横浜市は昨年12月、平成16年度の横浜市認定歴史的建造物を発表した。新たに認定されたのは、1921年建築の「横浜松坂屋本館(旧野澤屋)」と1931年建築の「旧横浜松坂屋西館」の戦前に建てられたデパート2件、1928年建築の震災復興事業を代表する鉄筋コンクリート・アーチ橋「桜道橋」と「霞橋」の2件だ。横浜市では歴史的景観の保全を図るため、1988年度に「歴史を生かしたまちづくり要綱」を定め現在までに70件の建造物が認定されている。認定建造物は、改修時に費用の4分の3(限度額6000万円)まで市の補助を得ることができる。
横浜市都市計画局 記者発表資料近年、建築物の高層化による街並みの変化、慣れ親しんだ建築物の建て替えなどが目立つようになり、都市景観への関心が高まってきている。市の都市計画局都市デザイン室では昨年、横浜らしい景観形成の新たな仕組みを考える公開の研究会「横浜都市景観形成研究会」を設置し、有識者等による議論の場を設け、これまでの景観形成の取り組みを再評価し、より一層横浜の個性を創出することができるよう、新しい都市景観形成の仕組みづくりについて検討を始めた。また、「BankART1929 馬車道」の移転先として旧日本郵船倉庫が改装され、「BankART Studio NYK」として生まれ変わり1月15日にオープンする。使われなくなった歴史ある建造物を用途転換する「リノベーション」の手法で、アートの拠点としての再活用がはじまる。
横浜市都市計画局 横浜都市景観形成研究会 BankART1929写真家として横浜の街の移り変わりを記録してきた森日出夫さんは、このように歴史的建造物を保全したり再活用することは、そこに住む人がかつての街の歴史や文化、そこにあった情景を知り、その記憶とアイデンティティに根ざした都市開発を行っていくためにとても重要なことだと語る。「どの街も独自性を出して都市をブランディングしようとする中、歴史ある建造物はその街のアイデンティティ形成のための装置として大きな意味をもつ。歴史ある建物の空間に身を置くと、知識のみでは得られない、情景を伴った体験として人の心に息づくものがある。その体験によって街の歴史を身を持って体感していない人たちにも『街の記憶』が伝わっていき、それが横浜という街のアイデンティティとなり都市のブランドが築かれていく。歴史ある建造物は、街の記憶を伝えるための『市民遺産』と言えるのではないだろうか」。
HIDEO MORI WEB 変わりゆく街並み・文化を記録する カメラマンの目線で見たヨコハマ横浜の街の移り変わりの速さを危惧する森さんは昨年11月、横浜の歴史ある建造物に触れることで市民が都市の記憶を共有することを目指す活動「濱の記憶プロジェクト Yokohama Storage unit Project」を立ち上げた。発起人として、建築家でJIA(社団法人日本建築家協会)関東甲信越支部神奈川(代表:山口洋一郎氏)理事・神奈川大学教授の室伏次郎さん、同理事の中山和俊さん、グリーマップ横浜代表の高橋晃さん、CGIプロデューサーで「Digital Camp!」代表の渡部健司さんらが参加した。「濱の記憶プロジェクト」は、横浜のさまざまな歴史資産・文化資産を市民が知り活用する場を設けることで街のアイデンティティを感じてもらい、市民が都市計画により主体的に参加するための下地をつくろうという思いからスタートした。
JIA(社団法人日本建築家協会)関東甲信越支部 神奈川 室伏次郎 studio-ARTEC 中山和俊 多摩設計 グリーマップ横浜 Digital Camp!「Storage unit」とはIT用語で外部記憶装置という意味。コンピュータの比喩を使えば、歴史や文化という人間の頭の中にある都市の記憶は「内部記憶装置」、構造物として時代を越えて存在する歴史ある建造物は、その鑑賞者に都市の記憶を喚起させるという意味で「外部記憶装置」と言うことができると高橋さんは語る。「都市は目まぐるしいスピードで変化を遂げ、建造物という物体もやがてスクラップ&ビルドによって幻のように消えていってしまうもの。コンピュータが次の演算をするためにメモリ(内部記憶装置)のデータをクリアするように、建造物がなくなれば、それが喚起していた都市の記憶も人々の中から失われていく。外部記憶装置である歴史ある建造物を保全したり、市民がそれに触れて新たな記憶を育んでいくことで記憶のサイクルをつくりたい。都市の記憶が消失してしまうことを防ぎ、その記憶に基づいたまちづくりをしていかなくてはならない」。
