特集

「知財経営力」が新たな都市ブランドを創る。
動き始めた「横浜型知的財産戦略」の全貌

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■アメリカから150年遅れでやってきた日本の「知財記念日」

内閣全体としての基本方針を述べる施政方針演説のなかで、「知的財産」という言葉を初めて使用した内閣総理大臣は小泉首相であることをご存知だろうか。知的財産について触れているのはわずか数行だが、それまでは国家の目標として知的財産が語られる機会はなく、これは世界に先駆けて知財立国を宣言したアメリカから約150年の遅れである。知的財産戦略推進事務局長の荒井寿光氏は、日本が知財立国を宣言したことについて2003年7月10日発行の「小泉内閣メールマガジン」に寄稿している。荒井氏は「2月4日は『知財記念日』」と題し、「これは、1859年のアメリカ・リンカーン大統領の『特許システムは天才の炎に利益という燃料を加える』という有名な特許演説に匹敵するものです」とその価値を評した。

第154回国会における小泉内閣総理大臣施政方針演説 小泉内閣メールマガジン 2003年7月10日

アメリカではこのリンカーンの演説のあと、電球、蓄音機、電話、カメラ、飛行機などの偉大な発明が続々と生まれ、世界一の工業国家となり、現在も世界一の知財大国となっている。日本もようやく国家的施策として知的財産を戦略的に保護・活用していくことが宣言され、知財の重要性の認識は大企業のみならず中小企業・ベンチャー企業、地方自治体へと急速に波及している。ITやテクノロジーの分野の世界的企業が集積し、世界の知財ビジネスの中心となったシリコンバレーのように、いかに域内に「知財人材」「創造的人材」を呼び込めるか、ということが都市ブランディングの新たなテーマとなっている。

首相官邸HP

■「知財立国宣言」により知財関連政策は次々と実現

国家的施策として知財の保護・活用が推進されてきた経緯は以下のとおり。経済産業省は2001年10月から、「産業競争力と知的財産を考える研究会」を開催、2002年6月に報告書をまとめた。これを受けて、小泉内閣総理大臣は2003年3月、日本の産業の国際競争力強化を図ることを目的に、知的財産の創造、保護、活用に関する施策を集中的・計画的に推進するための機関として内閣に「知的財産戦略本部」を設置。同年7月に「知的財産戦略大綱」を発表し、政府では、知的財産立国をめざし、知的財産政策を推進することが明確化された。 同年12月には「知的財産基本法」が成立。この「知的財産基本法」の施行に伴い、知的財産戦略本部、およびその事務局である知的財産戦略推進事務局が設置、知財関連政策は早いスピードで次々と実施されている。

知的財産戦略本部

知財についての最近の話題としては、商標法の一部が改正され、2006年4月1日から「地域団体商標」制度が導入されることがある。これは地域ブランドの保護、強化を目的に、事業協同組合や農業協同組合など法人格を持つ「地域団体」に対して商標登録が認められ、「地域名+商品名」といった組み合わせによるブランド名の商標登録ができるようになるもの。現行の商標法では、「夕張メロン」や「西陣織」など全国的な知名度を獲得したブランドの商標登録が一定の条件の下で認められているものの、全国的な知名度を認定するまでには時間がかかるため、その間の便乗商法などを排除することができないといった問題があった。今回の法改正により、商標権者は地域ブランド(登録商標)を独占的に使用できると共に、第三者による侵害行為を排除できるなど、商標法による保護のもと地域ブランドを発展させることができるようになった。

首相官邸HP 知的財産戦略本部 村田氏も執筆に参加した「中小・ベンチャー企業知的財産戦略マニュアル2004」

■知財とは -知恵を権利化しないのも経営戦略のうち?

ここで言葉の定義をしておこう。日本知的財産協会の定義によると、「知的財産 (権)」とは、人の精神的な創造活動から生まれた創作物や、営業上の信用を表した標識などの経済的な価値の総称。知的財産権は大きく分けて、特許権・実用新案権・意匠権・商標権から成る「産業財産権」と、それ以外に分類される。それ以外の権利とは、著作権、半導体回路配置利用権、育成者権など。

日本知的財産協会

「知財」という言葉には、「知的財産 (権)」として権利化した知恵だけでなく、人の頭の中にある知識、情報、ノウハウ、技術など権利化されていない知恵も含まれている。知恵は権利化し、保護、活用を行うことができる。技術に関する特許を多数取得することで参入障壁を築くことができるほか、他社への特許ライセンスという形で活用することで、ロイヤリティ収入を得ることができる。また、リスクはあるものの、あえて権利化しないという選択肢もある。権利化するということは、その知的財産の権利を持つと同時に、それを社会に公開することでもある。他が思ってもみないような知恵は権利化せずに人の頭の中というブラックボックスにとどめ、誰にも公開しないことで他社よりも競争優位性を高めるということも経営戦略の一つだ。

