ヵ所、2,000名もの出演者という巨大なフェスティバルを運営するのに、欠かせないのはボランティアの存在だ。当日の受付、舞台転換、チケット販売や事前準備などをサポートする「ジャズ・クルー」と呼ばれるボランティアは約320名。うち260名は公募により集まった人々。ほとんどが横浜市民だが、仙台などの地方都市からの志願者もあるという。「YOKOHAMA本牧ジャズ祭」など市内のジャズフェスのスタッフも60名程度が現場の運営に協力する。第12回ともなれば、毎年、クルーとして参加することを楽しみにしているリピーターも少なくなく、ボランティアとしてこれだけの人が参加するジャズフェスは、全国探してみてもほかに無いのではないだろうか。
現在、横浜では「横濱 JAZZ PROMENADE」の他にも、「YOKOHAMA本牧ジャズ祭」、「よこはまSummerJazz」、「旭ジャズまつり」、「港南JAZZフェスティバル」など数多くのジャズ・フェスが開催され、ジャズをライブで聴けるジャズ・クラブも市内で30数件と増えてきており、ジャズに対する気運は年々高まってきているといえる。今年はみなとみらい線が開通して初の「横濱 JAZZ PROMENADE」であり、都心からのアクセスも格段に良くなり、レンタサイクル「ハマチャリ」や昨年から運行している「みなとみらい100円バス」も会場間の移動に一役買いそうだ。柴田氏は「昨年の集客は2日間で9万8千人だったが、今年は10万人以上を目指したい。ジャズ・コンペも日本国内だけでなく、世界中から応募が来るような国際的なイベントへと発展させていきたい」と今後の意気込みを語る。
横浜市は、文化、芸術、観光振興により都心部の活性化を図ることで、横浜市を創造性あふれる活力ある都市に導いていく構想を掲げ、アーティストやクリエーターが集まる街を目指している。また、横浜市の都市戦略の大きな柱として市民活動と行政との協働が打ち出されている。横濱ジャズプロムナードは、横浜都心部の文化的な取り組み、政策としてうまくいっている事例だろう。全国各地から音楽を聞きに来る観客や現場づくりに協力するスタッフ、さらには、プロ・アマチュアのミュージシャンなど多種多様な人を集め、地域の文化的なブランド価値を高め、地域活性化に貢献している。多くの市民ボランティアとミュージシャンを巻き込んで、市民、民間団体、企業と横浜市の協働が試行錯誤の中でいい形に進化してきていると言えるだろう。今後は、「ジャズの街・横浜」をさらに国内外にアピールし、アジアを含め海外からの観客・出演者も集められるような戦略も取られていくのであろう。