神奈川大学工学部で建築を教えている室伏さんは、「歴史ある建造物だから、建物ひとつをオブジェクトとして単純に残せばいいというものではなく、情景を感じさせる都市空間がちゃんと残るような、効果的で適切な保全・活用方法があるだろう。様々な建造物について保全・活用の案を市民の方から広く募集し、どうすれば横浜らしい情景を守り生かせるか考えてもらう場を作りたい。それを建築家や専門家、アーティスト、大学生などがサポートして歴史的資産を生かした開発プランをつくり、市に提案していくことが一つの目標」と語る。
また、歴史ある建造物を中心に都市のデジタルアーカイブする取り組みも行っていきたいと渡部さんは語る。「都市の風景を写真やCGなどのデジタルデータとして保存し、ビジュアルとして見せることでその価値を多くの人に伝えたい。デジタル技術を駆使すれば、歴史資源・文化資源に今まで関心を持たなかった人にも訴えかけるものができる」。
幕末の開港以来、港湾都市として発展してきた横浜には、船荷を保管・管理するために使われた倉庫がたくさんある。みなとみらい21エリアから山下埠頭までのウォーターフロントは港湾機能が本牧以南のエリアへ移転しつつあることもあり、物流から観光や交流の場としての機能転換が求められており、倉庫の役目も変わりつつある。横浜にとって倉庫の存在は「都市の記憶」の一つであると言えよう。いまのところ横浜市によって歴史的建造物に認定されている倉庫は、2001年に登録された赤レンガ倉庫のみ。
横浜赤レンガ倉庫 リノベーションでアート&ショップへ。甦る港の賑わい「赤レンガ倉庫」今昔今年開催される横浜トリエンナーレ2005では、会場として山下埠頭3、4号倉庫が活用される。イベント終了後にはどのように活用されるのか注目が集まっている。また、倉庫はアートの展示施設以外にも、広大な内部空間が得られることを活かして映像の撮影スタジオとして活用してはどうかと渡部さんは語る。「火薬を使ったアクション映画を撮影できるスタジオは少なく、ニーズがある。海に面するという立地をうまく活かせば、アジア圏でも競争力のあるスタジオになるだろう」。横浜市は映像文化都市構想を掲げ、都心部に映像産業を集積させようとしている。使われていない倉庫を撮影スタジオに用途転換することは、東京に集中するコンテンツ制作環境を横浜に引き戻すための一つの施策と言えるだろう。また、今年4月に東京芸術大学の大学院映像研究科も開設するのに加え、近年横浜で活動するクリエイターの数も増えてきている。使われなくなった倉庫をクリエイティブな場所に生まれ変わらせ、都市の活性化に成功した欧州の港湾都市の事例に見習い、有効な活用方法を模索していきたいものだ。
横浜トリエンナーレ2005現在、帝蚕倉庫を含む北仲通北地区の再開発が推進されている。再開発を行う北仲通北地区再開発協議会は帝蚕倉庫、森ビル、大和地所、日新、共益地所、ユニエックス、都市再生機構の7者で構成される。近く、測量や環境アセスメント、コンサルタントの各業務に着手し、ボーリング等を含む調査を順次行っていく。建設概要は、敷地面積約5.8ヘクタールをA・Bゾーンに分け、Aゾーン地区に地上64階建て、Bゾーン地区に40階建てとそれぞれのゾーンに高層マンション(低層部は業務・商業施設)が建てられるというもの。帝蚕倉庫は北仲営業所倉庫として活用中の用地(約2.1ヘクタール)を森ビルに売却し、今年3月末に森ビルへ引渡す予定だという。倉庫が解体されるのか、保全されるのかは現段階では定かではない。工事の着工予定は、Aゾーンは2006年1月、Bゾーンは2007年10月で、全体の完成は2010年の秋になる模様だ。