日本知的財産協会HP

■「横浜型知的財産戦略」は民からの政策提言がスタート

横浜市では平成16年度を「協働元年」と位置づけ、 市民との協働に本格的な取り組みを始めた。その一つが、昨年から開催されている「政策の創造と協働のための横浜会議」である。同会議は民間の個人・団体から横浜市の公的サービスの向上に資する調査研究、あるいは地域における課題の解決を目的とし、市民生活の質の向上に資する調査研究を募集し、審査を通ったものは関係局区との共同研究を行い、横浜市の総合的な政策形成能力の向上と、「協働型社会」の実現を目指すというもの。研究発表の審査は、横浜会議の呼びかけ人である中田市長、学識経験者や企業経営者からなる審査委員会が行っている。

横浜会議

その第一回横浜会議においてNPO法人PPI 理事の村田章吾さんが提案したのが、「自治体における産業政策としての知的財産政策の可能性」。提案は、市内企業へのアンケート、ヒアリングを行い知財活用の障害となっている原因を洗い出すとともに、知財に関する有識者の意見交換により横浜市独自の知財政策を立案するというものだった。審査により、同提案は横浜市からの支援金の支出と、市関係局との協働研究の斡旋を行うことが決定。他の自治体が知財に関する取り組みを進めるなか、横浜市としても取り組みを始めたいと思っていた時期だった。経済局が担当窓口となり、知財に関する民間や大学の有識者を集め、協働研究がスタートした。

第一回横浜会議での村田氏の発表 政策研究、政策立案支援、政策提言がPPIの活動

■若手有識者によるシンクタンク「PPI」とは?

PPI(政策過程研究機構)とは、「実効性のある政策を立案し、政策提言を実現させる、草の根の基盤をもつシンクタンクを日本につくる」というビジョンに共感した政・官・学の若手有識者のコラボレートの下、2000年12月に発足したシンクタンク的な活動を行うNPO。大学生のインターカレッジのつながりから生まれた組織で、政策立案や提言に民の声を入れたいという若く意欲的な人たちによって構成されている。

NPO法人PPI (政策過程研究機構)

大学入学当時、山一証券の倒産で金融システム破綻の不安が広がるなど、日本全体が暗いムードに包まれていて、その頃から世の役に立ちたいという思いが強くあったと村田氏は語る。「素人の学生が意味のある政策を出すのは難しいだろうとは思いましたが、自分たちの若い世代の立場の意見を社会に発信していくことは大切。組織をつくり意見を発信できるプラットフォームをつくることが重要であると考え、大学3年から4年にかけて友人達とともにPPIを設立しました」。様々な自治体の政策立案への協力を行ってきた村田さんは、「横浜市は私たちNPOにも対等で協力的な姿勢で関わってくれるし、改革意欲が非常に高い」と横浜市の印象を語る。

NPO法人PPI (政策過程研究機構) PPIが紹介された中公新書ラクレ「若者たちの“政治革命”―組織からネットワークへ」

■知財のプロテクトが企業成長の鍵を握る

大学の教授の指導のもと、主に川崎市、横浜市のビジネス環境を良くするための調査・研究・政策提言を重ねてきた村田氏。その活動のなかで弁護士・弁理士の鮫島正洋氏と出会った。鮫島氏は、経済産業省や特許庁など、国の知的財産流通業に関する調査研究委員会・委員長等を歴任、「特許戦略ハンドブック」(中央経済社刊)の編著も行っている知財のスペシャリスト。「村田さんには知財経営に関する論文の下調べをしてもらうなど、仕事を手伝ってもらいました。彼が横浜市に提案するというプランに知財に関するアドバイスをしたのが、横浜型知的財産戦略に関わるようになったきっかけです」。

内田・鮫島法律事務所

鮫島氏には、「中小企業・ベンチャー企業はいいシーズをもっているが、いまひとつ伸び悩んでいる。そこに構造的な問題があるのではないか」という問題意識があった。伸び悩みの原因の一つは金融機関の「貸し渋り」と言われている。変化の激しい時代、どこに貸していいのかリスク判断が難しいからでもある。しかし、鮫島氏は「テクノロジーがあって、知財がプロテクトされている企業は伸びている。企業の知的な財産価値を顕在化し、それを守っていくことが重要なんです」と語る。鮫島氏のなかで、「ベンチャー企業への貸し渋りは、経営から知財という指標が抜けているのが原因ではないか」という仮説が浮かび上がってきた。そんななか、鮫島氏の参加する国レベルの委員会もマクロ的視点から、セオリーを実践していくフェーズに入った2004年、横浜会議で村田氏の提案が採択され、官・学・民の協働により横浜型知的財産戦略推進事業がスタートしたのだ。

横浜型知的財産戦略推進事業
弁護士・弁理士の鮫島氏とPPI理事の村田氏 デジコンフェスタ横浜でのトークイベント「クリエイター・コンテンツ業界のための知的財産セミナー」 鮫島正洋著「特許戦略ハンドブック」

■なぜ「知財」を横浜で取り組むのか?

