海岸通りには古き時代の雰囲気をかもし出す昭和初期の建物が並んでいる。日本大通りと海岸通りの交差点付近にある「昭和ビル」の2階に、ジャズ・バー「GINETTA HOUSE(ジネッタハウス)」はある。心地よいJAZZのメロディやこだわりのある内装や小物、そのひとつひとつから遊び心が伝わってくる。店のオーナーは、英国クラシック・スポーツカーの専門店「PRESTIGE(プレステージ)」のオーナーを務めている並木一夫さん。4年前から週末だけのジャズ・バーとして始めた「GINETTA HOUSE」には、並木さんの遊び心が溢れている。ドリンクメニューにはヨーロッパのスコッチ70種、バーボン70種、ビール30種をセレクトし、日本ではなかなかお目にかかれない銘柄を味わうことができる。音楽はJAZZのLPレコードを真空管アンプで響かせ、「ホンモノの音」を愉しむことができる。店には並木さんが30年かけて収集したレコード5000枚のうち1000枚が置かれ、その日の客の顔を見て曲をセレクトしているという。洋酒を飲みながらJAZZを愉しむ居心地の良さと、クラシックなモノを愛するオーナーの人柄に惚れ、常連客になるヨコハマの文化人も多い。
横浜ウェブ JAZZ BAR ジネッタハウス並木さんはバーの裏手にある東西上屋倉庫でブリティッシュ・ライトウェイトスポーツカーの専門店「PRESTIGE」を週末のみ運営し、LOTUS Elise、GINETTA、SEVEN、THE ROCKETなどのクラシック・スポーツカーの販売、整備、修理、板金塗装、車検、レストアなどを手がけている。「もともと親の仕事が貸しビル業や貸し倉庫業。倉庫を使って車屋もやっていたが、海に近い横浜の古い倉庫は英国車のイメージに合う。小奇麗なショールームに車を並べるのとは違い、ヨコハマの街の歴史と味のある建物が車の価値をさらに高めてくれる」。横浜の魅力に惹かれた並木さんは、4年前に故郷である東京都板橋区から横浜に拠点を移したという。かつて港を支えてきた歴史的建造物や倉庫などに店を構え活用することで、その建物の歴史的価値を活かしていくという並木さんの姿勢は、「ヨコハマ人」のあるべき姿と言えるのではないだろうか。
PRESTIGE「昭和ビル」に並ぶ「横浜海洋会館(旧大倉商事横浜出張所)」の地下1階にアートスペース「スクラッチタイル」はある。普段は美術家の水島大介さん、田添かおりさん、荘司美智子さんの3人がアトリエとして使っているこのスペースでは年に10回ほど国内外で活躍する作家、ディレクター、キュレーター、コレクターをゲストに招き、映像作品の上映とレクチャーを行う「Screening+Lecture」を開催している。アート界の第一線で活躍する人たちの生の声を聞くことができるこの企画には、毎回多くの美術に携わる人たちが集まる。定員50人という、ほどよいサイズのスペースであることもあって、さまざまなプレゼンテーションやディスカッションが行われてきた。水島さんは「『数は少なくとも質のいいレクチャーをやろう』を合言葉に、自分たちがおもしろいと思う人を呼んでいます。ビールを片手に、堅苦しくないスタイルでこれまで30回ほどやってきました」と語る。野村国際文化財団、神奈川県から助成を受け、アサヒビールが協賛して飲料を提供してくれることもあり、入場料800円でドリンク付きというイベントが成り立っている。田添さんは「作家のみならずキュレーターにもスポットを当てる企画がおもしろいからと、開始当初から協力をいただいています。展示会などで行われる接待的な場とは異なり、本音で話せる交流の機会として、アーティストやキュレーターの方からも好評です」と語る。