横浜の歴史とともに歩んできた帝蚕倉庫株式会社のルーツは、1920~1921年の生糸恐慌時の救済機関として設立された国策会社、帝国蚕糸倉庫株式会社だ。開業以来70余年にわたり横浜の生糸貿易の拠点となる港湾倉庫として活用されてきたが、時代の変遷と共に保管貨物を生糸・絹織物からコーヒー豆、チョコレート原料、ナッツ類、洋酒等を中心とした輸入食料品にそのウェイトを移してきた。近年は流通加工業務も行うなど、倉庫サービス以外にも事業を拡大している。帝蚕倉庫北仲営業所倉庫は「横浜生糸検査所」の倉庫事務所として1926年に4棟並んで建設された倉庫で、保管業務の中心的役割を担ってきたもの。鉄筋コンクリート造3階建てで、壁面は煉瓦タイル貼りであるのが特徴。1棟はすでに解体され、現在では3棟が残っている。1棟あたり延べ5400平方メートルの規模を持ち、内部は常時定温で管理されているという。
帝蚕倉庫株式会社帝蚕倉庫は港湾都市横浜の歴史を形作ってきた場所だが、一般市民はこれまで入ったことがない。森さんは、倉庫3棟が並んで一つの景観を作っている北仲営業所倉庫は、横浜という都市の記憶を喚起するための貴重な空間だという。「工事が着工する前にここで様々なイベントを行い、市民や若い建築家、アーティストたちに体験を通して横浜のアイデンティティを感じてもらいたい」。森さんらは具体的なイベントプランを募集し、倉庫の利用を市や開発事業者に提案していく方針だ。
市民が参加するまちづくりを提案するための場づくりの一つとして、JIA神奈川が毎年開催している「建築Week」がある。JIA神奈川は昨年6月、大学の演習課題や卒業設計を展示したりシンポジウムを行う「建築Week 2004」をBankART1929 馬車道で開催した。中山さんは「昨年グリーンマップ横浜の関内地区のフィールドワークに参加し、地域住民の視点で都市がどのように見えるのか様々な意見をいただいた。その意見を参考に学生たちがワークショップで成果を発表したり、各大学の学生たちが個性ある街のあり方について考えたプランを発表した。北仲通りの未利用の建物の再活用プランをつくるというテーマでは、帝蚕倉庫のリノベーションのプランもあり、未熟ながらも若いアイデアにあふれた提案として好評だった。そこで今年6月に行う『建築Week 2005』では帝蚕倉庫のリノベーションプランに絞ってやってみてはどうか、という話も出ている。もし可能なら、そのプラン発表の場を帝蚕倉庫で行うことができればおもしろい」と語る。再活用プラン作成の対象となる場でプランを発表することが実現すれば、市民や学生にとってすばらしい体験になることだろう。
JIA神奈川 建築Week 2004「濱の記憶プロジェクト」はWebサイトを立ち上げメッセージを発信すると共に、様々な歴史ある建造物の保全・活用についての意見の募集を開始した。まだ動き始めたばかりだが、いずれはシンポジウムを開催するなど市民や有識者の対話の場を設け、有効な再活用のプランを練り上げていく方針だ。森さんは「関内周辺は歴史ある建造物が多いので、開発する際のガイドラインのようなものがあるといい。経済原理ばかりが優先し、市民の知らないところで都市開発が進行して価値ある景観が失われてしまうのは残念だ。市民に情報が開示され、対話のうえでより良い開発が進むようなシステムをつくっていきたい」と展望を語る。
濱の記憶プロジェクト慣れ親しんだ建物や港の風景から感じる空気感は、歴史の流れと人の記憶が生み出してきたものだろう。歴史的な遺産とも言える古くからの建物がいままさに置かれている状況についての情報や、建物がもつ「街の記憶」を共有していく「濱の記憶プロジェクト」。未来に引き継がれていく素敵な景観をつくるステップを、横浜に想いがあるたくさんの人と共有するこのプロジェクトのこの先の展開を期待したい。