鮫島氏は、知財戦略の実践場として横浜はポテンシャルが高いと指摘する。「横浜には常に新しいものを取り入れてきたという土壌がある。世界的にも知られる都市としてのブランド力もある。また、知財のプロフェッショナルは東京に完全一極集中しています。東京に近い横浜は、人事面での障害が低い立地条件なんです」。

横浜市経済局の早川氏も、国勢調査の結果から見える横浜の知財のポテンシャルの高さを語る。「横浜には科学者や技術者、デザイナーなど創造的人材が多いという特徴が挙げられます。法律事務所数は全国4位で弁理士・弁護士が多いこと、理工系大学9つの集積、民間の研究所の集積、バイオ系では国際的な公設研究機関もあります。もちろん技術力の高い製造業の集積があり、その知財を保護し活用することは横浜の産業の発展に大きく貢献すると思われます」。

他の都道府県でも知的財産に関する取り組みを行っているものの、特許に関する支援などありきたりで無難なものが多いのが現状。そのなかで、新たな取り組みを打ち出し、「知財といえば横浜」というイメージを作り上げて、ビジネス環境としての都市・横浜の価値が高まり優秀な企業や人材を引き付けていくことが大きな狙いだ。「シリコンバレーは、金融と知財と最先端の技術を法律事務所が結び付ける仕組みがあったから、世界中から知財の優秀な人材が集まり知財ビジネスの中心地となった。ベンチャーの勃興のなかで台頭したシリコンバレーとは違い、横浜では市という行政機関が主導し、民間との協働で行っている。それは非常にユニークなことです。また、『他の自治体では前例がない、なら横浜型として最初にやろう』という横浜市の積極的な姿勢は素晴らしいですね」(鮫島氏)。

横浜型知的財産戦略研究会
横浜市経済局の早川氏 外国特許の出願は全般的に増加傾向にある 大企業の約6割、中小企業の約5割が研究開発を実施している 中小企業の約25%、大企業の約75%が他社の類似特許により研究開発計画の見直しを行ったことがある

■「横浜型知的財産戦略」の独自性とは?

市内の全業種の企業、約3,000社に対してアンケートを行った。回答率は1割強、約400社の回答から知財に関する市内企業の取り組みの現状が見えてきた。知財は経営上不可欠と考えている企業が全体の7割、だが、その半分以上は知財管理に十分に取り組めていないと答えた。また、知的財産権を保有していない企業のうち、知的財産権を保有したいが、権利化できる技術等がわからないと答える企業も25%に上った。知的財産権を保有する企業のうち、知財に関する専門部署も担当スタッフも置いていない企業は4割。活用していない知的財産権があると答えた企業は約半数。知的財産権を保有する企業の約7割が法務知識・体制整備が今後の課題であると答えた。

また、一口に知財と言っても業種によってその活用方法は異なる。バイオ系では基本特許を取得し、それをライセンスもしくは市場独占のツールとして使用することが多いのに対し、製造業では他社にライセンスするのではなく、自社で活用する場合が多い。特許を武器にライセンスで儲けているベンチャー企業もあれば、知識不足により大企業に技術を権利化されてしまう下請け企業もあり、企業によって求める支援も様々である。

この調査結果をもとに、業種と知財の取り組み状況で大きく4つのパターンに分けた。1、知財の取り組みが遅れている「下請け・受注生産型」 2、権利化は行っているが知財戦略が不明確で未活用が多い「思い込み自社製品保有型」 3、知財経営を意識し、社内体制も整備されている「優良・知財活用意欲型」 4、基本特許を武器にライセンスで事業展開を図る「基本特許重視・ベンチャー型」。下請けの製造業が多い横浜の産業を強くするには、まずは知財経営の重要性を啓発し、横浜の知財ビジネス全体の底上げを図ることが重要。知財戦略に関する悩みをワンストップ型窓口で対応し、知財の保護・活用に関する全般的なサポートを行う総合病院のような機能が必要だと考えられた。

その実施主体として、市と民間が協働によって知財マネジメントを支援する会社を設立するという構想が研究会から提案されている。横浜市は一部出資を含めた支援によりスタートアップを後押しし、近い将来完全民間化してはどうかという提案だ。「高度な専門性が必要とされる事業であるため、民間の専門家の力は欠かせない。一方、知財は企業機密に関わるものでもあるため、スタートアップの際には横浜市が関与しているほうが信用力が得られ、中小企業もアクセスしやすくなるというのが提案の狙いです」(早川氏)。

第3回 横浜型知的財産戦略研究会 とりまとめ(pdf)

今後の課題はIT系、コンテンツ系企業の実態把握と支援策の確立、横浜市が進めるIT・バイオの振興、文化芸術側面からのコンテンツ振興といった他の政策との連携だ。市内企業に知財経営を定着させ、「知財と言えば横浜」という都市ブランドを築き上げていくことができるのか、今後の動きに注目していきたい。

およそ5割の企業が「活用していない知的財産権がある」と回答 中小企業の4割が知的財産権を保有している 製造業では全体の80%の企業が知財活用を「経営上不可欠」と認識している ヒアリング企業を業種・取組ステージで4つのタイプに類型化 タイプ別支援メニュー例
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