野村国際文化財団水島さんと田添さんが海洋会館をアトリエとして使うようになったのは4年前。92年から友人と共に三ツ沢で「MARKET」というアトリエ&ギャラリーを運営し、詩の朗読会や演劇、パフォーマンスなどを行っていたが、99年に閉鎖。自分たちの新しいアトリエの場所探しを始めた水島さんと田添さんは、その過程で海洋会館を知ったという。その場所と建物の魅力に惹かれた2人は、当初自分たちのアトリエとしては考えていなかったという。「こんないい物件があるのに、借り手がいないため取り壊されてしまう。カフェや本屋などの借り手を探し、場の活かし方を考えていた」。そこで知り合いの横浜美術館学芸係長の天野太郎さんに部屋の図面を見せたところ大変気に入り、自分たちのアトリエ&ギャラリーにしてはどうかと言われたという。「確かに安くて広く、周りに迷惑がかからないから、アトリエとしては申し分ない」そう思った2人は、インペリアルビルの家具や古着、雑貨のショールーム「Rising Sun」と共に海洋会館に入居。2001年2月に、アジアのディレクター、キュレーターを招いてレクチャー「タイ・ナイト」、「チャイナ・ナイト」を2夜連続で開催し、新しいアートスポットとしてスタートしたという。レクチャーの日には1日だけショーケースをギャラリースペースとして利用する試みも行っている。
スクラッチタイル 横浜美術館横浜に15年住んでいる水島さんは、「ヨコハマは風景がすぐに変わってしまう街。キレイになってるけどつまらない。この建物周辺は横浜らしさが一番残っている場所。この風景を残したい」と語る。水島さんらはオープン時、船員の宿泊のための施設として利用されていた部屋を改装してアトリエにした。「アート作品と同じで、保存運動より住む、買う、使う。リスクを負って残したい風景を残す『オーナーの意識』が大切だ」という。一方、スクラッチタイルの運営は転換期を迎えているという。田添さんは「3人とも作家であるため、レクチャー運営と制作活動のバランスが難しい。3年間続けてきたが、最近は美術家としての活動に力を入れていきたい思いが強くなってきている」と語る。今年から海洋会館と同じ1929年に建設された2つの銀行跡地を文化芸術に活用していくプロジェクト、BankART1929がスタートするなど、数年前に比べ横浜都心部にアートの拠点が多くなってきたこともあり、今後の展開を思案中だという。「いずれにしてもアートの交流の場としての機能はなくしたくない。この歴史ある場所を活かすことを最優先に考えていきたい」。
BankART1929海岸通り沿いの「海岸通り1丁目1番地」にはかつて、昭和4年(1929年)頃に建築された4つのビル、「横浜貿易会館」、「横浜海洋会館」、「キッコーマンビル」、「昭和ビル」が並び、同じ茶色のスクラッチタイル張りの外観で統一されたビル群はヨコハマを代表する景観の一つだった。当時の横浜の風景画にはこのビル群が多く登場する。しかし2000年に海洋会館と昭和ビルの間、日本大通りのちょうど突き当たりにあったキッコーマン横浜支店のビルが解体されてしまいヨコハマらしい景観がまた一つなくなってしまって残念だという声も聞かれる。
横浜貿易協会英国のシンクタンク「コメディア」代表で、都市の文化戦略の国際的な権威である都市計画家のチャールズ・ランドリー氏は、「クリエイティブ・シティ」というコンセプトを提唱している。「クリエイティブシティ」を実現するためには、創造的な風土や環境、空間などを含んだ場(クリエイティブ・ミリュー)を数多く創出することが不可欠であるという。モノゴトを肯定的にとらえ、創造性を発揮して新しい状況を生み出していく人たちにとって居心地がいい創発的な場所がたくさんあることで、より多くの創造的な人が集まって来て地域が元気に、魅力的になっていくという考え方だ。
来年1月からBankART1929馬車道は海に面した旧日本郵船倉庫へ移転し活動を継続する。ヨコハマのベイエリアに、古くからあるビルや倉庫をアートやクリエイティブのための施設として活用していくリノベーションの取り組みには、さまざまな方面から注目が集まっている。今後も、この横浜の歴史的なエリアに多くのクリエイティブ・ミリューが生まれていくことを期待したい。